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2月5日に 退院してきて作文した物を 6日早朝に完成したので
  地元紙に送りました。 掲載されるか否かは 未定です。

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きょう与謝野晶子
    生誕百四十年目

                            みだれ髪初版本


 今日2018年12月7日は、歌人の与謝野晶子の生誕140年にあたります。
    言うまでも無く湯河原ゆかりの文学者です。
 彼女は明治11年、大阪府堺市の老舗和菓子屋の家に三女として生まれ、晶子が22歳の時に高らかに恋愛をうたいあげた『みだれ髪』という歌集で、近代日本の文学界に大きな衝撃を与え、新しい詩歌と女性の力を切りひらくことになり、現在も多くの女性や読者に親しまれ、評価されています。その3年後の日露戦争中に発表した長詩「君死にたまふことなかれ」は、従軍中の弟の身を案じて詠んだものですが軍や世間の批判を強くあびますが、ひるみませんでした。 
 さらに、短歌の師であった与謝野鉄幹への恋を貫き、情熱の歌人として知られる晶子は、5男6女を育てた母親でもあり、明治11年から昭和17年までの64年間の一生は、激動の時代のなかを文学者としてだけではなく、一人の女性として、母親として鮮明に生き抜いた人生といえます。特に夫の鉄幹が振るわなくなった後の家計は、晶子の幅広い執筆活動と全国での短歌会・講演会の収入と地方の応援者の援助で支えられました。
 なかでも、この湯河原の温泉・気候は、疲労心労で弱った与謝野夫婦には体力回復にとても役だったようで、晩年の昭和7年から7年間余りの間、応援者であった吉浜の有賀精(あるがつとむ)氏の所有する真珠荘に毎年一週間から十日ほど滞在して、そこを拠点に湯河原温泉へ足を運んでいたことは良く知られています。

                         切手1992

 昭和10年に夫の鉄幹が急性肺炎で亡くなったあとも、子供たちを連れて湯河原へ来ました。昭和13年4月に盲腸炎を手術したが完治せず、湯河原温泉で治療しつつ机に向かい『新新訳源氏物語』の刊行にこぎ着けました。驚くことに、同じ時に神戸にいた谷崎潤一郎が『潤一郎訳源氏物語』を完成させており、26年後に吉浜「真珠荘」のあったすぐ近くに「湘碧山房」を建てて『新々訳源氏物語』を刊行して翌年逝去したというのは、“湯河原は現代語訳源氏物語の聖地”とでも言うべき場所なのです。

 それから時も過ぎて、家族で湯河原に遊んだ次男の与謝野秀(1964年東京オリンピック大会組織委員会事務総長)、その長男の与謝野馨(財務・通産・文部大臣等)も世を去り、改めて与謝野晶子生誕140年を迎えるにあたり、堺市をはじめとして全国で記念展覧会が開催されています。 ここ吉浜には昭和18年に夫妻の和歌を彫った石碑が建てられましたが、今は落剥が進み訪れる人もいないと聞きますし、有賀さんのご子孫が与謝野夫妻の資料を保存していて、営業していた旅館を9年前に閉めた際に、湯河原町図書館へ一括寄贈されましたが、これを見る機会もない私には、この記念すべき年の誕生日に当たり、湯河原に住む一町民として、湯河原真鶴の子供たち文学少女たち観光客に説明してあげたいという積年の思いを何時かは果たしたいと思っています。

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2018.12.07
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