今月、永六輔大橋巨泉の訃報が ありました。

ご冥福を祈ります。 いま 私の記憶 自分の生活を振り返ると、


   ○ラジオの 永六輔
     永六輔 
 
   ○テレビの 巨泉という印象でしたね。
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   この時代の 野坂昭如 青島幸男 はかまみつお 前田武彦  愛川欽也 といった面々でも

   永六輔は 日本古来の精神 習慣 制度の見直しで 残すものは残し、
        変えるものは 変えるという 国内 のラジオ 中心の行き方であった。
      尺貫法」を一方的に「メートル法」に変えるというだけでなく、
          政府の尺貫法の物差し・桝(ます)・秤(はかり)などの
          道具さえ使用禁止にするということに、行き過ぎだと 
          反対運動を続けて、併用を認めることに和らげたのは、彼の力でした。
           あのときに、全ての日本古来の伝統に基づいた それらのハカル道具を
          廃棄してしまったら、今の世界に誇る「和の伝統文化」は 消滅していたはずだ。
          政府のやり方は、YESか NOかだからだ。 (アメリカのトランプ候補みたい)
       近くは
        円周率 3.14を 3 にして教えるんだと 平気で言いだしたのも 政府だからね。

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      ちょうど 昨日図書館で写真を撮ってきた資料が 手元にあるので、話を紹介しておきましょう

       昭和3年12月、ここ湯河原の役場で、教育に徹底させようと示した施政・教育指針がある。
       その一つに こうあって、一朝一夕には 変更できなかったので、戦後、再度の督励をはかり
       上記の、尺貫法の秤道具を使用してはならないという政策に出た政府に、永六輔は反対した。 
       一、メートル法の宣伝
          昭和3年7月1日より 県下一斉に実施せられたる際、戸ごとに配布したる
          メートル法と旧法との比較表により励行すること。


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  大橋巨泉は  一番の自由に言いたいことを言って やった人だろう。
        それも 海外へ 目を 受けさせる 大人の余裕ある生活を紹介した。

永六輔 大橋巨泉 その他の面々も 活躍場面を すみ分けを しての 人生だったが、
    それでも 一番エネルギー溢れる生き方をやって見せてくれた面々であった。
    驚くことに、
    いずれも 歌謡曲であれ、ジャズであれ、
    この人達は、歌や曲を、提供している 作っているという共通点があったことには驚かされる。 


    また、残された奥さんの報道機関へのメッセージは良かった。
    愛情あふれる 心を持っていた巨泉の生き方が伝わってくる。
      ※ ↓この下の「追記」に転載しました


都知事選に立候補する人達
   いま、鳥越さんにも そういう 大きな夢を 話して欲しいね。 小粒になったということかな。




  この度は夫・大橋巨泉の逝去に当たり何かとご配慮をいただき、誠に有り難うございました。
本来は、私がインタビューをお受けするべきかとは存じますが、結婚以来47年、何処に行くのも、何をするのも一緒でという生活を重ねてきたのでいまだに心落ち着かず、皆様から優しい言葉をかけられるとすぐに涙で声が詰まりお話しできなくなります。そこで失礼な事は重々承知しているのですが、このコメントをインタビューに代えさせていただきたくお願いいたします。

「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげて下さい」

皆様方も良くご存知のように夫は自他共に許す“わがまま”と言われ、痛い事やつらい事、待つ事、自分の意に染まない事は“避けて通る”というわがままでした。

そんな夫が2005年に胃がんを手術、2013年には第4期の中咽頭がんで3度の手術と4回の放射線治療、昨秋には2度の腸閉塞と手術を、そして4月の在宅介護の鎮痛剤の誤投与と続いても、12日までの約11年間の闘病生活を勇敢に戦って来ました。特に4月からの3ヶ月間は死を覚悟し、全てを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました。

先生からは「死因は“急性呼吸不全”ですが、その原因には、中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。もし、一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与が無ければと許せない気持ちです。

病状ですが、5月までは希望を持っていましたが、6月には体力の衰えが見えて、7月に入ると眠っている時間が長くなりました。それでも娘や孫達の見舞いを受けるとニッコリと笑顔を見せていました。その頃には会話をする気力もなく、頷いたり、手を強く握ったり、目元や口元の動きなどで意思を伝えてくれました。

そして最後は眠ったまま静かに旅立ちました。

たぶん、若くして亡くなった大好きな母親の迎えを受けての旅立ちだと思います。
それから永六輔さんの訃報は、ショックの大きさを考えて伝えませんでした。
素晴らしい看護スタッフに恵まれて、本人ともども心から感謝をしています。

そして何度も電話や手紙で励まして下さいました多くのファンの方やご友人と、優しい大橋家の家族たちには改めてお礼を申し上げます。

最後に孫の言葉を添えさせていただきます。
「ジージ、これからはただで何処へでも飛んで行けるね!ニュージーランドでもカナダでも、でもバーバの側にもいないとだめだよ!」

2016年7月20日
大橋寿々子
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2016.07.22
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