戸田市文化財研究会元会長 金子 弘さんの死 

 夕方、義父の仕事であった老人会組織の会計係としての関係諸帳簿と通帳をもって会長さん、会計さんを訪問して手渡した。丁度、通夜から一週間目に当たる。昨日は副会長さんに会旗も返却した。こうやって次々と縁が切れていく。

 夜のそれら訪問中に携帯電話があり、篠崎会長さんから「今朝、金子会長さんが亡くなられた」とその死を伝えてきた。
 
 驚いた。
実は、今日の夕方、県活動センターを出るとき、上尾のお寺を訪問しようかどうか迷って、金子先生からの7月16日付けのお手紙を確信したからである。四谷を歩いた7月の研修会での資料の返事の中で、金子氏は、近江の国から出てきて、四谷で棒屋を営んでいた。西応寺に「大津や」の屋号入り墓がある。という内容であった。
 同じ寺の剣道家、算学家のことも調べて返事を書く準備をしていた。
その際には、向かいの寺の大名西尾家の墓が、上尾にもあることを付け加えて返事するつもりで、今日の研修会の後に回って調べる予定であった。それが、間に合わなかった。
 
 ご冥福をお祈りする。

 この記事へのコメント 

 お便りありがとうございました。金子会長さんにはいつもお手紙をいただいたり、味わい深いお手製の絵はがきをいただいておりました。お亡くなりになったあとも、率いておられた戸田市文化財研究会の方々から、折に触れてお話しをうかがいます。今も私が時折日本橋丸善に出かけると、金子さんが笑顔でビルの影から出てこられるような錯覚を覚えます。お便りをいただき、また四谷へお墓参りに行こうと決心した次第です。ありがとうございました。 
 ブログページ主人 加藤雅喜
戸田の金子弘さんは私が勤めていた日本橋の丸善の先輩で会社の絵画同好会でも一緒でいろいろご指導をいただきました。また、新協美術会会員でおられましたが、会の委員の秋玲二さんは私の漫画の師匠でしたので、縁も多く、戸田のアトリエのお宅にもお伺いしたこともありました。最近の10数年は交渉がありませんでしたが、お元気かなと思いお名前を検索しましたら、既にお亡くなりなられたとのことで、とても残念です。ご冥福をおいのり申し上げます。合掌
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酒宴酒場の仮亭主

Author:酒宴酒場の仮亭主
「酒場で歴史を語る会」は、歴史好きそして酒好きの多士済々が、折を見て江戸の地を徘徊し、早々に酒宴で談論風発・丁々発止と相成ります。酒宴亭主が、足跡記録のため、日常の情報保存場所として開設しています。

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