酒場で歴史を語る会

江戸周辺の史跡旧跡を訪ねても、すぐに酒場に場所を移しての歴史裏表蘊蓄を語りあう「酒場で歴史を語る会」。仮の経営者が、足跡と今後の夢を記録する、魑魅魍魎単純明快の酒場。

唐の都で死んだ若者は・・・・

8月11日(日)朝10時に自宅を出て、上野へ向かった。東博平成館の「井 真成」の展覧会を見に行った。駅前は多くの人で二科会・院展へのお年寄、・動物園への親子連れ、に混ざって歩いたが、東博はさほどの混雑とは言えなかった。昨年10月に専修大学と提携している中国の大学で保管されていた墓誌が発見され紹介されて、名古屋地球博で展示されて話題となっていた。上野に移っての展覧会での最終日に当たっており、あわてて見に行った。当初、取るに足らない一人の若者の墓誌は、それほどの関心を呼ばないと思っていたが・・・・・1300円払って、入場。東博の正面池の脇、昔、美術の石田尚豊先生の言うチューッリップの木。その下で芸大の学生が10名以上デッサンを描いていた。横目に見ながら平成館で、ヘッドホン案内を500円で借用した。有効であった。会場はケースを横へ動けない。どのウインドウも二重三重にとり囲んでいた。
 最初は「吉備大臣入唐絵詞」の模写があり、難題をかぶせられて楼門に閉じこめらた吉備真備に阿倍仲麻呂が鬼になって助けに来るシーンを描いている場面をみて、同じ遣唐使で渡ったと思われる留学生であった、井 真成の生活・努力を連想させる良い導入であった。墓誌の拓本、解説のあとに、黒くなった墓誌の表石、灰色の花崗岩でできた墓誌。重い。上部が機械シャベルで砕かれた傷のある40センチ四方厚さ7センチの石版に小さな字で五分の三ほど書いてある。字の上にやはりノミでひっかいた傷も残る。文章はまだ3行くらいは書けたのに・・・日本に帰れなかったむなしさが、そのみがかれた灰色の花崗岩に染みとおっている気がした。来る人来る人を無視して何度も何度もヘッドホン解説を繰り返し聞いた。自分の目にしっかりと焼き付けた。あえて図録は買わなかった。
 戸田市文化財研究会の皆さんと、昨年の春に、奈良の二上山より西、當麻寺から當麻の峠を越えて、聖徳太子の叡福寺、推古天皇、小野妹子の墓等をまわったときに、丘を登った妹子の墓から見える河内・浪速方面に、その先にある隋・唐を見晴るかして遣隋使遣唐使の苦労に思いを馳せた。その夏、飛鳥に旅して、稲渕の南渕請安の墓を見に行き、小野妹子同様の塚をもった円墳であったことも、遣隋使のことに思いを馳せたものであった。
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 顧みれば、留学生=りゅうがくしょう、と読むこと、留学生、留学僧の勉強ぶりについては「入唐求法巡礼行記」の講読を通じて竹内理三先生らに教わった。森 克己先生には、雑誌「日本歴史」の遣唐使の論文の中に入れる挿入地図を手書きで書いてくれとの依頼で、大学院1年の時に描いたのが縁で、遣唐使については森先生の名著も読んだし、授業でもこれまで度々日本史では1時間を使って話してきた。飯田瑞穂先生の教えを受けての聖徳太子による遣隋使のことをはじめとして、遣唐使になっても、四つの船にした船の危険性、航海の危険性、留学生・留学僧の苦しさ。空海・最澄、円仁の苦心を話した。また、894年の菅原道真による遣唐使が白紙の戻ると言うときなど数回チャンスがあるので詳しく話したものだ。それにしても記念すべき墓誌の展覧会であった。









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 展覧会チケット遣唐使航路地図

井真成墓碑の蓋

井真成墓碑

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「酒場で歴史を語る会」は、歴史好きそして酒好きの多士済々が、折を見て江戸の地を徘徊し、早々に酒宴で談論風発・丁々発止と相成ります。酒宴亭主が、足跡記録のため、日常の情報保存場所として開設しています。

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