唐橋 充 さんのおじいさんは、
   たしか 唐橋 東 といって
  喜多方市の市長を
 長く(四期でしたかね)つとめました。
  あるひとは「学校の先生で 、校長さんでしたよ」と
  幼い子供の私に 紹介してくれたように思い出します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が、小学生より小さかった時だったのか 、
  小学生低学年の時だったのか、よく覚えていませんが、
  お酒を飲めない頃の話です。

喜多方で 商店をやっていた 私のおじいさんは、
  自分の娘が産んだ 最初の孫でしたので、実家のある喜多方へ来て生んだ
  私の名前を「雅喜」と決めて、町役場へ届け出に行ったりして 
    私をかわいがっていました。
  また、今の私のように お酒大好きで、
  商工会の集まりや、新年会、忘年会などに出かけていました。

そんな私のおじいさんに付いての思い出です・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  あれは かなり寒い季節でした。
  冬休みに遊びに来ていた、私が、 一番、 孫の中で年長だったせいなのか、
  孫を、自慢したかったのか、おじいさんが「夕飯に出かけるから連れて行くぞ」と言いだし、
  「やめなさいよ」と、とめる おばあさんたちの言うことを聞かずに、
  私を連れて出ました。

行った先は 大人の集まる料亭二階の大広間の宴会場でした。

 ※東山温泉の「向瀧」の伝統ある建物のような座敷しつらえが思い出されます。

     syowa30_geisya_genkan.jpg
     786b4c530a53a741f68d3f31f5c6436b.jpg
ちょうど この時代に木下恵介監督が 『惜春鳥せきしゅんちょう』という映画を作った。
   その中には 会津若松城の「白虎隊」の若者の自刃による死と、この時代に、子供の時に白虎隊演舞をしていた
   少年達が成長して、就職・進学で東京へ出たりしたものの成功できない生活を抱えて、故郷に帰ってくる・・・・・
   東山温泉での跡取りのなかまの旅館に集まって 今・昔を語る・・・ 芸者さんも出る・・・ 
   この映画デビューの 若い男俳優が出ているので、 木下恵介 初のゲイ映画との評価もあるが、
   若山 彰が 唄う同名の映画主題歌もヒットするなど気に入っていたので
   私には あまり気にならない、若者自殺防止映画という見方も出来ると思うものであった。
津川雅彦(第一作)、小坂一也 、石浜朗、山本豊三、川津祐介 、有馬稲子、佐田啓二、伴淳三郎 、岸輝子、
十朱幸代(第一作)、藤間紫 、村上記代 、清川虹子 、伊久美愛子、笠智衆 、末永功 、宮口精二、すごいメンバーです。
       惜春鳥1

◆話を戻します・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
おじいさんの隣に、私むけの膳を、急遽 用意してもらって、
  私は ポツンと小さく  大人の間に挟まれて話し合いの様子を見ていました。
  が、勿論    難しい話だったようで 何も覚えていません。

  そのうち 大きな拍手で、会議が終わり、
  座敷の各お膳に、お酒が運ばれて来ました。
  私のところには、サイダーでしたよ。三ツ矢サイダーだったかな。

あとは、おめでとうとか、万歳とか、演説風の大きな声が入り乱れて、
  芸妓さんたちが、おおぜい入って来て、お酒が注がれ、
  屏風前では、 おめでたい踊りが 始まりました。

  私の前にあるのは、子供用のお膳ではなく、大人向けの料理の膳で、
   子供の私が、美味しいものが出ていませんでしたからつまらなかったのですが、
  次々と挨拶に来る、人に、
  おじいさんは 
  孫の私が、新潟に住んでいて、冬休みなので、一人で列車を乗り継いでやって来たことなど、
  自慢そうに話していました。    
   
       私のサイダーがなくなり、ジュースも飲み干し、
  お酒が好きなおじいさんは、私に「ビール飲むか?」
  と聞いたので、「ウン」と答えて、
   それまでも 時々 、父や おじいさんの相手をしていた 私は、
  コップの 半分くらいのビールを飲み干していました。
 
  「今から この飲みっぷりは 、頼もしいねえ」
   お客様から 驚かれた声が 褒められたように聞こえたものでした。
   コップ一杯 二杯ぐらいは、平気な私でしたね。いつでも。
   キリンと朝日の味の違いは知っていましたから。
   
そんななかで、一人の主客がやって来て、
  「潔さんの お孫さんかあ〜   よく、遠くから喜多方に来てくれたね。ここは
   あんたの おじんちゃ、おばんちゃたちが住んで、苦労して作って来た、良い町なんだ。
   どんどん遊びに来て、住んでくれたら嬉しいね、市長としては…」といった話だった のだろうか
   細かい言葉遣いは 覚えていないが 
  最後に
  「そうかあ、おじんちゃは、名前に 「喜」 を使ってくれたのか、嬉しいねえ。」ということを
   言われたことだけは ハッキリ覚えていて、
  私が、自分の名前の意味、喜多方生まれだから「喜」を付けられたということを、自覚した
   最初であった気がしている。その人物が、唐橋市長さんだった。

 今から考えると、この宴会は、市長の後援会の忘年会であったらしい・・・
         その宴会は つづき・・・・食べるものがない 私に、その後、支那そばを取ってくれた。

    宴会が果てて、酔ったおじいさんのために、タクシーが呼ばれて、いっしょに乗って帰って来た。
   宴会の後に タクシーで帰るという 私にとっては 初めての贅沢な体験であった。

その後、 唐橋市長さんは、亡くなった私のおじいさんの葬儀に 弔辞を読まれたか、弔問に来られて、
   後援者、友人としての付き合いが続いていて、実家の息子さんに引き継がれていった。
   若くして亡くなったおじいさんの跡取りの葬儀にも、顔を出されたような記憶がある。
   実家の仏壇の部屋には 唐橋市長名で、寄附金の感謝状が額に入れて掛けられていた。
  
   そんな人の お孫さんが、唐橋 充 さんであったのだ。
   その 充さんには 勿論、 面識は ないけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   私が いつもお世話になって入り浸っていた、お向かいのかき氷屋さんをやっていた
   瀬戸物店は 坂内さんであったような気がしている。
   昔から金魚・熱帯魚を販売されている。 昔は かき氷屋さんもやってくれていた。

   実家のスグとなりは、喜多方ラーメンの原点 「源来軒」であるが、
   喜多方の多くのラーメンでも、有名な「坂内食堂」があるが
     京都でも、 新都ホテルや近鉄ホテルに泊まっても 寒いと熱いラーメンを食べたいときは
     数ある京都ラーメンを食べずに、京都駅ビルの上の方の 坂内食堂へ行きます。
 これまで
   唐橋さんや坂内さんが多い 喜多方だから 
     有名人が出ても気づかなかったし、気にしなかったが・・・

この 喜多方ラーメンを 売り出しての町おこしも、 唐橋市長の時代であった。
    無題


  町外れの 銀杏のきれいな 長床(ながどこ)の改修保存で 重要文化財に残してくれた。
     fukushima_18.jpg

  温泉地 熱塩温泉までの、喜多方ー熱塩の間の「日中線」廃止も、その線路跡地を舗装整備して
  サイクリング道路として 桜を沿道に植える運動を応援を始めたのも その時代であった。
      52510_l.jpg

  埼玉県鴻巣の旅行会社の案内
      no36.jpg

  設立の経緯 看板
   blog_import_57c56e0f71db4.jpg

   




     



  
スポンサーサイト
2017.04.12
コメント記入欄