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 きのうからの 大阪の淀川や道頓堀、関空の高潮の様子をTVで見ていると、
   今から 116年前に起こった 湯河原町の 吉浜海岸、門川海岸での 高潮被害を思い出した。
   勿論 私は生まれていないし、今 生きている人で、回想を語ってくれる人もいないわけで、

  これまで、人車鉄道や軽便鉄道を調べたりしてきたことから知っているだけだが・・・
   トモすると 関東大震災のことではないかと
   思い違いをする人もあるが、それより 20年も前のことである。

土肥村門川修正

  この写真は、明治35年(1902) 9月28日の 台風通過による高潮被害の様子である。 

  線路が映っている。7年前の明治28年に開通した 熱海と吉浜、続いて小田原まで延長された
  「豆相人車鉄道」のレールである。
  背景の山影を見ると、下の地図で千歳川の橋から、ゆっくり下って行って、右へ曲がり、
  家家の間に進むと、門川停車場がある位置を 写している。    

     門川地図

   写真の奥に 白く映る二階建ての現代風の屋根が見える。 門川停車場のちに
   軽便鉄道の 湯河原駅になる駅舎である。 柳の木が目印であった。

      ヤフー24000円湯河原駅

   そして、写真の右端の奥に、白い土蔵造りの屋根が見える。 
   これが門川村名主の富岡家の屋根では無いかと思うが、並びの
   門川八幡神社の土蔵であったかもしれない。(今後 聞き取りをしたい)

   なぜなら、冨岡家は この高潮より昔、江戸時代末期の今から200年前に
   測量に来て昼食を取った伊能忠敬測量隊の世話をした 土肥実平の子孫で
   あることを誇りにしていた主人であったが、そのすぐあとの幕末の安政大地震で
   の津波で、家もろとも流されて、家の再建を 小田原藩主大久保家の許可を得て、
   村の内陸部へ転居することを許されており、明治35年次には、既にその場所には
   住んでいなかったので、土蔵だけを残したのか、神社の土蔵か、不明である。

それにしても この写真は、人車鉄道の最後を記録していて、人間が押す人車鉄道は廃止となり、
   復旧にあわせて 輸入した蒸気機関車を使った 熱海軽便鉄道に、グレードアップして
   登場する契機になった写真である。
   
現在、この右の みずたまりとなっている 高潮が右から襲ってきた場所に建つ
   みかん農家のお宅には めくれあがった 人車鉄道レールが、残されている。
   復旧時に 蒸気機関車の重量に耐えられる、太い線路で、 線路幅も広くなった
   軽便鉄道になるとき、古い細い人車鉄道のレールは、鉄くず扱いにされたのだと思われる。

 この明治35年の高潮で、土肥村の門川地区では
   死者4名、  
   全349戸の内; 流失9,全壊21,半壊8、破損6戸 床上・床下74戸浸水。  
   舟の流失4隻 という報告が出されている。



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2018.09.06
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