(7/16のつづき)

箱根湯本駅前の手前にかかる 
  江戸時代の東海道
  芭蕉を始めとして 多くの大名 武士 商人達が 
  旅人として通った道。 
  明治に入って 橋が架けられたときの 古い絵はがき写真が公開されています。

早雲寺前を通って、正眼寺から、つづら折りの坂道を登って 畑宿をめざしていくわけです
     左下 ↓ に欄干がある三枚橋があります。
  

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 三枚橋を渡った河岸段丘の上には 茅葺きの家が 並びます。
 この左↓早川にかかる橋です。道路標識にも 「←畑宿」と標示されています。
 

三枚橋

上の写真の左奥に 「湯本富士屋ホテル」が 見えます
  下の写真で、手前が「箱根町役場」、奥が 「湯本富士屋ホテル」です。
  一番上の絵はがき写真の茅葺きの家のならぶ台地上です。

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  この、富士屋ホテルの所に 1964年の東京オリンピックの頃まであったのが、
  「箱根三昧莊」でした。


  三昧は 「んまい」や「さんまい」と呼ばれていました。 
   現代の回転寿司の店「すし三昧」と同じく、
   思う存分味わい尽くすという意味の 「んまい」という 仏教用語をつかっていました。

橋が一つなのに,、三枚橋とは?
 ①江戸時代、早川の川幅が広く、2つの中洲があり、3つの橋がつながっていたので「三枚橋」という。
 ②さらに、その三つの橋は、小田原側から順番に、「地獄橋」、「極楽橋」、そして「三昧橋」と呼ばれた。
    この橋を渡ると「早雲寺」は、後北條氏の菩提寺。
    この寺にたどり着くと、どんな罪人でも罪を免れると言われて、逃亡者特権があったと云う。
      (ホントかどうか不明)
    追手も小田原城下から追ってきて、最初の「地獄橋」までは追うが、中州を越えて、
    その後の「極楽橋」を渡っては 追わなかったというので、「地獄橋」と「極楽橋」と 
    呼ばれて、その次の三つ目の橋は「三昧橋」と呼ばれてて、
    その先は、仏道三昧に生きよという、鎌倉や新田の縁切り寺と同じ意味らしい・・・


私は 簡単に 箱根湯本温泉で 「湯治三昧」、「温泉三昧」で、心身ともに満足する意味での 
    本来の 温泉三昧が味わえるという意味で、
    その温泉地帯へ渡る橋で 「三昧橋」が、古い命名由来だとおもいます。

だから その温泉地に建つ旅館を、
  経営者の石村幸作は 「箱根三昧莊」と 命名したと思います。
  
  石村幸作は、1964年ではなく、中止になった戦前の東京オリンピックに海外からやってくる
    観光客のために、新しく 大きな旅館をココに建てたのでした。
    オリンピック中止につづく 太平洋戦争、敗戦で、石村のその夢は破れたのですが・・・・

    1964年東京オリンピックの前に、そこに泊まった、
    私の新潟市立寄居中学校 3年生の 記念写真を 近日中に紹介します。
    探し出したら、三昧莊の建物一部が 写っていましたから・・・

修学旅行三昧莊まえ






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2016.07.21
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