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来月後半に 開かれる 湯河原駅での 古写真展の準備に入っていますが、
   テーマの「湯河原駅と駅周辺の写真」を 探しています。
   ですが、 同時に 土肥会90周年の為に 土肥会の古写真も探しています。
   
 大きな コピーを重ねた不鮮明な写真の画像データですが、
   城願寺本堂前の こんな写真を見せてもらいました。
   この記念写真は 土肥会創立の 昭和5年の4月の写真です。

  創立記念写真2
                    
    4月3日に行われた 土肥会の結成後 最初の法要である「土肥祭」のあと、
    土肥氏一族墓の前で 記念写真を撮影して、そのあと、本堂前で記録写真である。
    
    本堂の階段前には、テントが張られ、
    その下の机の上には、土肥実平・遠平の木像が並べて公開されていたようだ。
  本当は、そこにある二体の像が 位牌と対になって、どのように並んでいたのか?
    是非知りたいのだが、 前に 人間が立ち並んでいて見えないのは残念である。  
 
 ただ、この集合記録写真には、うれしいことがある。 それは、4月3日に行われた法要後の写真ということが
   確実に分かるからである。この場所にいて この集合写真に写った人がいて、後日、この写真を焼き増しして
   渡されたのだろう。その人は、
   湯河原ではなく、 よそに居る子供に、記念すべきこの写真を、直接 切手を貼って送ったのだ。

   左側下に 切手が貼られ 丸い消印がある。年号が読めないけど、月日が解る。
   「4  2」である。
   ひょっとしたら 「4 2」かも知れない。 つぶれていて読みにくい。
   が、この写真のテントの白い部分に、右から左に「処場ノ置安像木公平實肥土」と     
   万年筆だろうか 自筆で書き入れている。

   さらに、右下には、写真を撮った年月日かと最初は考えたが、
    右から左に、発送した日付が書かれている。
    「リヨ父   日二廿月四年五和昭
    この「日二廿」が 発送日に先だつ日と考えるのは、消印のすぐ前の日だろうと考えるからである。
    消印の日付が、22.23.24.25.位と読めるから、その日以前であるだろうからということ。

  そして さらに そう思わせるのは、 写真に映っている人が、わたしでも見つけやすい人物がいたからである。
    洋装の燕尾服と、服装が同じで、帽子を持っている、鼻下の髭があり、髪が油できちんとして居る紳士である。
    上の集合写真の   の上に座っている人物である。
    ナナメに映って居る。鼻下の髭、右手の帽子は、右膝下に 下げている紳士であるが、
    彼が、同じ顔で、同じ服装で
  私が この下の 正式な記念写真にも見つけたから、 
    上の集合写真は、同じ日、昭和5年4月3日の撮影であると推測出来るのだ。 
 
     昭和5年4月3日創立記念写真
  何処にいるかだって? 最前列の若い紳士1名の 後の二列目、5人の中央に居る人物である。
  帽子も ちゃんと左手に 持っているし、鼻下の髭も ちゃんと付けている! 胸に花胸章も付けている。
  立つ位置からすると、相当な地位の人物と考えられるが、とにかく同一人物である。  
 
   
  さて、私は この上の
  昭和5年4月3日撮影の 
  土肥会発足の記念写真で、気づいた人が もう一人居たことに 声が出そうであった。
 
  上の階段での写真、さっきの おひげの人物の うしろの右うしろ、つまり 4列目。
  一番右側に 鼻髭の人物で 腕組みをした和服姿の人物。 
  その後の おじさんに肩に手をかけられて居る 右から二番目の丸顔で 丸眼鏡の人物だ。

 私は この人の名を、一昨年から調べて 知っているのだ。
     松本 赳さんである。


  上の昭和5年4月3日の土肥会の写真から 
   4年あとの 1934年昭和9年4月1日 撮影の記念写真に写っている人である。

      松本赳 築港記念碑
   下の写真の 中央 男の子の後の 丸顔の人である。
   この写真は、今から 84年前に、関東大震災で壊れた 真鶴港の修築工事が終わった
   記念碑の除幕式の 写真である。
      真鶴駅から 港に下って行くと、港の岩壁の見える処、
      真鶴漁協と葵寿司を右手に左折する角に立つ、大きな記念碑である。
   福浦港・真鶴港・岩港の三つの集落と港を 関東大震災から 立ち直らせた
      一町二村の町長であった 松本 赳 さんである。

 日本女子高等学院、昭和女子大学などの創立に関わった創立理事で、文学者でもある。
 私が生まれる 一ケ月前の昭和23年9月28日 67才で亡くなられた。真鶴松本農園の社長でもあった。
 この人は 来賓であったのだろうか、土肥会初代の会員であったのかは 今後 調べることになる。
    


   

  
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2018.09.11
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