2006.08/14 [Mon]
昨年の山田温泉八一の碑
山田温泉は、昨年の夏に訪問した。写真はそのときのものである。
1年ぶりに写真を整理していて見つかったので、追加立ち上げた。その由緒について書いておこう。
「山中高歌」は、秋艸道人こと会津八一が、大正十年夏、山田温泉風景館に滞在した時の作品で、その自筆を彫刻したものである。歌人としての会津八一の名を不朽にした処女歌集「南京新唱」に、山中高歌としておさめられた十首中の二首目。

碑は、高さ147センチ、幅65センチの善光寺産郷路石に、縦117センチ、横23センチの黒御影石をはめこんである。碑陰には山中高歌の前詞
「山田温泉は、長野県豊野駅の東四里(16キロ)の渓間にあり、山色清潔にして、嶺上の白雲も以って餐ふべきものをおもはしむ。かつて憂患を懐きて此処に来り遊ぶこと5,6日にして帰れり。爾来、潭声の耳にあるを覚ゆ。」
と刻まれ、
[秋艸道人山中高歌より、昭和庚戌(45)7月上浣関谷小四郎建之]とある。碑の台石は、八一が滞在した部屋の庭先に据えてあったもので、八一はこれに腰をおとしたこともあるという。
八一が山田温泉に来たのは41歳の時、文豪 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の節子夫人が神経痛の持病で療養のためにここに続けて、この温泉を、八一にも推奨されたことが動機となった。
▲会津八一 (明治14年8月1日〜昭和31年12月21日)
新潟市古町通り五番町生れ、76歳没。
文学博士・早稲田大学名誉教授、秋艸道人・渾斉とも号す
さらにHPには、この記事がアップされています。
「山田温泉沿革誌によると、明和元年(1769年) 今よりちょうど230年程前に、中山田村の関谷都作(風景館初代)が同僚2人とともに、現在の温泉より1,500M東方の松川辺に小屋を建て、足洗い場として営業を初め、その後、寛政7年(1796年)に湯本藤五郎、湯本庄左エ門他8名と、中山田村、奥山田村、駒場村(いずれも現在の高山村山田地区)の三ヶ村の協力で現在の地に引湯し、山田温泉の開祖と記されています。
以来、風景館には多くの文人墨客の方々にお出でをいただき、文学博士、会津八一先生ゆかりの地でもあり、また作家でもあり実業家でもあった菅原通斎先生がそのあまりの豪快さに心打たれた絶景地深羅峡「牛の牢」などが見所である。また若き頃の美空ひばりさんがご宿泊をされた「深羅荘・飛葉里の間」など・・・・・」
追記
早稲田大学に「会津八一記念博物館」がある。先日も、越ヶ谷高校のPTA進学見学会に出かけた折に、感慨深いところがあった。
二号館・旧図書館は、今日なお香り高い風格と気品をもち、近年、早稲田大学會津八一記念博物館として再生された。

インターネット百科事典では
新潟県新潟市に生まれる。中学生のころより『万葉集』や良寛の歌に親しんだ。新潟尋常中学校(現新潟県立新潟高等学校)を経て、東京専門学校(早稲田大学の前身校)に入学し、坪内逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講し、1906年早稲田大学英文科卒業。卒業論文にはキーツをとりあげた。卒業後は、私立有恒学舎(現在の新潟県立有恒高等学校)の教員となって新潟に戻り、多くの俳句・俳論をものした。1908年に最初の奈良旅行をおこなって奈良の仏教美術へ関心を持ち、またこの旅行が俳句から短歌へと移るきっかけともなった。
1910年に坪内逍遙の招聘により早稲田中学校の教員となり上京。1925年には早稲田高等学院教授となり翌年には早稲田大学文学部講師を兼任して美術史関連の講義をおこない、研究のためしばしば奈良へ旅行した。仏教美術史研究をまとめた『法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究』(東洋文庫、1933年)で学位を受ける。1935年、早稲田大学文学部に芸術学専攻科が設置されると同時に主任教授に就任する。妥協を許さぬ人柄から孤高の学者として知られるが、同僚であった津田左右吉が右翼から攻撃された際は、早大の教授たちが行動を起こさなかったのに対して、丸山眞男らによる署名運動に参加し、津田の無実を訴えるという一面もある。1934年文学博士。1948年早稲田大名誉教授。

会津八一は、私の母校の先輩である。住まいも彼の住んだ新潟市西大畑(今は北方博物館)に私の実家もあった。新潟高校の図書館の柱には多くの実物や拓本の額が下がっていた。新潟市白山の県立図書館前には、「一二三いろは」大きな石碑が建っていた。だから、彼の書道作品には愛着がある。
彼の奈良飛鳥への愛着からつくられた和歌の数々は、私の奈良飛鳥好きを決定的にさせたし、各寺にある石碑を見つけたときの感動はいうまでもない。たとえば、唐招提寺の「おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ」などである。



上記の歌碑は、1950年 昭和25(70歳)8月、古稀を記念して新潟県立図書館歌碑、10月、奈良東大寺歌碑、唐招提寺歌碑が建立されたもの。
1年ぶりに写真を整理していて見つかったので、追加立ち上げた。その由緒について書いておこう。
「山中高歌」は、秋艸道人こと会津八一が、大正十年夏、山田温泉風景館に滞在した時の作品で、その自筆を彫刻したものである。歌人としての会津八一の名を不朽にした処女歌集「南京新唱」に、山中高歌としておさめられた十首中の二首目。

碑は、高さ147センチ、幅65センチの善光寺産郷路石に、縦117センチ、横23センチの黒御影石をはめこんである。碑陰には山中高歌の前詞
「山田温泉は、長野県豊野駅の東四里(16キロ)の渓間にあり、山色清潔にして、嶺上の白雲も以って餐ふべきものをおもはしむ。かつて憂患を懐きて此処に来り遊ぶこと5,6日にして帰れり。爾来、潭声の耳にあるを覚ゆ。」
と刻まれ、
[秋艸道人山中高歌より、昭和庚戌(45)7月上浣関谷小四郎建之]とある。碑の台石は、八一が滞在した部屋の庭先に据えてあったもので、八一はこれに腰をおとしたこともあるという。
八一が山田温泉に来たのは41歳の時、文豪 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の節子夫人が神経痛の持病で療養のためにここに続けて、この温泉を、八一にも推奨されたことが動機となった。
▲会津八一 (明治14年8月1日〜昭和31年12月21日)
新潟市古町通り五番町生れ、76歳没。
文学博士・早稲田大学名誉教授、秋艸道人・渾斉とも号す
さらにHPには、この記事がアップされています。
「山田温泉沿革誌によると、明和元年(1769年) 今よりちょうど230年程前に、中山田村の関谷都作(風景館初代)が同僚2人とともに、現在の温泉より1,500M東方の松川辺に小屋を建て、足洗い場として営業を初め、その後、寛政7年(1796年)に湯本藤五郎、湯本庄左エ門他8名と、中山田村、奥山田村、駒場村(いずれも現在の高山村山田地区)の三ヶ村の協力で現在の地に引湯し、山田温泉の開祖と記されています。
以来、風景館には多くの文人墨客の方々にお出でをいただき、文学博士、会津八一先生ゆかりの地でもあり、また作家でもあり実業家でもあった菅原通斎先生がそのあまりの豪快さに心打たれた絶景地深羅峡「牛の牢」などが見所である。また若き頃の美空ひばりさんがご宿泊をされた「深羅荘・飛葉里の間」など・・・・・」
追記
早稲田大学に「会津八一記念博物館」がある。先日も、越ヶ谷高校のPTA進学見学会に出かけた折に、感慨深いところがあった。
二号館・旧図書館は、今日なお香り高い風格と気品をもち、近年、早稲田大学會津八一記念博物館として再生された。

インターネット百科事典では
新潟県新潟市に生まれる。中学生のころより『万葉集』や良寛の歌に親しんだ。新潟尋常中学校(現新潟県立新潟高等学校)を経て、東京専門学校(早稲田大学の前身校)に入学し、坪内逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講し、1906年早稲田大学英文科卒業。卒業論文にはキーツをとりあげた。卒業後は、私立有恒学舎(現在の新潟県立有恒高等学校)の教員となって新潟に戻り、多くの俳句・俳論をものした。1908年に最初の奈良旅行をおこなって奈良の仏教美術へ関心を持ち、またこの旅行が俳句から短歌へと移るきっかけともなった。
1910年に坪内逍遙の招聘により早稲田中学校の教員となり上京。1925年には早稲田高等学院教授となり翌年には早稲田大学文学部講師を兼任して美術史関連の講義をおこない、研究のためしばしば奈良へ旅行した。仏教美術史研究をまとめた『法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究』(東洋文庫、1933年)で学位を受ける。1935年、早稲田大学文学部に芸術学専攻科が設置されると同時に主任教授に就任する。妥協を許さぬ人柄から孤高の学者として知られるが、同僚であった津田左右吉が右翼から攻撃された際は、早大の教授たちが行動を起こさなかったのに対して、丸山眞男らによる署名運動に参加し、津田の無実を訴えるという一面もある。1934年文学博士。1948年早稲田大名誉教授。

会津八一は、私の母校の先輩である。住まいも彼の住んだ新潟市西大畑(今は北方博物館)に私の実家もあった。新潟高校の図書館の柱には多くの実物や拓本の額が下がっていた。新潟市白山の県立図書館前には、「一二三いろは」大きな石碑が建っていた。だから、彼の書道作品には愛着がある。
彼の奈良飛鳥への愛着からつくられた和歌の数々は、私の奈良飛鳥好きを決定的にさせたし、各寺にある石碑を見つけたときの感動はいうまでもない。たとえば、唐招提寺の「おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ」などである。



上記の歌碑は、1950年 昭和25(70歳)8月、古稀を記念して新潟県立図書館歌碑、10月、奈良東大寺歌碑、唐招提寺歌碑が建立されたもの。

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