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土曜日から 掲示させてもらって 日数がたちましたが、

   「改札口から外では 入場券がないと 通路奥の方の二枚は 見えない読めない。」
   「入場券は 180円 かかるんだよ。」
   「だいたい 入場券を買わないと見られない 写真展なんて なに考えているんだ!」
   「そもそも スイカ・カードで、どうやって 入場券を買うんだヨウ 」

  あれこれ お小言いただきました。
   それでは というわけで、このブログに、解説を掲載しておきます。・・・・・・・・
 
というわけで、湯河原駅開業94年を振り返る写真展の解説です。

       ①土肥館②人車鉄道


 ① 840年前の湯河原駅は 土肥館でした! 

土肥実平館と湯河原駅

 (1)『歴史人』というグラフィック冊子が販売されています。その会社が運営する
   図柄で 歴史の舞台を、鳥瞰(鳥の目から見えるような)図のように、
   コンピュータグラフィックで見せる物が公開されています。 多くの中世の豪族館が
   発掘を元に復元されていますが、そのまま使っても今の湯河原駅周辺の構造に近い
   図は、これだと思うので、少し、イヤ、あれこれいじって作り、
   現在の建物の名前を入れてみました。
    およそ 3段の段丘を利用して、築かれた中世の豪族館です。

  次の下の②人車鉄道の敷設は、一足飛びに1100年頃から1900年の明治半ば過ぎまで飛びます

   この間の 土肥館跡は、室町・安土桃山・江戸時代に どうなっていたのかわかりません。
   館のうら山に登ったところに 実平が持仏堂(仏壇の大きな小屋)を建てて瞑想にふけり、仏像を
   信仰していたと考えられます。その入口に、実平はビャクシンの苗を植えました。これが850年
   以上たって、今の「城願寺 国天然記念物 ビャクシン」に成長しました。

 (2)のちに源平合戦のあと、実平はこの持仏堂を戦死者を弔い、平和を祈る「成願寺じょうがんじ」
   というお寺に拡大増築させます。
  (室町時代になって「成願寺」は真言宗から臨済宗になり、曹洞宗に代わる頃に「城願寺」と改称
     されたと考えられます。)
   この実平館から領主として千歳川・新崎川などが流れる扇状地・河川敷に広がる水田や畑で働く
   領民を見ていたと思います。良い高台で,1180年夏の頼朝ら平家追討の軍が、伊豆蛭ケ小島から
   熱海の伊豆山神社を越えてやってくるのを、この館から出迎えてみていたと思われます。
   駅前の実平公夫妻の銅像は、頼朝軍を迎える伊豆山道(熱海市立泉小中学校の方角)を見ているのです。

 (3)さて、この館の裏山は幕末から明治期に石を切り出したので、石切山とか呼ばれるほど、固い岩盤で
   したので、急坂でも地震大雨での崖崩れの心配も無く、堅牢な防御山でした。(若し、敵に攻められても、
   義経の鵯越の坂落しのような武将で無い限り大丈夫で、普通は正面・側面を守れば良かったのですから)

   現在、駅前広場になっているこの館跡は江戸時代以降には土肥氏もおらず、ほかの領主もここにいなかっ
           たので荒れ地になっていたと思われます。
   人車鉄道・熱海軽便鉄道が海岸に沿って運行されていたので、明治期に大海嘯(かいしょう 大波・津波)
   に襲われて線路が流されたりしていたので、新たに国鉄が熱海線を敷く時には、蒸気機関車の難敵である、
   急勾配と湾曲カーブを少なくするために、また鉄橋・トンネルを掘る長さを短くするために海抜30m以上
   に設計したので、偶然、湯河原の新駅の開設場所は、この旧土肥館跡の場所しかありませんでした。

 (4)湯河原温泉への利便性を考えるなら、もっと宮上に近い、今の五所神社のガード付近に新駅を作るべき
   でしたでしょうに、そのカーブは、盛り土をしなくてはならず、熱海線を敷くための、千歳川鉄橋を作り
   つつ、熱海への泉トンネル掘削の岩石・土砂を掘りだし、トンネル壁面にセメント・レンガ・切石を張る
   ための工事が、湯河原新駅建設なら,長期間続けなくてはならないために五所神社付近が使えないことや
   五所神社を削ってまで駅前広場を作ることも躊躇されたでしょうから、不都合な場所と考えられて、
          土肥実平館跡の荒れ地が選定されたのだと思います。

 (5)荒れ地の広場でしたから、ホームに裏の石切山の表土を削り下ろして盛り土をして、コンクリート製の
   ホーム線路壁面を作って中に土砂を詰めました。ホームから階段で下りて 地下道を通り広場改札口へ
   出ていくという構造の駅は、河川敷の平地に作った鴨宮駅・小田原駅は別として、根府川駅が線路より
   山上に住居が多かったこともあり、階段橋上で改札口へ出る構造だが、
   その他の早川駅、真鶴駅、湯河原駅、熱海駅、では共通の工法で出来た駅となっています。



 ② 1895年(明治28年)熱海から小田原へ 人車鉄道が敷かれます
    次回に解説します


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2018.10.18
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