ことしは 八月に はいったら、
  やれ 台風だ 停滞前線だと 雷雨だと 
  関東地方は カラッと晴れる日がなかったようだ。

  あっさりと 「立秋」が 過ぎて行ってしまったような気がする。

先週の 孫娘の夏期講習へ付き添いの間に 下の本の冒頭を読んだ。
  句読点が 少ないので 読みにくいのではあるが、中学受験のための参考書からである。
  
「 序曲
 それらの夏の日々、一面にススキの生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色(あかねいろ)を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……

 そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物をかじっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色(あいいろ)が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。

      風立ちぬ、いざ生きめやも。

 ふと口をついて出て来たそんな詩句を、私は私にもたれているお前の肩に手をかけながら、口のうちで繰り返していた。それからやっとお前は私を振りほどいて立ち上って行った。まだよく乾いてはいなかったカンヴァスは、その間に、一めんに草の葉をこびつかせてしまっていた。それを再び画架に立て直し、パレット・ナイフでそんな草の葉を除とりにくそうにしながら、
   「まあ! こんなところを、もしお父様にでも見つかったら……」
 お前は私の方をふり向いて、なんだか曖昧(あいまい)な微笑をした。

   「もう二三日したらお父様がいらっしゃるわ」
 或る朝のこと、私達が森の中をさまよっているとき、突然お前がそう言い出した。私はなんだか不満そうに黙っていた。するとお前は、そういう私の方を見ながら、すこし嗄(しゃが)れたような声で再び口をきいた。・・・・・」



   風立ちぬ、いざ生きめやも。 は
  イザ+反語ヤモの部分・・・ さすがに 小中学生には難しいので、
   「生きようか、いやそんなことはない」の意味すが、「いざ」は 「さあ」という意味で、あわせて 「生きようじゃないか」といみである。との注が付いていた。
   そうかあ 受験生は こんな 堀辰雄の名作まで 目を通しておかないといけないのかと驚いた。

  
  私には 次の二つが身近だったから
    宮崎駿の アニメ映画、零戦の設計者 堀越二郎の若い時代を描いた作品で
            「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」と書かれている
            テーマソング ユーミンの「ひこうき雲」歌声

   松田聖子の 「風立ちぬ」、1981年10月にリリースされた 松本隆作詞 大瀧詠一作曲による。
            編曲の多羅尾伴内は大瀧の変名。レコード会社のディレクターが大好きだった
            堀辰雄の小説『風立ちぬ』を題材とした曲を企画し、繊細な陰のある作品を目指したが、
            意図に反して大瀧によって完成した曲は「ものすごいゴージャスな大作」になってしまったという。

        ※ 大瀧詠一が勝手に使った 多羅尾伴内役を演じた 映画俳優 片岡千恵蔵は、
           早く亡くなった母が 湯河原の植木家の出身であり、土肥実平の菩提寺の城願寺
           植木家の墓を建てており、墓参りに来た時に連れてきた子供たちのうち三男の植木義晴
           日本航空のパイロットから、代表取締役社長となり、毎年、御巣鷹山日航機墜落事故の
           慰霊祭に出席していて、今年も、先日、インタビューに答えていた。


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2017.08.14
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