富山の子孫さんから 電話をもらった。

  子孫さんと言っても湯河原の豪族、土肥実平の子孫さんである。

実は 今年の4月2日 土肥氏後裔会の会合に参加された方々からも、
    何人からも 電話を いただいた。

5月の今年の湯河原観光ボランティア研修会でも
   会長さんから、「土肥実平の全国に広まった子孫について話してください。」と
   依頼されている。

それもあって、今月、秋田県の横手市増田町の
   ①「土肥城址」と、②菩提寺である「満福寺」、
   ③そしてJR東日本の吉永小百合のTVCMで有名になった蔵造りの町へ
  行ってみようと思っている。

すでに、数年前に 土肥会の役員さんが研修に出かけているが、
   見学はしても
   史料・資料となるような、情報交換がなされていないから、

   土肥氏と増田町の土肥氏の関係の研究をする人がいないので
   だれも パンフや小冊子や  本にも書けない。

私は 初めて行くので 菩提寺のご住職や
   地元の研究者に連絡をとって、現地で教えを乞おうと思っている。

私の 今回の最大の関心事は、
   横手市 増田町の戦国時代の土肥氏は、
   どこから来て、どこへ行ったのかということである。

  ①城下町づくりの時に 、菩提寺の「満福寺」をつくるため、
    寺の本尊を、
    土肥氏の先祖の出身地である、  相模国土肥郷の城願寺に、
    仏像をもらいに来て、持ち帰ったというのだから
   単に、富山県の土肥氏の子孫が 戦国時代に日本海を北上した一族と結論づけて良いのか?
  
  ②のちに、秋田の佐竹氏(今も 子孫が県知事に当選していますネ)や
    敵の仙台伊達氏に臣下として仕えたというなら、
    江戸時代に、参勤交代で江戸にやって来て、先祖参りに、湯河原へ来ている
    旅行記を書き残していないのか。

  ③そうしたら伊達氏や佐竹氏の家臣にいる土肥氏の子孫を  探す手がかりになる。


 残念なことに、土肥会の先輩達は 全く、調べた人がいない。
       
上記の後裔者会議に出たある人も、
  「土肥氏の出身 地元の湯河原で、
   私の先祖のことを聞いてくれる人がいない。
   系図を見てくれる人がいないという。
                不思議なことらしい。
 別の ある人は、
  「4月2日の土肥氏の慰霊祭に参列して、土肥実平の墓に焼香しているけど、
   我が家は、本当に この土肥氏の菩提寺にお参りするのが正しいのか?
   自信が持てない。」というのも わかりますよね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 そういう土肥さんの子孫にも 自信を持って先祖を自慢して欲しいし、
  私が知っている系図は、
   ① 一般的に公開されている、小早川本家に繋がる系図
   ② 地元での子孫という富岡家の系図
   ③ 三原市の もと土肥病院院長家の系図
  これしか ないあ。
 ところが、全国から集まる後裔者は 
   それぞれ自分の家に伝わる系図をもっているのだから 
   それぞれを 持ち寄って、つきあわせて、
   系統立てて 土肥氏の流れを示したいものだと思うひとが
   これまで 誰も 湯河原には、いなかったということなのだろう。

 今のうちに 何とかしよう そういうことなのです。
   






スポンサーサイト
2017.04.14
コメント記入欄