2008.02/12 [Tue]
文化財を守る ソウルの南大門の火事におもう
昨日は、韓国ソウルで名所旧跡「南大門」が、放火で焼失した。
日本なら、さいずめ名前も共通の 「東大寺南大門」の火事だろうか?
犯人は放火癖のある年寄り。逮捕された。やれ韓国国宝第一号あり、韓国で一番古い建物であったので、消火活動で、一部毀してでも守るのが良いのか、消火活動放水で毀しても良いのか等々、許可をもらうのに手間取って、みすみす燃やしてしまったとかいう噂であった。それにしても焼け落ちる様は、木造建築の火事によるもろさを良くあらわしていた。朝刊各紙も「国宝1号も守れない韓国」と書いているようである。

(朝日新聞2月12日)
日本でも先日公表された正倉院の内部写真で感じた「火災への恐怖」が、正倉院を守ったこと。法隆寺金堂火事や金閣、埼玉では都幾川村の慈光寺の火事などを想い出した。
そんな時、偶然に、配達されてきた「埼玉県立博物館友の会ニュース No.17」に学芸員の野中 仁さんが、思い出の釈迦堂を書いておられた。一瞬で無になると慈光寺の釈迦堂の火事を書き、堂内にはいったときの雰囲気、仁王が並んだ空気を伝えている。文化財を守る意義や博物館活動の意義をかいてある。
紹介しよう。
平成20年2月10日
埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会ニュース第17号
「釈 迦 堂」 資料調査担当学芸員 野 中 仁
思 い 出 の 釈 迦 堂
私の住まいは、比企郡ときがわ町にある。国宝法華一品経を持つ寺として有名な慈光寺がある山間の町である。子供の頃はよく慈光寺へ行った/板碑が群立するところからしばらく歩くと、茅葺きの大屋根を被った釈迦堂があづだ。五間四方の巨大な堂の中には、大豆ほどの大きさにまるめた紙を無数に貼り付けた仁王がいた。
自分の体を仁王の体に置き換え、具合が悪いところに星らせた紙を丸めて投げ付けると、そこが治ると子供の時に聞かされた。板碑が並ぶあたりは仁王門跡=とされていて、がってはそこに仁王門があり、そこに安置されていたものが、いつの頃かこの釈迦堂に移されたらしい。ひんやりとした薄暗い堂内は、なんとなく黴(かび)と埃が混ざったような臭いがして、仁王が不気味な風貌で威嚇していた。
釈迦堂の―件もきっかけで〜
昭和60年、釈迦堂は不審火によって隣の蔵王堂、鐘楼とともに焼失した。一瞬の出来事だった。その知らせは、大学時代過ごしていた奈良で聞いた。もともと文化財の修復などに興味はあったが、その大学で文化財の保存を専門に勉強する保存科学ゼミを選んだのは、釈迦堂の一件がきっかけの一つであったように思う。その後運良く地元埼玉県の学芸員で採用され、新設された埋蔵文化財センターの保存処理室で遺跡から出土する金属製品や木製品の保存処理を担当した。平成13年からはレ県の文化財保護課で何の因果か建造物を担当した。そして現在、博物館資料の保存環境の充実を目指して仕事をしている。文化財が人々と接する前線での保存は難しい。温湿度変化による劣化、虫・カビといった生物被害、照明による退色、室内の汚染空気による劣化、そして防災と防犯。資料を取り巻く影響因子は多い。
一瞬で無になるものを〜
釈迦堂はマッチ1本で燃え落ちた。子供の頃、目の前に迫って来たあの巨大な建物が、なんと弱く、はかないものか。しかし、300年もの間残されてきたのは奇跡的でもある。寺や地元の人々、幾多の参拝者、繰り返し行われたであろう修理に携わった人々などの思いが注ぎ込まれて守られてきたのだろう。その思いも一瞬にしで無”になってしまった。今や私の子供に釈迦堂に入った時の体を伝ってくる雰囲気や臭い、仁王の不気味さは伝えられない。守ってきたものを失うのは実にたやすい。博物館資料も同じである。
博物館の役割のひとつ
博物館は、地域の文化財を適切に保存するといった役割を担っていることは聞違いなく、その責任は重い。博物館資料の保存には、博物館で活動する人々の厳しい目と協力が欠かせない。
同じ日に手元に届いた新聞記事と友の会ニュースとが考えさせることは同じだった。
日本なら、さいずめ名前も共通の 「東大寺南大門」の火事だろうか?
犯人は放火癖のある年寄り。逮捕された。やれ韓国国宝第一号あり、韓国で一番古い建物であったので、消火活動で、一部毀してでも守るのが良いのか、消火活動放水で毀しても良いのか等々、許可をもらうのに手間取って、みすみす燃やしてしまったとかいう噂であった。それにしても焼け落ちる様は、木造建築の火事によるもろさを良くあらわしていた。朝刊各紙も「国宝1号も守れない韓国」と書いているようである。

(朝日新聞2月12日)
日本でも先日公表された正倉院の内部写真で感じた「火災への恐怖」が、正倉院を守ったこと。法隆寺金堂火事や金閣、埼玉では都幾川村の慈光寺の火事などを想い出した。
そんな時、偶然に、配達されてきた「埼玉県立博物館友の会ニュース No.17」に学芸員の野中 仁さんが、思い出の釈迦堂を書いておられた。一瞬で無になると慈光寺の釈迦堂の火事を書き、堂内にはいったときの雰囲気、仁王が並んだ空気を伝えている。文化財を守る意義や博物館活動の意義をかいてある。
紹介しよう。
平成20年2月10日
埼玉県立歴史と民俗の博物館友の会ニュース第17号
「釈 迦 堂」 資料調査担当学芸員 野 中 仁
思 い 出 の 釈 迦 堂
私の住まいは、比企郡ときがわ町にある。国宝法華一品経を持つ寺として有名な慈光寺がある山間の町である。子供の頃はよく慈光寺へ行った/板碑が群立するところからしばらく歩くと、茅葺きの大屋根を被った釈迦堂があづだ。五間四方の巨大な堂の中には、大豆ほどの大きさにまるめた紙を無数に貼り付けた仁王がいた。
自分の体を仁王の体に置き換え、具合が悪いところに星らせた紙を丸めて投げ付けると、そこが治ると子供の時に聞かされた。板碑が並ぶあたりは仁王門跡=とされていて、がってはそこに仁王門があり、そこに安置されていたものが、いつの頃かこの釈迦堂に移されたらしい。ひんやりとした薄暗い堂内は、なんとなく黴(かび)と埃が混ざったような臭いがして、仁王が不気味な風貌で威嚇していた。
釈迦堂の―件もきっかけで〜
昭和60年、釈迦堂は不審火によって隣の蔵王堂、鐘楼とともに焼失した。一瞬の出来事だった。その知らせは、大学時代過ごしていた奈良で聞いた。もともと文化財の修復などに興味はあったが、その大学で文化財の保存を専門に勉強する保存科学ゼミを選んだのは、釈迦堂の一件がきっかけの一つであったように思う。その後運良く地元埼玉県の学芸員で採用され、新設された埋蔵文化財センターの保存処理室で遺跡から出土する金属製品や木製品の保存処理を担当した。平成13年からはレ県の文化財保護課で何の因果か建造物を担当した。そして現在、博物館資料の保存環境の充実を目指して仕事をしている。文化財が人々と接する前線での保存は難しい。温湿度変化による劣化、虫・カビといった生物被害、照明による退色、室内の汚染空気による劣化、そして防災と防犯。資料を取り巻く影響因子は多い。
一瞬で無になるものを〜
釈迦堂はマッチ1本で燃え落ちた。子供の頃、目の前に迫って来たあの巨大な建物が、なんと弱く、はかないものか。しかし、300年もの間残されてきたのは奇跡的でもある。寺や地元の人々、幾多の参拝者、繰り返し行われたであろう修理に携わった人々などの思いが注ぎ込まれて守られてきたのだろう。その思いも一瞬にしで無”になってしまった。今や私の子供に釈迦堂に入った時の体を伝ってくる雰囲気や臭い、仁王の不気味さは伝えられない。守ってきたものを失うのは実にたやすい。博物館資料も同じである。
博物館の役割のひとつ
博物館は、地域の文化財を適切に保存するといった役割を担っていることは聞違いなく、その責任は重い。博物館資料の保存には、博物館で活動する人々の厳しい目と協力が欠かせない。
同じ日に手元に届いた新聞記事と友の会ニュースとが考えさせることは同じだった。

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