つづき

 ②私が中学校の時に 修学旅行に二泊目で泊まった 箱根「三昧莊」は、
    きのう(7月15日) その跡に行ってみていました。

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             左は 箱根町役場    右の建物です 湯本富士屋ホテルは。

    昭和38・39年に泊ったのですが、いまの、「箱根湯本富士屋ホテル」の所にありました。
    その後、昭和48年に「湯本富士屋ホテル」が開業していますから、その2~3年前に廃業したと思われます。
    湯本駅から 赤い欄干の「あじさい橋」を渡ると、「三昧莊」がありました。

    ↓ この左上にあるのが 湯本富士屋ホテルです。
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    もともと、昭和17年4月に 臨時東京第一陸軍病院箱根臨時転地療養所が開設され、
    当初は、ここ「三昧荘」を本部としたそうで、その時代のことは、戦時下の出来事として多くの
              資料(書類)が 焼却されて不明なようです。湯河原の療養所も同じく不明です。
    
    時代を反映していて
    早川に架設されている朱塗りの橋、今の「あじさい橋」は、戦前、軍の診療所であったことから、
    「ほまれ橋」と呼ばれていたようです。

東海道の通る宿場であり 温泉保養地でもあった、
    箱根湯本では、
    
    大正時代から 「大名行列」が、年中行事として箱根の名物になっていたようで、
    間もなく日中戦争が起こり、「三昧莊」で 療養中の、
    戦争で傷ついた兵隊さんが自分たちもと申し出て、
    義足で毛槍を振り、挟箱を担いで大名行列を楽み喝采をうけました。
    (しかし、さらに太平洋戦争へと戦火が拡がるにつれて遂に中止となりましたが・・・)
  
この傷病兵を慰問することにもつながった、また観光客に喜んでもらう、来湯、湯治客を増やすことを
    目的として、「大名行列」を始めたのが、
    この旅館「三昧莊」の主人であり、「箱根振興会」の主事で、
    後に参議院議員になった 石村幸作という人だったといいます。

    「箱根振興会」主事の 石村幸作という人が、湯河原の土肥会発足に関係しています。
    
    それは 
    昭和4年の暮れから、昭和5年の3月末の間に、急に 起こった
    湯河原での 「土肥会」の設立運動や発足。
    そして 後に上記の「武者行列」を始めようとする きっかけを与えてくれた人物だからです。

    そんな人物が経営を始めた「三昧莊」に、
    戦後、昭和38年頃、東京オリンピックの前の年に 
    私は、
    新潟市立 寄居中学校の修学旅行で、泊まったのです。
    和風の大きな旅館で、玄関まえのロータリーの植え込みの前で、記念写真を撮影しました。

   
 

   また、それについて ご紹介します。来週かな? 
 





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2016.07.16
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