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いつもながら 若い人のセンスが生きている
  編集ぶりの 『 Off 』ですが、
  今号は、湯河原温泉名物「きび餅」を、生産販売するお店の製品を比べて 比較する企画でした。
  お互いの 工夫努力を 前面に出して、
  日頃の切磋琢磨を 紹介しています。

湯河原に住んでいる人さえ知らないこと。 
  まして 食べ比べだけでなく、見た目、大きさ 小ささなど全部を比べるなど有り得ないこと。
  土産物屋さんも、商工会も 観光協会も 町長さんも知らない。
  ひょっとすると 作っている 
  商店のご主人達でさえ 知らなかったことなのかも知れません。

まして 退職の後に 湯河原に やって来て住んでいる 私は、
  自分で食べたことさえなかったのです。

  お土産に あちこちに買っていって 配りましたが、
  中身を食べないのが、 観光地のお土産でしょう。
  ただ、上村製菓の会長さんが 新潟の出身。
  10年前 横浜大桟橋のたもとの 神奈川県の名産品を販売しているセンターに立ち寄ったら
  湯河原温泉名物として 販売されていたので、
  いわれを 伺ったことがあるだけでした。
   
    そらうみOff-6

  今号では 3ページにわたって
  湯河原で 製造販売している 5店の紹介をして、比較している。
  そして最後に 
  「きび餅の由来」を 下のように紹介している。

   kibimoti.jpg

  一読して この きび餅は、湯河原駅前に立つ銅像の
    武者の隣に しゃがむ 土肥実平の奥さんが、
    1180年 石橋山決戦で敗れて逃げて 土肥の山に潜んでいた
    夫の実平や 頼朝らに 食料として持っていったということから始まったというので、
  「土肥会」も、見捨てておけない事柄である。
  ( しかし、これまで そう思った人がいたか どうかもわからない。 
       今年 初めて 私が、そう思っただけかもしれない。)  


  今年の春、「武者行列」の午後、 土肥会が主催する城願寺での供養ど「土肥祭」に
    参加されたお客様に 
  お土産に お渡しするのに、この「きび餅」が使われているということを、会長から聞いて
  たしか 準備会議で見本が配られたので、箱に入っている小紙片を貰って帰り、
  物好きな 私は、
  
法要に遠路来られた 土肥氏の子孫に お土産にもたせるのだから、
  「土肥会」の立場からすると いい加減な文章では不味いだろうから
  基本線を 打ち出しておいて、
  あとは、各店のご主人の経営方針にゆだねれば良いとして、
  もちろん強制はしない。

  土肥会の公式見解として 会員は知っていないといけない基本としたいと
  こんな風にしたら、空想ばなし だけでは無く、
  歴史的にも 整合性がとれる割合パーセントが増えるだろうと、
  土肥会的な由来書きを 創作して 提案してみた。

読んでいただくと 歴史に重点を置きながらも、商売という点も、
  観光という点でも、若干 夢を含ませた内容に止めて置いたものです。 
 
修正案1
 
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  きび餅の由来
 
 今から八百年以上も昔の 治承四年八月、平家により、伊豆の蛭ケ小島に流されていた源 頼朝が、源氏再興の願いに奮起して旗挙げをしました。
 すぐに土肥郷の領主土肥の次郎実平の一族を頼って今の湯河原町に入り、実平の持仏堂であった城願寺から鎌倉を目指して出陣しました。石橋山に陣を進めましたが、十倍もの大庭景親、梶原景時等の平家軍に遭遇して、奮戦したものの頼朝軍は武運つたなく敗れて土肥郷の山中を逃げ、「倒れた大杉の大穴」や「しとどの岩屋」へ、頼朝、実平ら七騎が隠れて敵の目を逃れたと伝わります。
 その間、留守を守った実平の奥方が「きび餅」を作り、上にしきびの葉枝をのせて墓参りに見せかけて、敵に悟られぬ様に隠れ穴へ運び、七騎の空腹を満たしたと伝わります。
 鎌倉幕府創設後には、頼朝らの命を救った縁起の良い食物として語りぐさとなり、郷土の人達がおやつにも、必ず「きび餅」をつくり食するようになりました。駅前の実平夫妻の銅像でも、ひざま着く奥方の包みが、きび餅だと云われております。
 明治以降に、それを湯河原温泉みやげとして拡めようと、先代が、きび粉を原料に上質のきな粉を使い、工夫をこらして風味豊かな美味しいお菓子に仕上げ、大変喜ばれてきた湯河原の伝統菓子でございます。
                                         店主敬白





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2018.10.05
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