FC2ブログ


ここは どこ? 訪ねてきた人は誰でしょうか?
        他人の評価はそんなものか! というお話を 書いていた途中で
   うっかり、キーボタンに指先が触れて 全面の入力部分が 消えてしまい、
   また、今日になって 書き直しです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 地図には首都高速道路と十字に交わる道路の交差点があります。左上に「ミッドタウン」があります。地下鉄の駅もつながっていますから左下には「六本木ヒルズ」「テレビ朝日」に続きます。

六本木現在

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この交差点には、昭和50年代地図を見ると、昔世代にはなつかしいピンクの看板「ALMONDE」が左下にあり、「ミッドタウン」は、もと「防衛庁」がありました。

今

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明治時代には、下の地図のようになっていました。
一番下の江戸時代「切り絵図」と比べると、

①「ミッドタウン(その前は防衛庁)」の位置は、陸軍第一旅団の兵舎が並ぶ場所になっていましたが、元は「長州萩藩毛利家の下屋敷」であったことがわかります。

②左下の東名高速渋谷方面から入ってくる首都高速道が通る道は、江戸時代には町屋が並ぶ狭い道で、行き止まりであったことがわかります。「芋洗坂」から下りてくる道に合わさって、「外苑東通り」からは江戸城・皇居方面には行けませんでした。
 

明治

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今の交差点から高速道路下に、(この切り絵図は幕末の制作ですが)
当時、宮崎県延岡市にあった七万石の延岡藩内藤能登守政義(まさよし)の下屋敷が元禄時代以前からありました。このお殿様の住んでいた上屋敷は、今の霞ヶ関虎ノ門、文部科学省の場所にありました。彦根藩から養子跡継ぎに来たお殿様で、大老井伊直弼の弟にあたります。

内藤家下屋敷切り絵図

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、最初の質問、
   この六本木の 延岡藩内藤家下屋敷には、元禄時代に 
  お殿様の兄さんであったのに、お家騒動に巻き込まれて殿様になれなかった、
  内藤義英(よしひで)という隠居さんがいました。 
  家中の政治に口出しもせず、延岡にも仕事がありません。
  この江戸の下屋敷の部屋住みで、毎日やることがありません。

趣味を持たないと やってられません!
  この人を 息抜きの会合に 誘い出した 人は誰でしょうか?
  
スポンサーサイト
2018.11.28
コメント記入欄