越谷飛行場
2008/02/26 02:43:00
先日、本校の「郷土史研究会」という同好会は、生徒と先生とが一緒に〈越谷飛行場〉の調査に出かけた。17日日曜日。越谷から岩槻にまたがる、現在の「しらこばと水上公園」に接する場所に昭和20年春から突貫工事でつくられた。
本土決戦のための、東京周辺に作られた飛行場の一つ。地元民の挑発により、長さ1kmの滑走路。資材不足から重量コンクリートでなく、かなりの安物コンクリートを表面上に敷いたものであったようである。
現在は滑走路の中心線が道路として残り、空中写真から観ると、周辺の耕地整理、地割りの方角と、飛行場の周囲境界線が区別されてわかりやすい。

ピンクの線が周辺境界線であり、青線が越谷バイパス道路から美園駅へ向かう道路。
管制塔の土台と思われるかなり大きなコンクリートの塊が、間弾正に残っている。格納庫の土台と思われるコンクリート列も残っているという、研究会顧問の話であった。

線で囲まれた中に、大きなコンクリート塊が空中からでも確認できる
何でも、試験フライトで他から飛んできた飛行機が着陸し損なって壁面にぶつかり破損して、結局、離陸訓練が出来ず、一機も飛び立てない飛行場となって終戦となったらしい。地元の方は、読売新聞の取材にそう答えている。
今後も調査測量を進めるという。情報があればお聞かせ願いたい。
本土決戦のための、東京周辺に作られた飛行場の一つ。地元民の挑発により、長さ1kmの滑走路。資材不足から重量コンクリートでなく、かなりの安物コンクリートを表面上に敷いたものであったようである。
現在は滑走路の中心線が道路として残り、空中写真から観ると、周辺の耕地整理、地割りの方角と、飛行場の周囲境界線が区別されてわかりやすい。

ピンクの線が周辺境界線であり、青線が越谷バイパス道路から美園駅へ向かう道路。
管制塔の土台と思われるかなり大きなコンクリートの塊が、間弾正に残っている。格納庫の土台と思われるコンクリート列も残っているという、研究会顧問の話であった。

線で囲まれた中に、大きなコンクリート塊が空中からでも確認できる
何でも、試験フライトで他から飛んできた飛行機が着陸し損なって壁面にぶつかり破損して、結局、離陸訓練が出来ず、一機も飛び立てない飛行場となって終戦となったらしい。地元の方は、読売新聞の取材にそう答えている。
今後も調査測量を進めるという。情報があればお聞かせ願いたい。
この記事へのコメント
通りすがりの者デス。
先日調査に行きましたが
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R393&photono=167
この空中写真(1947年撮影)を見ていただければ一目瞭然ですね^^
ではでは☆
先日調査に行きましたが
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=R393&photono=167
この空中写真(1947年撮影)を見ていただければ一目瞭然ですね^^
ではでは☆
そうですか、この場所が戦争中に飛行機の格納庫・滑走路であったのですね。急に1940年代が ちかずいた気がします。
ここは、我が家の畑のある所ではないか!!
祖父から、多少聞いたことありますよ。
祖父から、多少聞いたことありますよ。
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