西陽も厳しく、きょうも 暑い日になりました。8月3日は
  
  ココ 湯河原では、「やっさまつり」 2日目で、
  新作の踊りが 昨日とは 別会場の 
  海岸から鍛冶屋へ行く通り(幕山公園通り)で おこなわれます。6時から7時30分まで
  
   そして 花火も上がります。8時から8時30分まで

    28やっさ

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BSのテレビでは 新潟県長岡市の 大きな花火大会が中継されます。
  直径三尺玉:約1mを 上空へ打ち上げます。 花火の開く音は大きく 
  最後に、ワンテンポおくれて お腹に響く振動で ドーンと来ます。
  昔は 信濃川長生橋を使った、ナイアガラの花火が、有名でしたが、今は 大きな三尺玉の方が有名でしょう。

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  長岡市の南隣町に「片貝村」(今は小千谷市片貝町)が あります。
  新潟市に住んでいた わたしにとって この「片貝の三尺玉」こそ、昔から有名でした。
  今では、9月上旬に あげられています。(今年は 9月9日だったかな?)
  長岡から 一ヶ月遅れでの花火大会なので、観光業者も、大混雑では無いバス旅行を
  うたい文句にしています。一度 お調べください。
    私が高校生の昔は、
   「小千谷の「へぎそば」は長く、東の栃尾の油揚と 西の片貝三尺玉は大きい!」と 
    印象づけられたものでした。

 片貝の三尺玉花火
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  その片貝は、関越自動車道のトンネルを抜けて信濃川を横切り。小千谷ICを過ぎて登り、
  山谷のPAを通りすぎて、右手に 大きな越後製菓の片貝工場が見えてきて、ながーいい 直線道路に入ったら
  左手に低い丘がつづきますが、その丘陵のふもとが 片貝です。
  そこで、この大きな花火が毎年打ち上げられてきました。

その片貝村の一番北の方が 「八島」地区です。
  私は 花火の季節になると、或いは 関越を運転して通ると、大雪の降る昔は 貧しかっただろうこの小さな山村で、
  どうして こんな大きな花火が揚げられる財力が この村にあるのか、不思議でした。(今も 理由が分かりません)
 
  それはそれとして、そこを運転するときは、ある人物を思い出しもします。
  その「片貝の八島」の出身で、日本橋に出て苦労して 
  明治の中頃には まだ珍しかった洋傘店を成功させて、ひょんなことから湯河原温泉の奥に土地を購入して
  別荘地を売り出し、温泉も掘り当てて 自分も温泉旅館の経営に携わった人物がいたことを思い出します。
  自費を投入して、今の 大滝ホテル前から、広河原(いまは 奥湯河原といいますが)まで、川沿いに、苦心して
  道路を作って行きました。
    後に、しとどの窟入口、土肥の大杉入口を通る箱根行きの「椿ライン」や
    十国峠への「湯河原パークウエイ」の出発点を 作った努力の人です。湯河原町観光の恩人です。

  私も 高校を退職したのちに、有志の先生方に来てもらって、その旅館でお祝いの宴を開いてもらいました。
  越後国片貝村八島の農家に生まれ、奥湯河原の温泉開発に尽くした 湯河原町の恩人
  高知尾健次郎、その人です。 温泉旅館は、青巒莊です。

  高知尾健次郎さんは 子供の頃から 片貝の大きな花火を見ていたのでしょうか?
  いつも、関越自動車道路を運転して通ると、また、湯河原の花火を見ると、この人の名前を思い出します。

きょう その湯河原の花火が上がります。
  もちろん、私は会ったことがありません。私が小学校三年生の頃(私が、石川県から新潟市へ引っ越して
  来たころ)
  健次郎さんは 湯河原でお亡くなりになりました。 83歳。 昭和33年のことです。
  熱海市泉の天樹院に葬られたとのことです。
     私と同じ 新潟県出身者として、一度 墓参したいものです。







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2016.08.03
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