八月十五日 それは 終戦記念日
 
 湯河原町では 毎年 町内放送で予告し 12時の1分間サイレンで 黙祷しました。
 
この日は なくなった父親は 「敗戦記念日」だと云っていました。
  私の父は 中国 南京事変から タイ ・ マレー半島、ジャワ島へ。
  その後 「餓島」といわれる悲惨な状況の ガタルカナル島へ。
    命からがら 迎えの最後の駆逐艦まで、深夜泳いでたどりついて、タイへ戻る。負傷傷を治療しつつ今度は西へ。     ビルマ インパールへ、雨天の熱帯雨林をインドへ向かうという作戦に動員されて・・・・ 帰りは これも命からがら 
    後に「白骨街道」とよばれる遺体累々の悪路を やっと タイへもどる。
 栄養失調と結核で 入院治療にあたっているところで終戦。
 
 20才で 新潟新発田連隊の入団以来、中国から一度帰国しただけで南方に転戦したので、
  32歳で帰国ですから  計12年間 
  終戦で 帰還するまでの 父の 戦いに明け暮れた青春でした。
  同期の兵は ほとんど生存しなかったようです。
  激戦 ガタルカナルとインパールの両方に参戦して生き延びた 私の父にとって 
  8月15日 その日は やはり「敗戦の日」であったのですね。

戦争というのは 若者の青春を奪う 命を奪うものなのです。 
  日本は神の国、屈辱に甘んじない国などと精神論をばかり口にする政治家は 自分の命を捨てません。
  
  久しぶりに その父親や、
  兄弟を戦争で失って「戦争遺族の家」という小さな標識を表札脇に留められた家で暮らした
  母親のこととを 思い出しました。

10年以上前に、学校を代表して姉妹校締結の交渉に行った マレーシアのジャングルを体験して
  数分でしたが、此の付近を行進していった日本軍、父の姿を見た錯覚におちいりました。
 今は、
  私の次男が ベトナムへ 仕事で出かけています。 祖父の歩いた路を

  
  


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2014.08.15
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Re: 旧日本軍歩兵16連隊

ありがとうございます。
実は 昨日 新潟を知っている人と話していて、新発田の話もしたところでした。偶然、きょう、おやじの事を思いだす切っ掛けを与えてくれましたね。ありがとうございます。
16連隊の父親は ガタルカナル島の敗戦で、最後の駆逐艦雪風?の迎えによる最後の脱出のあと、傷の治療と体力回復をラバウルの病院で静養して、次に インパールに行ったのでした。
 TVの出演者に お手紙を書いてみましょう。

> この間、たまたまディスカバリーチャンネルで太平洋戦争の番組を見て、いろいろ調べていたら、下記のサイトを見つけました。
>
> ビルマ戦元兵士 戦地で散った若い命
> http://www.nhk.or.jp/shutoken/miraima/articles/00161.html
>
> すでにご存じであれば恐縮。
> 同じ部隊だったんだろうなぁと読みました。

酒宴酒場の仮亭主 | 2016.11.21(Mon) 22:28:17 | URL | EDIT

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| 2016.11.19(Sat) 17:18:38 | | EDIT