酒場で歴史を語る会

江戸周辺の史跡旧跡を訪ねても、すぐに酒場に場所を移しての歴史裏表蘊蓄を語りあう「酒場で歴史を語る会」。仮の経営者が、足跡と今後の夢を記録する、魑魅魍魎単純明快の酒場。

私の小学校1年の「絵はがき」

 私の小学校1年生の夏休み
 翁島絵はがき

 私の母は、私と弟を連れ、生まれた実家のある喜多方へ行き、猪苗代で過ごし、郡山の姉のところによって、日光へ向かった。東照宮・いろは坂・中禅寺湖・華厳の滝へ出かけた。小学生にとって、喜多方以外に遠出をした最初であった。夜行で言ったのだろうか、朝方日光に着いたような気がする。
 日光から絵はがき小学校2年
 
 はじめて絵はがきをだした。留守をしている父親に。宛名は母親の手になる。
JR日光駅前で出した。
 当時、石川県羽咋市に住んでいたから、遠出であった。
東照宮のきらびやかさ、印象にある。華厳の滝のカラー写真下敷きを買ってもらって、数年使っていた。

 日光から、東京の練馬の上石神井にいた鈴木さんのお宅へおじゃました。生垣に囲まれた新興住宅地で、明治大学の事務をしていた鈴木さんの女の子と三輪車を乗り回した。(鈴木さんに次にお会いしたのは、私中央大学に入学して、母親とご挨拶に行った18歳の時で、小学校1年から11年たっていた。) はとバスで東京見物もしたが、西武新宿線にのる高田馬場駅周辺でみた、駅前のヤドカリ売りであった。ホーローの洗面器を幾つか並べて売っていた。石造りのビルの谷間で、私が普段、羽咋の千里浜海岸で手に取ってみていたヤドカリが、東京では商売になるということが不思議でしょうがなかった。人の多い東京とは不思議なところであった。

 東海道線を列車で出発した。当時は米原行きであったろう。子供心に「丹那トンネル」は大変な難工事であったと聞いていたのか、母が教えてくれたのか、後に本などで読んだのか、とにかく、丹那トンネルは、窓を開けて首を出して通過した記憶がある。風にあおられ、わーわー口を開けながら通過した。
 磐越西線のトンネルが、蒸気機関車の煤煙で、いつもあわてて窓締めをしなくては成らなかったのにくらべて、電気機関車でひく東海道線は、窓も開けっ放しで通れることに、文明の偉大さを実感した。
 米原から北陸線で金沢へ、能登線で津幡から羽咋へ帰った。


今回偶然、その時の絵はがきが、通知票などの紙箱から見つかった。
今回、その感動した、丹那トンンルのすぐ近くの湯河原に、52年ぶりに引っ越すことになった
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「酒場で歴史を語る会」は、歴史好きそして酒好きの多士済々が、折を見て江戸の地を徘徊し、早々に酒宴で談論風発・丁々発止と相成ります。酒宴亭主が、足跡記録のため、日常の情報保存場所として開設しています。

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