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   台風一過1

台風一過の朝、
  土肥会の出陣祭のポスターを持って あちこち
  車で 廻る。

 熱海湯河原温泉観光協会に出向いて 振り返り 空を見た。
  真夏の空なのに 立秋過ぎてみると 巻雲の秋の空です。

   台風一過2

  真鶴町役場へ 「後援」を承認いただいた お礼かたがた産業観光課へ出向いて
  ポスターを お渡しした。

  帰ろうとして 階段へ向かったら、汗だくで階段を 這うように登ってきた人がいた。
  何処かで この暑い中で汚れる重作業をして来て、昼食に帰って来たらしい。
  降りる人を避けようとして 私をうわめずかいで見あげて、よけてくれた。
  すれ違ってから 気づいた。 それは 宇賀町長だった。

あの様子は 今回の台風13号の被害は少なかったと思うのに、
  あの疲れた様子は その前の台風12号の被害処理の 
  現場視察か 復旧事業の陣頭指揮といった様子だろうと 私は判断した。

  そこを出て、真鶴観光協会に ポスターを 駅前の観光案内所にも 貼って欲しいと 2枚置いた。
  
有沢事務局長は、富山県の出身であるが、
  先祖は、鎌倉時代に深谷の新戒から 地頭に赴任した新開・土肥氏の子孫で、
  室町時代には応仁の乱の前哨戦に、京・大坂方面に出陣したり、足利将軍にお目通りした武将になっていた。
  戦国時代の戦いを経て、豊臣秀吉の時代には 加賀前田利家に仕えて 軍学者として活躍した。
  その有沢家の出身なのだ。 偶然も 偶然。 1年前に 知ったことである。

  真鶴港内は、もともと良く整備されていて、船がひっくり返ったり 流されたりはしてなかった。
  あそこかも知れないと思って
  岩海岸へ向かった。

  まさに 台風一過の 青空を見た。
  青空、青い海。
 左スミに、「ネジバナ」(私は子供の頃から 「ねじり花」と言ってきたが、今朝の『湯河原新聞』に室伏友三さんが「ネジバナ」と寄稿されていたので、ネジバナが 今風なのかも知れない。)が あったので これを写真に入れて写そうとして、構えて、
 右に 赤とんぼが 飛んでくるのを待っていて・・・・・シャッターを切った。 
最近の撮影では 一番の傑作だ。

  ※この写真の上に、カーソルを置いて マウスをクリックして見てください。赤トンボだと分かります。



  台風一過3

  私は
  この岩海岸を 間近に見て、 宇賀町長は ここへ来ていたのではないかと直感した。

     台風一過4

 向こうの 今年 新設された駐車場(白いコンクリート)の手前、
   小さな黄色の重機が 動いている。
 海岸の整地作業を おこなっているようだ。

   それより手前に 親子が 波に戯れている。
                  この風景を見て 私は愕然とした。
ここは 今年5月の 岩の「龍宮祭」で、下の2枚の写真のように
  写真を撮った方向は逆向きで、
     黄色い重機のところにいた私が こっち方向を撮影したものである。
   
  私たち「土肥会」と「焼亡の舞保存会」が演技・演舞を披露させてもらった
  あの 広い砂浜があった場所である。
  2枚とも、カーソルを置いてクリックして 拡大してもらえば分かるが、
  風になびく紅白幕の 向こうに見える海から、砂浜の巾量が広かったことが分かる。

   
台風一過10

   台風一過12

   ベニヤ板をしいた 舞台があった場所は、
    海中に没しいているし、砂浜の巾が半分以下になっているというより、

    丸い石の海岸と 化していることが解る。 
    これでは 子供の安心な海水浴場であった岩海岸に 毎年 多くの家族がやって来ていたのに、出来なくなっていた。
    たった 一晩の 台風12号の高波で・・・・・

  このままでは 来年の わたしたちの出演場所が無くなることも心配される事態になっている。

 先日の高波では この岩の海岸から 1km位離れた場所で 救急車などが 壊れたことが報道され、
    湯河原の吉浜海岸の 海の家が壊れたことも 報道された。
     (今日の午前 吉浜海岸は 大勢の人が出て 大清掃がおこなわれていた。)
    しかし、 吉浜は 砂の流失は 話題にならないが、
    この 岩海岸の砂浜の消失は 大問題だ。
これじゃあ 町長は粉骨砕身・陣頭指揮を執らなくてはダメだよね。と思った。

 そう思って 足取り重く 帰宅した。 


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2018.08.10
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