今から328年前

 元禄二年(1689)7月4日 (太陽暦では 8月18日)、
 弥彦神社に詣でて (弥彦競輪北側の弥彦2860-2、宝光院に句碑有り、宿泊か?)から、
 寺泊を経て 出雲崎へ向かった芭蕉である。今晩は出雲崎に宿泊であった。

  出雲崎「良寛堂」の先、左側に「芭蕉園」広場があり、芭蕉はこの向かいの旅籠「大崎屋」に泊まったといわれているが、今は無い。園内には芭蕉像と句碑(下の「銀河の序」)が建てられている。

            芭蕉 銀河句碑

 芭蕉は「おくのほそ道」本文の中では、天候不順もあってか、越後路については、ほとんど出来事を記さず、最後に二句を記している。

      文月(=七月)や 六日も常の 夜には似ず
      荒海や 佐渡に よこたふ天河

曾良随行日記」によれば、この日は「夜中、雨強降」という状況で、

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 元大宮高校の和田俊郎先生のお話では、
 「この季節には出雲崎からは、佐渡に寄りそうように天の川が横たわって見えることはない。天の川は もっと縦方向に見える。」と伺ったことがある。

芭蕉は「おくのほそ道」の中には、この句しか載せていないが、その後、「銀河ノ序」と呼ばれる文章を作り、弟子などへ与え色紙等に書いて贈った。出雲崎のこの公園に「銀河ノ序」を記した碑が建っている。
 推敲する最初の頃のやや難しい文章である。

ゑちごの驛  出雲崎といふ處より 佐渡がしまは 海上十八里とかや 谷嶺のけんそくまなく東西三十余里に よこをれふして また初秋の薄霧立もあへす なみの音さすかに たかゝらす たゝ手のとゝく計になむ 見わたさるけにや 此しまは こかねあまたわき出て 世にめてたき嶋になむ侍るを むかし今に到りて大罪朝敵の人々 遠流の境にして物うきしまの名に 立侍れは いとすさましき心地せらるゝに 宵の月入かゝる 此うみのおもて ほのくらく やまのかたち雲透にみへて 波のおと いとゝかなしく聞こえ侍るに                                                                            芭蕉       荒海や 佐渡に よこたふ 天河


「銀河ノ序」は、許六編「風俗文選」(宝永3年刊)にも収録されているが、推敲を繰り返したあとのもで少し違っていて、やさしくなっている。

 北陸道に行脚して、越後の国出雲崎といふ所に泊まる。かの佐渡がしまは、海のおもて十八里、滄波を隔て、東西三十五里に、よこおりふしたり。みねの嶮難の隈隈まで、さすがに手にとるばかり、あざやかに見わたさる。むべ此嶋は、こがねおほく出でて、あまねく世の宝となれば、限りなき目出度き島にて侍るを、大罪朝敵のたぐひ、遠流せらるるによりて、ただおそろしき名の聞こえあるも、本意なき事におもひて、窓押開きて、暫時の旅愁をいたはらんむとするほど、日既に海に沈で、月ほのくらく、銀河半天にかかりて、星きらきらと冴たるに、沖のかたより、波の音しばしばはこびて、たましいけづるがごとく、腸ちぎれて、そぞろにかなしびきたれば、草の枕も定らず、墨のたもと、なにゆへとはなくて、しぼるばかりになむ侍る。

                       あら海や 佐渡に横たふ あまの川
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2017.07.05
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