酒場で歴史を語る会

江戸周辺の史跡旧跡を訪ねても、すぐに酒場に場所を移しての歴史裏表蘊蓄を語りあう「酒場で歴史を語る会」。仮の経営者が、足跡と今後の夢を記録する、魑魅魍魎単純明快の酒場。

軟水の京、糺の森の水が枯れる

 20年前に行った「糺の森」三柱鳥居の足下の水が涸れているということが、今夜の番組であって驚いた。
 10ch『宇宙船』田崎ソムリエが、京都の軟水、名店の井戸水を味見するというものであった。神主が案内する池は水がなかった。地下鉄の開通で、8mくらいから汲んでいた平野屋の豆腐、柊屋の井戸が80m、50mになっている現実の中で紹介された。

 今から十数年前に、太秦駅から歩いて出かけた時は、秋だったので落ち葉が水面に落ちていたが、水量は少なかったが池は厳然としてあった。湧水池の中に三本足の、斜め上から見ると三ツ矢サイダーマークに見える不思議なモニュメントが建っていて、夢中で写真を撮った。 
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有限会社 タクミワークスの糸巻きを使ったあんどんから 
 平安時代の景教(:キリスト教の一派)の遺跡であるとかの説明ガイドブックを見ていったのであるが、私は四角形でない、三角形の糸巻きに見えて、蚕の糸を伝えた秦氏が残した灌漑施設だと考えて戻った。広隆寺の弥勒菩薩を見て、踏切をわたったところの大きな石を使った古墳跡を見た後だったので、渡来人の系譜「秦氏」の秦=機織りのイメージで見てきた遺跡であった。
 が、それが、その水が枯れていた。便利になった京都地下鉄がそんな影響をもたらしていたとは驚きであった。
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 糺の森「蚕の社」とは・・・

 東京の「三囲神社」にも同じ三柱鳥居があるが、これは越後屋三井家寄進になるもので、呉服を扱う三井家の信仰が、養蚕の秦氏の本拠である太秦のこの神社を信仰していたことをあらわす。
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 本殿の西側に、四季を通じて湧水する神池がある。「元糺の池(もとただすのいけ)」と称される池で、「糺(ただす)」は、「正しくなす」「誤りをなおす」の意味。池の水は境内を流れていて、夏の土用丑(うし)の日に、この池の水に手足を浸すと諸病によいとされ庶民の間で厚く信仰されていたという。これは、平安時代に貴族の間に流行した身滌(身に、罪や穢れのあるときに心身を清める)という風習が庶民の間で採り入れられたものという。現在では、下鴨神社で「足つけ神事」として行われていて、多くのひとが訪れているという。という説明も正しくなかった。
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水が見える

 この池の中心に天保2年(1831)に再興された「三柱鳥居」が建つ。京都の三つの珍鳥居の一つとされていて、三つの石製鳥居を三角形に組み合わせ、中心に石積みの神座に御幣が立ち三方から拝むことができる。三方向は、北は双ケ丘、西は松尾大社、東は稲荷大社の方向で、いずれも秦氏ゆかりの場所(支配地域)である。
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落ち葉だけである
 
 ブログでは2003年には既に水がなかった。
思い出の鳥居が・・・・環境の変化が実感として残念である。

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「酒場で歴史を語る会」は、歴史好きそして酒好きの多士済々が、折を見て江戸の地を徘徊し、早々に酒宴で談論風発・丁々発止と相成ります。酒宴亭主が、足跡記録のため、日常の情報保存場所として開設しています。

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