漱石の写真と言えば、この喪章をつけた写真だろうが、
  明治天皇の薨去に伴う 大喪の時の写真である。

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  病気の温泉療養を目的にした、天野屋逗留であったが、
  一高時代の親友、満州鉄道総裁の中村是公らの見舞いを受けていて、宴会も甚だしかったようだ。
  
●今年の『サライ』1月号の特集に こんなことが紹介されていた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  「暮れ以来、左の肩と腕に鈍い痛みがあり、マッサージしたり入浴して温めたりしてみても治らない。痛みから眠れない夜もあり、元日から東京朝日新聞紙上に掲載をはじめた『点頭録』も通算9回で中断せざるを得なかった。この評論は、「天寿の許す限り奮励する心組みでいる」という自身の心境に始まり、折からの欧州戦争に目を注ぎ、軍国主義に異を唱える内容となっていた。
腕の痛みは神経痛かリウマチのようなものと思われ、湯河原ではゆっくりと温泉につかって療養するつもりだった。漱石の妻・鏡子は「腕が使えないと何かと不便ですから、看護婦さんでもお連れになったら」と進言した。漱石はしばらく考えて、「まあ、やめておこう。とかく男と女のことは、はずみというやつがあって何があるかわからんからな」と答えた。漱石、このとき齢50。自分を含めた人間というやつの弱点も充分に知りつくしていて、予め危険を回避する道を選んだ。「君子危うきに近寄らず」といったところ。漱石先生、あくまで真面目なのだった。

 漱石の天野屋滞在は、20日余りにおよんだ。
 ところが、2月の初め、鏡子は様子を見に旅館を訪れてみてビックリした。
そこには、漱石の学生時代からの旧友で満鉄総裁の中村是公とその同僚の田中清次郎、そして芸者がひとりいて、皆で昼食をとっていたのである。芸者は、田中が連れてきたもの。中村是公も、当初は何人かの綺麗どころを従えていたらしい。彼らは漱石の見舞いと称して数日前から天野屋へ乗り込み、先に床につく漱石の安眠を妨げていた。漱石はこともなげに、それを受け入れていたのだった。」



漱石が 「天野屋」に残した書額・・・・ 近年の廃業の際に、どうなったのか不明
   「山 これ山  水 これまた 水」と 読むのか。
   いかにも 奥湯河原温泉の「天野屋」周辺をうたったものらしい、句を借りて書いたもの。

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明日の NHKの 漱石の満州取材旅行を含む番組は、
  この満州日日新聞の 寄稿文章が発見されて、それに基づいた取材・表現になっている。

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2016.12.09
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