今晩の テレビ東京『美の巨人』は
   国宝シリーズ  「曜変天目茶碗 ようへんてんもくちゃわん」でした。

   現存 三つのうちの一つ 静嘉堂美術館のものです。
   室町時代以前に 中国の作品、
   日宋貿易か勘合貿易で 日本へ来ました
   足利将軍から・・・
       徳川家光⇒春日局⇒稲葉家⇒三菱岩崎弥太郎が手にしました。

   73bcf60b58b2efe4cae9dda891b04cb8.jpg

   「天目台」という 茶托の上に載せて 使います。
     底の面積が小さいので 倒れないようにでしょう。 
     中国の仏教の都 天目山で禅宗僧の喫茶に使われました。
     その名前がついたようですが、数千個に一個の割合で、偶然の産物のようです。
     
   1738_2_expand.jpg


  私の父親も大好きで、この「曜変天目茶碗」の展覧会があると、 
    新潟から 出て来るほどの物好きでしたので、私も 愛好者です・・・・

 きょうも TVを楽しく見ることが出来ました。

 さて、国宝に指定されているものの紹介が シリーズで発行されテいます。
        yoritomo3.png


 きょう荷物を整理していて
   義父の残した 使用済み切手の切り抜きの中に、 数枚、消印の無い、未使用の物を見つけて、 
   水に浸して 剥がして乾燥させてありますが、 

 偶然 国宝の切手シリーもありました。
   1960年代でしょうか
   懐かしい物です。
   15円でした。

    ▼信貴山縁起絵巻
   
120492.jpg

    ▼平治物語絵詞
   
1968heijimonogatari.gif





2017.10.21


きょうは 朝 9時 
  雨の中を 車を運転して 
  事故渋滞の高速道路を 北東へ向かい 
  30分の遅刻で お目にかかれました。
  申し訳ございませんでした。

15時過ぎまで 情報交換できました。
  雨の中を 戻りました。
  宿題が沢山でました。  
  
このあと しばらく 机に向かえないので、
  11月の研修の説明、講演などが 終わったら
  宿題を 解決できる物から片付けることにします。

 土肥会の先人が 目標を立てて
   こういう聞き取りや 疑問の解決を繰り返して 
   情報を集めてくれていれば ラクで 私も助かったのですが
 
  最初から 自分で やり直すのは大変です。
   が、
   出来るだけ 
   自分に 残された これからの 一年間余で、
   私が 知り得たことを 小冊子に記録にして残したいものです。


  



 
2017.10.20



史上最大の運慶展 上野で

運慶展1 うら

  という キャッチにも 迷わないで、
  雨の降る火曜日。午後からも小雨で・・
  上野ー日本橋ー東京駅 を まわって帰って来た。



  評判の展覧会なので 上野駅構内の臨時の拝観券売り場も長い列で・・・
  私たち夫婦は 見送りました。
  
きょう 10月19日は 三浦半島先端の 浄楽寺の 三尊が公開の日に当たっており、
  天気が良ければ 行くつもりであったが、
  雨で 堂内は暗いし・・・

  下の 金色の三尊像は いるのだが、
  前の 二尊は すでに 初日から上野へ出ているというので・・・
  5体とも 揃って帰って来たら、帰って来た記念公開をするというので、その時に 見にいくことにした。 

   unkeiten-panf-3_20171019200031ebe.jpg

  この浄楽寺は 鎌倉幕府の武将で、
 三浦氏・土肥氏と親類にあたる 和田義盛が 建立し 
   本尊など5体を 運慶に作ってもらったもの。

  それより前の 頼朝が、妻政子の父親が建てた 願成就院に、
    贈ることにした毘沙門天像を 京都へ行った際に見込んだ 運慶に
    作らせて 贈ることにした。  漫画家さいとうまさお は、このように描いていて
   分かりやすいので 引用する。
  
     運慶さいとうたかお
   頼朝1

   頼朝2-1

   頼朝2-2

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    wada 1

  212ページの仏像は 頼朝の義父が建てた 伊豆 願成就院(がんじょうじゅいん) 
  運慶の 毘沙門天は頼朝から贈られてきていた。 さらに 北条時政が 
    本尊の阿弥陀仏らを 依頼した。  
  
    wada 2

  213ページの方は 上に書いた、きょう お寺での公開日で、今晩、梱包されて、深夜に運び出されて
  上野に運ばれているハズの 浄樂寺 三尊像の3つである。


※ 私は、この間、1186年~1189年までの3年間に、横手市満福寺にある 阿弥陀立像が
            本来 城願寺にあった 運慶の作った 本尊であったものが、横手に
            室町時代に 移されたのではないかと考えており、証拠をつかみたいと
            願っている。
  つまり 平家滅亡後、
    1185 寿永4年春~  頼朝が上京して奈良へ行って運慶の評判を知り
                     願成就院へ贈る 毘沙門天像を 運慶に作らせている。
    1186 文治2年 ~  北条時政が その他の本尊などを運慶に作らせている。
                     願成就院に納めさせる。 そのあと、
                   和田義盛が、 浄楽寺を建て、三尊像らを運慶に作らせる。
                   (土肥実平が 城願寺に阿弥陀仏立像を 運慶に作らせる)
    1189 文治5年春~  運慶 関東の作仏像を終えて 奈良へ戻る。  

    源頼朝、北条時政、和田義盛 土肥実平
    旗挙げ時の艱難辛苦、命を助け合う、宿願を達成する、メンバーとして気心が知れており、
    ちょうど 平家を倒した後で
       彼らが 鎌倉や故郷に帰って、源平合戦犠牲者の追悼で、
       鎌倉幕府を開くときにあたっての和平祈願とあわせて、造寺造仏を
       盛んにおこなっていた時期にあたり、
       関東武士の気質と、運慶らの筋肉質勇ましい 仏像は趣向が一致したはずである。   
    上の四人が建てた寺は、名前順に
       永福寺、願成就院、浄楽寺、城(成)願寺であり、
       共に 運慶作の仏像が求められたのではないかと考えている。

    成願寺の本尊も 必ずや 運慶作のものであったと考えるのが順当であるからである。





2017.10.19


きょう 二年前に亡くなった
  中央大学教授石井正敏さんの奥様から、 

  研究仲間の先生方の書かれた
  石井正敏教授の研究業績を分析報告した
    下記の 『前近代の日本と東アジア』が 上梓されたとして
    送られて来た。
  併せて 4冊の著作集の発行も知らされた。
  この遺作集の広告は 先週の「朝日新聞」朝刊一面下にも出されていたので知っていた。

 突然とも云う逝去で 止まった研究の存在や到達点。
  また、大学入学以来の研究人生が テーマ別に、事業の継承仲間によりまとめられている。
  一人の研究者の一生が 解析されており、実に興味深いものであった。
  
その中央大学大学院時代のうち、
   2歳年下の下級生の私は、大学3・4年生と大学院修士課程の2年間の 計4年間を
  研究室や研究会、大学院の授業でお世話になっており、
  将来伸びていく研究者の若年時代を知ることが出来たし、勉強方法のイロハを教えられた。
  わたしは、今も大変感謝しているが、
  この本の中でも、石井さんの研究分野や研究方法の基礎は、中央大学大学院での
  森克己先生、飯田瑞穂先生によると、誰もが分析されておられる。
  その部分を読むにつけ、私も、隣の席で同じ空気を吸っていたことを思い出す。

同じ空気の中で 過ごした 4年間であったが、
  実績を残した有能な学者との 頭脳・努力の差が 
  今日の 迷う私を作り出しているのだが、
  「ああ あのときの 
   森先生、飯田先生の一言が 石井さんのあの論文や著作のヒントになっていたのかあ」と、
  思い出させる この本になっていた。   
     
表紙

石井さんが 身体の不調を訴える頃にも 
 そのような事を知らない私は、
 湯河原の土肥実平のことで、東京大学史料編纂所の史料について
 細かなことで相談協力を 依頼し続けていて、大変ご迷惑をおかけした。  
 
石井さんが そこの勤務を始めたばかりの時に発見して 紹介した文書がこれであり、
 今回の本のカバーにも 印刷されている 「高麗牒状不審条々」である。
 この三別抄の活動の発見で、研究で、それまでの「蒙古襲来」の常識が変わった。
 記念すべき? 史料である。

     高麗牒状不審条々

 また、高校教員となった 私にとっては、
  森先生の「遣唐使」と「日宋貿易」の研究で、平安時代の外交を生徒に語ってきたが、
  森先生の研究を、飯田先生の資料研究方法を継承した石井さんの新たな研究で、

  有名な894年の菅原道真が任命されて遣唐使に行くことが取りやめになったことを
  「八九四年 = 白紙 に戻る 遣唐使」と唱えて 
    遣唐使が廃止された。 つまり 二度と行かない。と
 

    そんな風に教えて、テストにも出題して 
    ○×を付けてきたし、天神様の説明に常に話してきたが・・・・・
  
  いまでは 高校教科書も、山川の詳説日本史でも
  「894年に遣唐使が廃止された。」とは書かれていない。
  「894年に 菅原道真が 遣唐使の派遣の中止を建議した。」と書かれている。

  事実は、石井さんの 『日本紀略』の細かい解釈から
  「894年に菅原道真が 遣唐使の派遣の中止を建議した。その後も派遣計画があった・・・」ということである。 

 


 このような 石井さんの研究は、
  日宋貿易の研究からは、源平合戦で、貿易で収益を上げていた平家を破った 源頼朝、土肥実平のことや、
  その後、渡海して中国仏教文化を学んだ僧や、やって来た禅宗の中国僧などの研究により、
  私にとっては 心強い応援者であってくれた。
  くり返し 感謝申しあげたい。

 ここ湯河原の土肥実平の菩提寺の
  ①「城願寺」には、南北朝~室町時代初め、中国人の禅僧が住職となっていたこと。
  ②また、最後は 石井さんが中国へ渡った成尋(じょうじん)の研究を進めていたので、
   土肥会や鎌倉幕府、城願寺など それについての情報提供をせがんでいた。
  
  そのことが石井さんの逝去で 中断したのは
   かえすがえす 残念至極なことだと思っているので、
  これからは 非力ながら、
  私 加藤なりに 考えることを研究していきたいと思っている。




 改めて 本を読み直し 感慨無量であることを記して 
      きょうの 私の反省と決断の 記録としておこうとおもう。
                            合掌











2017.10.18

今日午後  箱根湯本の駅前にある
  櫻木商店へ 出かけていきました。 
  箱根の写真を沢山持っておられる櫻木さんに
  10月始めから お目に掛かりたいと お願いしていましたが、
  いただいた返事の葉書にある携帯電話も、niftyのメールアドレスに連絡し続けても
  お忙しくて、
  なかなか お返事がいただけないので、
  お店に、今朝 電話して、お留守番に開店していることを確認してから 出かけました。

そこでの 櫻木さんとのお話しは 後日へ回して、
  購入してきた 湯河原・真鶴の 古い絵葉書や写真の複製に
   おもしろいものがありました。

▼その小袋表紙のカット

  500円の複製「原色版真鶴八景」と題して 出された
  櫻木商店の絵葉書セットの袋表紙でしょうか・・・?
  
   
真鶴八景 表紙

   小袋には「原色版」と表紙に書かれていても、
   中の写真8枚は 確かに彩色されていますが、
   これは写真原版に 後から 彩色した物ですよね。

   大正年間の発行でしょう。 
   なぜなら この「龍宮岩」は、当時 真鶴町に編入していた
    福浦港(現在、湯河原町に編入されています)の、関東大震災の津波で崩れ去った
  「龍宮岩」が 小袋に 木版風のカットに使われ、
    袋内の写真も「龍宮岩」が写った絵葉書がありますから
    龍宮岩1



▼その中の一枚は・・・・

  人戸之窟

 おもしろいのは この写真下の地名紹介部分です。ちょっと見にくいのですが、

   A Grotto of hitodo Manaturu 人戸之窟頼朝ノ隠レシ所(真鶴港) 
    とあるのです。
  つまり、  「ひとど」の洞窟=人戸の窟=しとどのいわや

  人が戸を閉めて 中で潜んで知るという意味の 今まで聞いたことがない 呼び名ですね。

しとどの窟真鶴 いわや
    確かに 現状の格子戸の扉の上の、斜めの大岩は
    関東大震災で 
    真鶴半島が沈下して 
    この穴は、
    上部の隙間しか空間が あかない
    小さな物になってしまいましたが、
    同じ位置にあるものですよね。右上の写真ですね。今の格子扉の形です。
  
      震災の前窟
  この写真は 震災での崩れる前の窟の写真です。
    が、上の絵葉書と、逆方向から 撮影された一枚ですね。


 それにしても 今日の櫻木商店から、購入した中の一枚の絵はがきは私の初見でした。
   ありがとうございました。






2017.10.18