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今日の放送のために作った 原稿ですが、
  これを1/5に はしょってお話ししました。

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   羽山さん 進行 ありがとうございました。

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 (アップした原稿が読めないというので 活字にしました。)

本日のギャラリーゲスト
土肥会・理事 加藤 雅喜さん にお越しいただきました。
    加藤さん、どうぞ宜しくお願い致します。

・「土肥会」とは、いつから?どこで?どのような経緯から発足されたのですか? 

 昭和5年1930年ですから あと2年で90周年を迎えます。
 それは、1180年に頼朝を助けて土肥実平が平氏追討の旗挙げをした時から、750年目にあたりました。
 当時の日本は、幻の1940年(昭和15年)アジアで初の東京オリンピック開催のため 外国人の宿泊・観光では、明治の初めから外国人を受け入れた 箱根が、真っ先に手を上げて温泉・宿泊はまかせろとなったワケです。
 富士山を含めて国立公園と指定して貰う運動の決起集会も開かれました。景色も温泉も和食とかの日本文化も歴史もPRしなければいけないとなりました。
 特に、頼朝が鎌倉に幕府を開いたという事実は、オリンピックには大和魂、サムライ精神で金メダルをたくさん取ろうという気運が高まって、一気に海外進出、大国となる軍部の方針とも一致することから 箱根の決起集会に参加した湯河原の温泉経営者も、温泉と郷土の歴史を売り出そうとしますし、教育者は精神鍛錬の土肥実平顕彰を進めようと、ちょうど、頼朝旗挙げ750年ということで土肥会を作りました。
 
 この時代の雰囲気は、イマと とても似ています。今お話しした昭和5年~10年にかけての時代背景を象徴しているのは初代会長が退役軍人さんだったことでしょう。 「強い日本」第一でした。土肥実平の本家は広島県三原へ移り、子孫は小早川氏となって成長しましたが、湯河原に残った土肥氏は振るわず『吾妻鏡』『平家物語』『源平盛衰記』の物語の世界に、名前を残すだけなので、英雄伝説に基づくストーリーとなるのもやむを得ませんでした。 土肥会の目標の「顕彰」が優先で、郷土の英雄を観光に利用しようという方面が先行しました。
 あわててお墓を整備し、土肥氏の供養祭を開き、土肥の大杉、しとどの岩屋、じがん水、小道地蔵などを次々と史跡として指定しました。

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 戦後は、武道教育がしばらく制限されたこともあり、もっぱら、歴代町長さん自ら土肥会会長を兼ねるなど、観光客誘致一本で土肥会の活動が再開されます。七騎像やお堂を作り、駅前に銅像を造りました。焼亡の舞を作り、武者行列にも力を入れるようになります。
 しかし バブル崩壊後は 次第に観光客も減りつつあります。
 もっと地に足の着いた土肥実平を後世に伝えようと思います。
 それは どういうことかというと、
 土肥会もう一つの目標に「研鑚」があります。
土肥氏のことを歴史的事実として冷静に調査研究しようという考えです。全国に広まっている土肥氏の子孫を紹介する小冊子も発行出来る様になりました。湯河原は、私のようによそから移ってくる人も多く、今後は、未来を担う子供たちにも、勇ましい英雄物語だけで無く、
 ①若いときに飢饉で土肥郷の領民を救うため伊勢神宮の米倉庫を襲ったこと、
 ②死ぬまで10年間も平氏を相手に戦争を続けていった老武者という面、
 ③それを支えるため土肥郷の農民達に納めさせた兵糧米や刀・馬具を使う殿様という側面を伝えることも大事なことです。

今年、碑を立てましたが、
 今から 200年前、家業を50才で息子に譲ってから勉強して、全国の地図測量を始めた伊能忠敬の測量隊が土肥氏墓を参拝したのは、70才過ぎてからの働きで、関東武士の政権を作ったという土肥実平の行動力を尊敬したからだと子供たちに伝えることも大事なことだと思っているからです。

・現在の会員数は?

  会員、土肥氏・小早川氏の子孫などを含めて、500人です。
  若い会員少なく、活動に支障が出て来ています。会員拡充策を考えないといけません。

・主な活動(年間での行事)を教えてください。

 ①4月の第一日曜午前中に、募集参加名乗り口上をするヨロイ武者や子供さむらいも一緒にパレードする武者行列と、
   午後からは土肥氏の供養祭を城願寺で行っています。
 ②5月20日頃 郷土の歴史講演会を図書館で開いています。
 ③8月23日は頼朝実平出陣の日なので、城願寺で「開運出陣祭」を開いています。
 ④秋に宿泊や日帰り研修旅行を行っています。
 ⑤焼亡の舞保存会が、三嶋大社・鶴ヶ岡八幡宮にも出かけて土肥実平のPRをしています。

・(時間あれば)今後の活動予定など教えてください。

◯鶴ヶ岡八幡宮に9月16日(日)午後、焼亡の舞の奉納があります。
◯11月宿泊研修は土肥会の役員の研修会とおなりますが、
◯12月12日の日帰り旅行は、町民に募集をして、土肥会が世話係をつとめるもので、
  今年は三浦半島へ、最後まで土肥氏と仲の良かった和田義盛の遺跡を御案内します。
  旅行計画が出来たら募集案内します。



 
本日ギャラリーゲスト、土肥会・理事 加藤 雅喜さん にお越しいただきました。
加藤さん、ありがとうございました。
 この後インフォメーションと曲をはさみまして、番組後半は駅周辺の散策に本日のギャラリーゲスト 加藤さんと一緒と出たい思います。 加藤さん、この後もよろしくお願いします!

【伊豆湯河原温泉インフォメーション】
ここからは
伊豆湯河原温泉インフォメーション!
(1分程度:4件の旅館+1件の工房(クレアーレ熱海ゆがわら)を週替わりで紹介=別原稿)
本日は「クレアーレ」のご紹介です。

以上、
伊豆湯河原温泉インフォメーションでした。
それでは、ここで一曲をはさんで、駅周辺の散策に出たいと思います。
お聴きください。

外でのインタビューで
・湯
河原駅前には、土肥実平夫妻の銅像が建っていますが、ご夫婦の像というのは珍しいですね。

 ちょうど 女性の社会進出が期待された時期に この像を建てたことと、
 名前はわからないけど、奥さんが 食糧をもって、頼朝・実平らに運んだので 鎌倉幕府が出来た。というわけで
 大事な人だったのですね。

でも 二人は 観光客にお尻を向けています。
  アレは 838年前に、伊豆で平家追討の旗挙げをした頼朝達が、伊豆山を越えて、今の駅広場にあった土肥館へ下りてくるのを迎えるために、伊豆山方向を向いているのです。
 ところで 奥さんの膝に持っている包みは 何が入っていますか? 勿論 きび餅です。 湯河原土産の。

あの 銅像は、青銅製ですが、埼玉の川口市の工場で作られたので、少し 鉄分が加わっているのかも知れませんネ。同じ工場で同じ時期に、同じ社長さんが作ったのが、北海道札幌のクラーク博士像ですから、同じく、茶色っぽいのですよ。今度行ってみてくださいね。
  
  外へ出てからは 銅像お話をしたので・・・
    予定していた 三原の土肥氏小早川氏墓地 復旧の募金結果を 
    お話しできませんでした。  また次回 お話しします。

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羽山さんに 撮ってもらったのですが、健康サンダルを履いての 
                まるで柴又の寅さんみたい。

   

  FM熱海湯河原に 来月中旬に、湯河原駅での 古写真展示会の 御案内をお願いしています!







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2018.09.08
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