このような細長い土地が、
 県道の南側に 連続して続いているのは、一体何を表しているのか?

そして、その土地が、地元の人達に売られて、自分の土地を道路に接して住んでいた人達が購入したのは、
 その日だったのです。
 登記朱入り
 青線内、
  大正6年12月14日です。
 
 この年は・・・・「東葛人車鉄道株式会社」にとって、大きな出来事があったのです。

東葛人車鉄道は地域密着指向であったが、前近代的経営体質が災いし大正以降は借入金に依存する経営で欠損を累積していった。そこで積極策を打ち出して、大正5年(1916年)に蒸気動力への変更と木下、浦安への路線延長を当局に申請した。
 しかしながら、軌道変更を余儀なくされる大正5年(1916年)から始まった行徳町を分断する江戸川放水路掘削工事、更に翌大正6年(1917年)に借入金返済目的で株主に無断で馬込-鎌ヶ谷間のレールを撤去売却したこと、更に同年10月の行徳塩田を壊滅させた大津波による軌道損壊も重なって、大正7年(1918年)には営業を廃止するに至り東葛人車鉄道株式会社は解散した。 
 以上、東葛人車鉄道の中山停車場、中山荷扱所、中山一区、木下街道、鎌ヶ谷荷扱所、そして行徳の河原荷扱所を実地踏査したが、当時の人車軌道跡の明確な痕跡は認められなかった。(1997年5月2,4日実地踏査)

  人車鉄道のHPで最も正確な、たぶちさんの記述から http://www.kk-net.com/~tabuchi/TOKATSU.htm

大正6年とは、東葛人車鉄道株式会社が、線路をハズした年で、翌年に全線廃業に追い込まれたことに繋がる年である。線路がハズして売られ、その土地の処理も緊急課題となって売却されたとしても不思議はないことである。

 奇しくも、私の義父の残した土地の処分で取り寄せた登記書類に、思わぬ「人車鉄道」の路線図が残っていたことを知ったわけです。
 このような土地の登記の地図から、人車鉄道の軌道位置を探る方法があることを紹介提言するものです
 さらに論考を 深めたいものです。


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2012.06.29
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Re: 人車鉄道のことで

> > 大変興味深いお話しでした。
> > 私は実家が下総中山にあり東葛人車鉄道の存在を知ったときは興奮しましたが、この路線の具体的な情報は他の人車鉄道と比べても極めて少ない印象です。そんな中、このブログ記事に出会えたことで、あのとき以来の興奮を味わっています。ありがとうございました!
>
> 東葛人車鉄道のことで コメントをいただきありがとうございました。
>  いま すんでいる湯河原も、松戸に住んでいた頃の柴又も、親の住んでいた船橋市上山町3丁目も
>  偶然、人車鉄道に関係する所であったことからの記述が このブログに沢山出ていますので、そのうち
>  まとめて 系統別に記述しておきたいと考えています。 その折には またの ご来場をお待ちしています。
>
>                                            筆者 加藤雅喜
>    
>    

酒宴酒場の仮亭主 | 2016.09.10(Sat) 14:05:31 | URL | EDIT

Re: タイトルなし

> 大変興味深いお話しでした。
> 私は実家が下総中山にあり東葛人車鉄道の存在を知ったときは興奮しましたが、この路線の具体的な情報は他の人車鉄道と比べても極めて少ない印象です。そんな中、このブログ記事に出会えたことで、あのとき以来の興奮を味わっています。ありがとうございました!

東葛人車鉄道のことで コメントをいただきありがとうございました。
 いま すんでいる湯河原も、松戸に住んでいた頃の柴又も、親の住んでいた船橋市上山町3丁目も
 偶然、人車鉄道に関係する所であったことからの記述が このブログに沢山出ていますので、そのうち
 まとめて 系統別に記述しておきたいと考えています。 その折には またの ご来場をお待ちしています。

                                           筆者 加藤雅喜
   
   

酒宴酒場の仮亭主 | 2016.09.09(Fri) 22:58:06 | URL | EDIT

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| 2016.09.05(Mon) 21:14:39 | | EDIT