昔むかし 子供たちが小さかった頃に、
  金沢市の「忍者寺」へ 家族で行ったことがある。金沢城の西を守る犀川の 
  さらに西にある、城を守る防御のためのお寺が並ぶ街筋であった。

  その「忍者寺」の近くに 「玉泉寺」というお寺がある。
  度重なる火災災害等で・・現在は その寺の大部分が 小学校になっている。

  そのお寺は 金沢城の築城より 間もなく作られた。 
  「玉泉院」を祀るお寺として作られて 5千坪を超えるお寺であったようだ。
  それもそのはず、「玉泉院」とは、金沢藩前田家の二代目お殿様の正妻で、
  織田信長の5子のお嬢様であったのだから・・・・
  彼女は
  生前は、有名な金沢城石川門の反対側に復元された「玉泉院丸庭園」の主であったのだ。
  死後 玉泉院 ⇒ 玉泉寺とよばれるようになった。

今から 180年ほど前の江戸時代天保年間に、その由緒ある寺に 自家の墓地を持っていた
  自分の家も、古くから前田家に加勢して家臣となっていた武士がいた。
  五百四拾石の禄高で、
  金沢城中に納入する物品を チェックする役人の長官「会所奉行」をつとめる
  土肥武兵衛正平
という名前であった。

  住まいは 犀川の内側でお城とに挟まれた、同じく早くから前田利家に加勢した
  鎌倉武士の名門、里見氏の住んだことによる「里見町」とならび「竪町」という
  中堅の武士の屋敷が並ぶところに屋敷を構えていた。

いま、金沢の「竪町」といえば、繁華街「香林坊」に続く 若者の街となっているが、
  現在のビル名でいうと、竪町の「ノース フェイス プラス」の入っているビルに
  彼は 屋敷を持っていた。

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   金沢地図3

   
    さあ この人物は 一体 なにもの だろうか?

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2017.04.27
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