今朝の『読売新聞』に 大岡 信先生の ご逝去が伝えられていた。
  私が 教職でお世話になった 埼玉県立春日部工業高校の校歌を作られた先生であり、
  私が 在職中に文化勲章を受けられ、お祝いのお手紙を差し上げたところ喜んでいただき、
  私の異動後も、下記の 一般の講演会にも出かけさせていただいた。 再掲しして感謝とご冥福を祈りたいと思う。




お元気で、大岡信先生!「折々のうた」最終講義////////////////////2007年07月03日18時05分

 大岡信先生の、最後の「折々のうた 講演会」に有楽町マリオンへ出かけた。1ヶ月まえ、瀬戸内寂聴さんのお話を聞いた同じ席に座った。B8である。ゲストの谷川俊太郎、小島ゆかりさんが目の前最前列に来て座った。
18時15分 開会
 79年以来、6762回の長期連載が3月末に終わった朝日新聞の第1面コラム「折々のうた」の大岡信先生の「折々のうた ことばの宴におわかれ」開催された。  
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 明日発行の「朝日新聞」の記事ではこう書かれる。
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 「紙面で紹介した古今の名詩歌句をより深い鑑賞に導く講演会を大岡さんが始めたのは83年。季節ごとに開いてきた。
 第98講となったこの日は、大岡さんの講演と、詩人の谷川俊太郎さん、歌人の小島ゆかりさんを交えた鼎談の2部構成。詩歌をめぐる熱い語りを約800人が惜別の思いとともに聞いた。
 会場ロビーには、大岡さん自選の2100回分を収録した最新刊「精選 折々のうた」(全3巻、朝日新聞社刊1万円弱)も並んだ。」

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2007年03月31日01時33分の朝日新聞
 大岡信さん「折々のうた」最終回 6762回、惜しむ声

 詩人の大岡信さん(76)による本紙1面の連載「折々のうた」が31日、最終回を迎える。朝日新聞創刊100周年企画として始まったのが、1979年1月25日。古今の詩歌を縦横に取り上げ、足かけ29年に及んだ長期連載の終了に、「毎朝一番に読む記事だった」「寂しくなる」などと惜しむ声が、全国から寄せられている。
 何度か休載期間をはさみ、最終回が6762回目。約4600首を集めた「万葉集」をはるかに上回った。大岡さんは、はればれとした表情で「とにかくおしまいまで来られて、ほっとしています」。
 「『折々のうた』は短歌、俳句、現代詩から漢詩、歌謡まで、ジャンルの枠を取り払った、日本の詩歌の広場。『台湾万葉集』など、あまり知られていなかった作品に光を当てたことも大きい」と、朝日歌壇選者の歌人、佐佐木幸綱さん。
 大岡さんによると、連載当初はまだファクスがなく、毎日オートバイで原稿を運んだ。このため長期の旅行は見合わすほかなかったという。ファクスの普及で旅行はできるようになったが、今度は重い資料を抱え、毎日宿泊先から入稿するあわただしさ。
 「そんなふうにしながら、よく続いたなと思う」という友人の詩人、谷川俊太郎さんは、「折々のうた」はある時期にアンソロジー(精選集)を「卒業」したとも指摘する。「よい作品を選び出すということから、毎朝、詩の言葉を味わわせてくれることへと、連載の意味がシフトした」
 俳人の中西夕紀さん(53)は02年に自作が取り上げられた。「広い視野をもつ人に認めてもらって、とても励みになった」と語る。
 連載終了のお知らせが26日に出ると、全国の読者から声が寄せられた。岩手県釜石市の主婦、浦田厚子さん(55)は「心からお礼を申し上げたいです。難しいことをやさしく丁寧に解説してくれたのがうれしかった」。
 東京都江戸川区の主婦、五十嵐公子さん(76)は、「一日の初めに真っ先に読んで、元気と幸せをもらっていました」。
 北海道恵庭市の無職、前田貞治さん(79)は「これから寂しくなりますな」と残念がった。谷川俊太郎さんも「身近な人が立ち去ってしまうような気持ち」と、連載終了を惜しんだ。

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 大岡先生、身体をこわして一時「折々のうた」を休まれたが、実はその後の体調も良くないようであり、潮時を考えておられたようである。今日は流石に登壇にステージ上は、やや足を引きずるようであったし、演壇には椅子に座って話された。ろれつもやや回らない様子であった。もどかしく手振りの繰り返しが多かった。その様子を、朝日新聞福井県版で坂本氏が、先日の6月26日紙面に、3月16日の大岡先生の様子を紹介している。

 大岡先生、無理せず、適度なお仕事を。

2007年06月26日の 福井県版朝日新聞 「あしたは晴れ」から日本文芸家協会会員坂本満津夫さんの寄稿
 「大岡信さん また元気な姿を」

 第37回高見順賞の授賞式が3月16日、東京・飯田橋のホテルであり、私も招かれて出席した。受賞作品は岬多可子の「桜病院周辺」で、参会者はざっと150人ほどだった。
 しかし、私が書きたいのは、賞のことではない。大岡信の窶れようについてである。
 財団法人高見順文学振興会の理事長として、表彰式で壇上に登った大岡さんを見て、あっと思った。足がもつれて介添人に支えられてやっと立ち、賞状授与の言葉ももつれ気味で、見るにしのびない感じであった。
 脳梗塞の後遺症があるのだという。
 昭和6年生まれの大岡さんには、同世代人の輝ける星として、あこがれの気持ちもあって、その著作は初期から買いあさってきた。書棚2段に100冊余りがぎっしりと詰まっている。
 中でも精読してきたのは、朝日新聞に連載した「折々のうた」である。
 岩波新書の第1巻は80年3月21日第1版発行とあって、“あとがき”によると、「本書は79年1月25日朝日新聞創刊百周年記念日から、同紙朝刊に連載されているコラム『折々のうた』の一年分をまとめたものである」とある。
 その岩波新書第1巻の最初には「石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも」という志貴皇子の歌が取りあげられ、5番目には「鳥籠をしづ枝にかけて永き日を桃の花かずかぞへてぞ見る」という山川登美子の歌が引例されている。
 季節にひきつけて春のうたを取りあげたのであろう。注釈には「艶麗だが、ふしぎにも三句目以下は倦怠の翳があって、孤愁に耐えているような寂しさも漂う」と書いている。
 「折々のうた」の中身に分け入ってあれこれ書いたらキリがない。収まりがつかない。
 そこで大岡信のことに話を戻すと、私がはじめて大岡信と面談したのは昭和60年3月15日。赤坂プリンスホテルであった。氏の名刺にそう書いてある。これも高見順賞の当日で、高見秋子夫人の紹介であった。大岡さんは5人いる選考委員の1人であった。それからでも22年がたつ。
 大岡さんの仕事ぶりは周知の通りだが、日本芸術院会員、文化勲章受章と、文人の最高位に上りつめた。そして28年も続いた「折々のうた」は07年3月末で終わった。来年の高見順賞の席には元気な姿を見せていただきたいものである。



校歌の作詞者 (朝日新聞 投稿) 春日部工業高校 教頭 加藤雅喜

 2007年07月03日18時05分、朝日ホール。ゲストの谷川俊太郎、小島ゆかりさんが、私の目の前、最前列に来て座った。10分後 、いよいよ79年以来、6762回の長期連載が3月末に終わった『朝日新聞』の第1面コラム「折々のうた」の作者、大岡信先生の「折々のうた ことばの宴におわかれ」が始まった。
超満員の会場は、大岡先生の、小さな声で始まった講義を一言も聞き逃したくない、一挙一動を見逃したくないという雰囲気で満ちあふれていた。
最後の講義と第二部の鼎談については、報告記事で書かれると思うので省略するとして、私はその日、機会があったら是非先生に感謝の気持ちを伝えたいと思っていた。が、閉会後もその機会に恵まれなかったので、記事担当者や読者にも知っていただきたいと考えて文章を送付することにした。
 
 東京オリンピック開催準備のまっただ中に開校した埼玉県立春日部工業高校は、2年後に伝手を頼って大岡先生に校歌を依頼した。快く承諾された先生は、早速来校され、校長らの案内でようやく校舎が整いはじめた本校と、校舎脇を流れる古利根川に都鳥の飛ぶ風景を見て、近代技術と伝統のワザ、発展と継承、時間と歴史、工業と自然を対比させながらも、時代を牽引する若い力に大きな期待をかける歌詞を創作された。今から43年前であるが、斬新な言葉遣いもあり、若者に受け入れられやすい若々しい表現であった。それ以来、本校の在校生、卒業生9、500名余が歌い上げ続けてきて、先生方の指導と生徒の努力の積み重ねで、不況にも強く資格取得でも、埼玉県第一、関東でも有数の工業高校と成長している。
 私は、3年間の在職中には、集会のたびに校歌を生徒と一緒に歌い、卒業式のたびに同窓生ともうたった。校長はいつも歌詞カードをポケットに入れて歌っていた。ちょうど大岡先生の文化勲章受章の年にあたっていて先生にお祝いと感謝の手紙を送らせていただいたところ、お葉書を頂戴した。早速、教員・生徒・保護者へ「学校だより」で紹介させていただいた。作詞者の期待に応える大きな声で歌おうと呼びかけた。大変いい反応があった。新天地を切り開く若者の意気込みを評価し、大きな期待を持っている先生の校歌と良い生徒・教員・保護者に恵まれて幸せな在職3年間であった。

 直接お目にかかれないまでも、近くから感謝の拍手をおくりしたい と思って出かけたら、
 最後の講演で選ばれた短歌は、第一回と同じものを繰り返してと選ばれたもので、大きな海原に船出して、親を越えるために西洋の文化を学び挑戦しようと、心細い中にも希望・大志をもって行く若者、高村光太郎の短歌であった。
   海にして 太古の民の おどろきを われふたたびす 大空のもと
「そうか、先生の気持ちはいつも若者激励であったんだ!高村光雲の彫刻を抜こうとする気持ちは、伝統のワザを継承してついにはそれを越えていく工業高校生と共通するものがあって、きっと多くはない、校歌の作詞をお引き受け下さったんだ。」と納得して、会場で涙ぐむ位であった。私もそんな思いで生徒に接していたなあと。
 先生ありがとうございました。 自分ももう1年で退職ですが、 
  機会を得て春日部工業高校の人に知らせますと。

 大岡先生もそのように言っておられたが、
 私も何か肩の荷が下りたような気持ちで「良かったわねえ」「先生もお元気だから安心したわ」といった声に囲まれながら会場から家路へ向かった。

  埼玉県立春日部工業高等学校 校歌   大岡 信

1 風青く澄む古利根の みどりの胸にはぐくまれ
  ひとみはるかに こらしつつ 学ぶ世紀の新知識
   たたえよう 友よ 青春の われらが春日部工業高校

2 機械よ電気よ建築よ 湧き立つ雲よ 筑波嶺よ
     古い工(たくみ)の伝統を 運ぼう明日の空高く
   たたえよう 友よ 青春の われらが春日部工業高校

3 しのぶむかしの 都鳥 いまは河面をかすめゆく
  宇宙世紀のシグナルに こたえる製図よ 実習よ
      たたえよう 友よ 青春の われらが春日部工業高校

4 砂丘の松に 風薫れ 友のうれいに歓びに
        肩組みかわして 歌いあう 三年(みとせ)の春の花の色
         たたえよう 友よ 青春の われらが春日部工業高校




朝日新聞の河村泰志さんからのお手紙 

 大岡 信 先生の講演を聴いての感想(上記 投稿文)に、朝日新聞社事業本部の河村さんから次のお返事をいただいたので、大変有り難かった。あえて、感謝の気持ちで掲載させていただきます。

加藤雅喜様                   2007/7/13

 前略、大岡信先生の講演会について、心温まるお手紙をありがとうございました。校歌作詞の経緯や最近の交流など、感銘をもって読ませて頂きました。また、最後の講演会をそのような深い思いでお聴きき頂いたこと、マネージメントを担当した者として、本当にうれしく、感激でございます。重ねてお礼申し上げます。
 
 小生、長く新聞記者をしておりましたが、ここ数年、メセナ・スポーツ部で合唱・吹奏楽の朝日新聞社側の窓口をしたり、朝日賞など賞ものの事務局をしたりしております。そうした仕事の一つが大岡先生の講演会のマネージメントで、20回にわたって担当してきました。
足かけ25年にわたる講演会をいかに終えるか、が難問でした。おかげさまで、多くのお客様に来て頂き、谷川さんも小島さんも素敵な方で、大岡さんも言葉少なではありましたがリラックスして会話に加わっていらしたようでした。無事に終わって本当にホッとしております。私も肩の荷が下りたような気持ちです。
 17日の特集ページも形になってきております。どうぞお読みください。
 
 全く私事ですが、小生の父も地方の工業高校で教頭、校長をしておりました。「学校だより」に書いたり、生徒に呼びかけたり、運動部員が大きな声で歌ってくれたのを喜んでおられる様子など、父の姿が重なるようで、そのことも感銘深く読ませて頂きました。
 このお手紙、大岡先生にもお見せしたいと思います。ご了承ください。
  以上 お手紙のお礼まで。                         草々

〒104-8011   東京都中央区築地5-3-2
              朝日新聞社事業本部メセナ・スポーツ部  河村 泰志




  上記のように  私は 良い人生をある人に 多く巡りあえてきたように思う。 
       感謝する そのお一人が大岡 信先生であった。


     
  ご冥福をお祈りします。


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2017.04.06
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