朝 先端が黄色くなってきた
    湯河原町の駅前のさくらを見て
   電車に

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こからは 25日 夜に書いています・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小田原のお寺を訪ねて、土肥実平のことについて教えて欲しいとお願いしたら
  「先代とちがって、私は良く分からないので・・・ 実平のことも、相模国風土記稿に書かれているというだけで、
   詳しいことは分からない。お位牌はない。また命日の書かれたお墓のことも知らない・・・」とのお答えであった。

そこで
 「12月に 私は来られないが、土肥会の役員がそれらを見学・参拝に来る予定なので、よろしくお願いしたい。」
 ということはご承知願って、
 早々に おいとましてきました。

そのあと、私は それらしいお墓がないかと、見当を付けて、階段状の墓地を登り、
  一発で 「實渓大眞大居士」の彫りの入った 石塔を見つけ出しました。
  長年、こういうことをやっているので、 だいたい当たります。きょうも、大正解!

お参りしてから  彫り文を解析したいので、石柱の三面の15枚余りの写真を撮影して、
 お参りして 帰宅。

ごご、2時からの町役場での会議を前に 半分読み解くことにして
 昼食。
 1時半から出かけて、町役場からは 午後4時すぎ帰宅。
 夕方まで、夕食後 再開して・・・・
  
  とんでもないことに 気づきました。

それは、この春に土肥会で発行してもらった、小冊子に、土肥実平の命日のことで
  解説したことが、間違っていたということです。
  申し訳ないことで、訂正しないといけません。

お寺には 土肥会会長名で、土肥会の公式な依頼状を送り、見学参拝を願ったのですが、返事がなく、
  再度 依頼状を出したのですが これにも返事がいただけないままに、
  小冊子発行の締め切り日が近づいたものですから、
  土肥会の先人の研究本にある資料を、そのまま信用して、解説をしたのですが、
  
  きょう、 写真で 解読してビックリ。
  『新編相模国風土記稿』で書かれた内容も、土肥会の先人の本の記載内容とは
  まったく 違った彫り文が書かれた 供養石塔だったのです。

  きょう私が見た その土肥実平の供養石塔は、どう見ても、
  上記二つに紹介された年号を読み取ることが出来ませんでした。
  自分で確認しないことを 簡単に 紹介するものではありませんね。失敗です。



 その一方で、深夜~今朝、手に入れた「伊能忠敬測量日記」の自筆本コピーは、
   湯河原~眞鶴にかけての新知識が得られました。 これは うれしいことです。
   また、城願寺のことも 伊能忠敬は、この日記に書いてくれています。
   そして 城願寺の土肥実平一族の墳墓も参拝していることを ハッキリ記録しています。
   うれしいことです。

 私は どこへ旅しても 細かい記録や感想も どこにも残していないことを考えると、
   この 測量日誌を書いた 伊能忠敬の記録クセには 感謝しないといけませんね。

早速 26日に 城願寺で 小田原の皆さんにお話しをすることになっているので、

  ①小田原のお寺の供養石塔の、実平の命日について、
  ②伊能忠敬がお参りした時の様子を、その日記そのまま印刷して解説することにしました。

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  二つのこの話を、今日知って、明日話すという ことの面白さ。
  自分の目でみて、確信してから話すことの大切さを再確認しました。

  きょうは 充実していましたね。


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2016.10.25
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