今晩 TVを見ていて、知ったのは、

  アメリカでの話しでは、
  死ぬまでに行って見たい景色の一つとして、近年 話題なのは

  東京都 青ヶ島(あおがしま)らしい。

青ヶ島

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  この青ヶ島が 伊豆七島のさらに南の島としてあることは 
   私は 子供の頃から知っていた。

  何故 知っているのか? 
      湯河原から見える 「伊豆大島」でさえ、
         熱海の「初島」でさえ 行ったことも無いのに・・・・ 青ヶ島だけは、
   福島県生まれ、新潟県育ちの私でも 
   何故か小さい頃から、
         断崖絶壁で 絶海の孤島というイメージで知っていた。

 その理由が 今晩TVを見ていて気になったので
   調べたら わかった。 
   小学生の時に 映画を見たからである。
 
 近年 映写会のために デジタル化されたようであるが、
   そのチラシに こうあった。↓

   lineup_10.jpg

 昭和30年の 文部省選定映画である。
  
左幸子2

左幸子1


《wikipedia》では あらすじをこのように紹介している

   学芸大学を卒業したばかりの理想に燃える新人教師・広江節子が、戦後教育のモデル校である東京の日吉台小学校に赴任してくる。4年2組を担任することになった節子は、最初のホームルームで、自分の故郷である青ヶ島の話をする。八丈島の南西にある青ヶ島は、港を持たない孤島である。節子は、史上初めて東京の大学を卒業した青ヶ島の人間だった。
クラスに溶け込めない転校生を気遣ったり、故郷から集団就職で上京しやはり東京に溶け込めない少年の面倒を見たりしながら、節子の初めての一学期はあっという間に過ぎ去ってしまう。初めての夏休みに、八丈島の漁協に勤める青年と結婚することになった妹・良子の婚礼に出席するために帰郷した節子は、日々の過酷な暮らしに追われて勉強をする時間もない島の子供たちの姿を目にする。その子供たちに節子が近づいていこうとすると、子供たちは節子を「ハイカラさん」と呼んでよそよそしく接する。故郷の子供たちから思わぬ拒絶を受けた節子は、東京から赴任してくる教師が長続きしないためにたった一人で分校を取り仕切る安成先生の姿を見て、島に戻る決心をするのだった。
   
   日吉台小学校を9月で辞めて、10月、青ヶ島近辺を通る最後のフェリーで帰郷した節子は、島の分校に赴任する。しかし、彼女が島で直面したものは、過酷な自然や村の因習に縛られて夢を失いそうになりながらも、毎日を精一杯生きる子供たちの姿だった。節子は島の子供たちを励まし、日吉台小学校のかつての教え子たちには島の子供たちを紹介する手紙や写真を送る。
ところが、その年の冬は例年にまして島の海が荒れて貨物の定期便さえ辿り着けなくなり、島の人々は飢えに苦しむ。節子からの手紙が来なくなったことで島の窮状を知った日吉台小学校の子供たちはホームルームで島に支援物資を送ろうと決める。それを提案したのは、クラスに溶け込めなかったのを節子やクラスメートに励まされて立ち直った島田少年だった。彼の父は航空貨物を扱う会社の社長であり、航空便で島に救援物資を投下しようということになる。
  
  完全に外部との連絡が途絶した青ヶ島村では、島の窮状を前にして何も出来ない節子が絶望していた。節子は安成に教師を辞めたいと弱音を吐き、安成に諭される。その節子の耳に、救援物資を満載した飛行機のプロペラ音が轟く。島のあちこちに投下される救援物資が、日吉台小学校の子供たちからの贈り物であることを知った節子は、希望を取り戻すのだった。

私には この、四谷怪談などの映画や社会派の映画を作っていた
    中川信夫監督の映画内容は ほとんど覚えていない。
   小学校入学の年齢であったのだから無理はない。
   が、
   女性教師が 大波に揺られて 舟から島へ飛び移る様子や、嵐で 舟がやってこられない様子を覚えているのだ。
 
 この映画を見たとしか考えられない。  きっと 私の入学した石川県羽咋市の映画館でみたのだ。
   その映画館では 後に 「青い山脈」も 
   あのテーマソングと山を背景にした出演者の名が流れる最初の場面を覚えている。
   父母と一緒に行っていたのだ。
 
    東京の伊豆七島の先に 断崖絶壁で 絶海の孤島「青ヶ島」があるとだけ記憶していたのであった。

 

  私の記憶には 勿論 無いのであるが、この15歳の女生徒が出ていたようである。
   
   デビスカルノ15歳

      デビ夫人である。



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2017.06.24
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