今年の7月9日の このブログで紹介した
   入手した「絵はがき」2枚。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私は こんな風に紹介しました  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょう届いた 絵はがき が一枚あります。
    これが どうしても欲しかったのは 理由があります。

大手の絵はがき販売店「ポケット ブックス」社の 
   その参考になったのが 下の二枚 うら・おもて   

s37121jougannji.jpgxj5557.jpg

su3712.jpg             xju5557.jpg

 インターネットでは よく見る 絵はがきです。 湯河原町 城願寺の 土肥氏一族の墓地です。
 こういう絵はがきは、昔の歴史を明らかにする証拠写真になりますから貴重です。

 しかし、この裏面が 色々と教えてくれます。
   今回 この絵はがきを買ったのは その使われた 消印のある絵はがきだったからです。




 さて、歴史的に大事だという この絵はがきの製作年代は いつのことでしょうか?

  ① カラー写真ではないので どう考えても 1945年、つまり第二次大戦以前ですね。

  ② 撮影した年や 印刷した年次は 分からないでしょうか? 
    時々 説明文や裏面の宛名蘭に製作年のヒントになることが印刷されていることがあります。
    例えば 発行写真館の名前とか電話番号とか・・・たとえば[湯河原町電話3番]とあると、
    いつのことか年代測定に役立ちます。
        この上の の写真には、
    THE TOMB OF TOH IーSANEHIRI OF JOGWANーJI YOGAWARA とあります。

      この上の の写真の切手を貼る部分には
    「商標 東京芝松本町 日新社製」 とあります。
 ココに 聞いてみると発行年代が分かりますが・・・・、
     残念ながら こんな名前の会社は、現在、インターネット検索でも電話帳にも確認できません。

  ③ 次は 写真に写っているものです。人物です。大きな手掛かりになります。
     この上の 二枚の写真の人物は 平常ではない服装です。
     男性は、僧侶の服装です。 女性は、和服です。 ふつうの観光客や参拝客ではありません。
   ここは城願寺ですから 男性は住職さんということになります。右の女性は 住職の奥さまでしょう。
     そう 推測することが出来ます。
       
  ④ そして 一番決定的なものは・・・・ 郵便はがき に切手が貼ってあって 記事が書かれて
    何処かへ出されて いるということです。 
    消印スタンプから 年月日が 明らかになります。購入されて投函された場所が分かります。
    時には 書かれている内容、宛名の人物、発信人の関係も明らかになります。
    興味津々ですね。
    
    実は、この右の女性の写真絵はがきには、
   裏面 
    他の絵葉書から転用して 会社名が分かるものに差し替えて、皆様に見てもらったのですが、
    切手も、宛名も、投函した人物名、消印が二つあり、年月日が分かるという貴重なものでした。

    湯河原から東京へ出されています。

   このあとの、絵はがき使用者の調査分析は また次回に紹介します。


きょうは 写真を撮ってきたので 皆様にお目にかけます。
 
  ①一見すると 後方のならぶ 墓石の建っている位置・形などは 変化が無いようですが、
     じつは 違っています。(分析は 後回しにします)

     現在の墓石1

  ②しかし、この下の写真のように、決定的に違うところがあります!
      それは 実平・遠平の五輪塔を示す、墓碑名を書いてある墓石建っている位置が違います。   
 
     現在の墓石2

    いったい これは 一体どうしたことなのでしょうか?
    墓碑銘を書いた石が、今のように 手前に大きく動く前は、
    後ろの五輪塔群のうち、正面の丸穴のあいた五輪塔ではなく、
      それより向かって左隣のやや小型の五輪塔の前に「實平墓」の石柱を建てています。
      さらに その左の(五輪塔ではなく) 五層塔の前に「遠平墓」の石柱を建てています。
    
    現在の 私たち土肥会や、城願寺が、
    当然、正面中央にあり 丸穴のあいた一番大きな五輪塔を、実平の墓または供養塔と考えています。
        (卒塔婆の位置や線香台の位置、立花の石の位置がそれを表しています)      
    当選、その右隣の 二番目の大きさの五輪塔を 子の遠平の墓または供養塔と考えていますが、
    
    この「絵はがき」の写真が撮影された時代には、そう考えておらず、
    左に寄った五輪塔と五層塔を、それぞれ實平の墓、遠平の墓として、標示の石柱を立てて
    拝礼していたことが分かります。
    二つの「絵はがき」が、共に、實平・遠平墓という標示の石柱を 向かって左に建て、
    女性が水を注ぐ 竹製の花立ても 同じ位置で、同じように傾いていますから、この写真を
    撮影したときは、墓石整備工事で移動した臨時の位置とか、仮に置いたのではないことが
    分かります。
    両方の「絵はがき」は、なぜか、同じ印刷所、同じ「絵はがき」出版社から発行されたのでは
    無いことが、①写真の下にある説明文の印刷位置や、英文の有無、説明文の表現の仕方が
    違います。 ②宛名面の説明英文の書き方や、切手貼り位置の標示が違っています。  
    ですから 撮影時期は 同一時の撮影か、数日~数ヶ月の差があるかもしれませんが、異なる
    会社から発行されていることが解ります。

 だれが いつ、この墓石柱を どのような根拠で、その位置に立てたのか?
    それが なぜ、その位置から手前に出されて 墓区域の左右の門柱のような働きをする位置へ
    動かされたのでしょうか?
   

  ー次回へ つづくー  と書いても、私の結論は出ていません まだ!
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2016.08.02
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