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 今晩 ぼんやり見ていましたら・・・・
    鶴岡から  秋田県にかほ市へ 電動バイク移動する
    やばいよー ヤバイヨーの番組。

    直接 鶴岡から 「だだちゃ豆」を食べながら、酒田へ入り 山居倉庫へ行くのだと思っていたら、

     DT5HAQIVAAA0Ohy.jpg
 
  ナント 道路に 「羽黒高校」の看板が見えた。
  それは 出羽三山 羽黒山へ 向かっているということ。

  そのうち、彼のバイクが 電池切れで とまりそうなった時の 看板が
        「太田坊」の宿坊の看板である。 

     太田坊

   そして その「太田坊」の看板向こうに 赤や紺色に幟旗が、 
       この写真の2倍以上 はためいていた。

    私は 突然 大きな声を出した。「あ 黄金堂だ!」
    むかし 夫婦で行ったことがある場所である。 
    「ホント こがねどう だねえ・・・」と 妻。
    
     黄金堂


    さらに進むと 大きな屋根が 左奥に見えてくる。 
     通り過ぎると このような具合だ。 この道路の向いには、本寺の正善院がある。
    
 

     黄金堂2



  この黄金道の先を 左折、もう 1度右折すると 
        広場が見えて、あの羽黒山の国宝五重塔へ下りる山門(随神門)が見えるのだ。

出羽三山

   ちなみに 彼らが 休んで充電した 大川食堂が その随神門前広場にある。

     DmkT_8XUwAASJWO.jpg

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   黄金堂は 土肥実平が 源頼朝の命令で 義経・奥州藤原氏への奥州征伐の際に
   出羽三山の僧兵・山伏の支配を任されて、この地で 「平泉金色堂が火災で失われたら、
   代わりに ここに黄金のお堂を建ててやるから、出兵しないように。」と命じて、
   黄金堂の約束をしたが、ご承知のように、平泉金色堂は燃えず、白木のお堂だけを残し
   この地をあとにしたという伝説のお堂である。
    ここには 堂内 本尊 真裏に、土肥実平の木像があることで 私たち夫婦が見にいった。
   翌年、土肥会の役員や城願寺住職さんが 見にいった。
   一昨年、屋根の修理が行われるにあたって 寄附の申し込み募集があったが、土肥会は
   決断しないので、 
   私の名前で、屋根の銅板裏に 「土肥会 加藤雅喜 陽子」を書いて貰うよう喜捨をしたお堂である。

この番組で 久しぶりに お堂の健在な 様子を見た。

    ちなみに 実平が建てさせたお堂の修理を行って今に伝えたのは、
     戦国時代末期に、領国をうつされてきた、上杉景勝の家老、
     「愛」のカブト前立てを付けた直江兼続であった。
   



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2018.09.08
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