元禄、深川関係年表メモ
2006/02/05 21:19:29
いつもお世話になっているHPから一部引用させていただきました。 ありがとうございます。
1680(延宝8)将軍4=家綱→将軍5=綱吉
*紀文や奈良茂のような投機型商人(いずれも材木問屋)が公共事業で発展
*(05/08?)綱吉将軍となる(1680.8-1709.11までの28年5ヶ月間の綱吉の治世を元禄時代と呼ぶ)
1681(延宝8/天和1:1681.09.29)将軍5=綱吉
*松尾芭蕉、新しい俳諧を始める
*菱川師宣、浮世絵を始める
*(01.08)ロシアとトルコ間でバルチェサライ(ラージン)条約
ウクライナでコサックの所領のドロシェンコフがスルタンの保護を受けていたにもかかわらず、アレクセイ皇帝(1645-1676在位)の工作でトルコ軍を攻撃。ロシアとトルコの戦いとなる。戦闘はうやむやのうちに終わり、条約がむすばれる。ドニエプル川を両国の国境とすることを決めた。ここにロシアは南下進出の足場を固めることができた。
*(11)上州沼田藩の百姓、幕府に直訴(礫茂左衛門一揆)
1682(天和2)将軍5=綱吉
*井原西鶴「好色一代男」
*(03)幕府、不正代官を大量に処分
1683(天和3)将軍5=綱吉
*奈良屋茂左衛門(奈良茂[ならも])は、この年の日光東照宮の修復の際に用材の調達を請け負ったのを機に急成長し、江戸深川霊岸島(東京都中央区)に屋敷を構える豪商となった。
*三井高利は両替商(現在の銀行業務に近い)を開き、金融部門でも大きな利益を上げた。
1689(元禄2)将軍5=綱吉
*(03.27)松尾芭蕉、弟子の曾良と奥羽・北陸から大垣に至る600里の旅に出発
1690(元禄3)将軍5=綱吉
1691(元禄4)将軍5=綱吉
*三井高利は大坂・江戸間の公金為替を請け負う
1692(元禄5)将軍5=綱吉
1693(元禄4)将軍5=綱吉
1694(元禄7)将軍5=綱吉
*三井の創業者の高利が死亡
1697(元禄10)将軍5=綱吉
*紀伊国屋文左衛門はこの年の幕府による上野寛永寺の根本中堂の普請の際に、駿府の豪商松木新左衛門と組んで一挙に金50万両もの巨利を得た。
1698(元禄11)将軍5=綱吉
1699(元禄12)将軍5=綱吉
1700(元禄13)将軍5=綱吉
1701(元禄14)将軍5=綱吉
*(03.14)赤穂藩主浅野長矩、江戸城内で吉良義央に刃傷
1702(元禄15)将軍5=綱吉
*(12.14)赤穂浪士討ち入り
1703(元禄16)将軍5=綱吉
*(02.04)忠臣蔵・赤穂浪士47人切腹
1704(元禄17/宝永1:1704.03.13)将軍5=綱吉
1705(宝永2)将軍5=綱吉
*(02)大坂の豪商・淀屋三郎右衛門が闕所・所払となる。
1706(宝永3)将軍5=綱吉
1707(宝永4)将軍5=綱吉
*(11.23)富士山大爆発
1708(宝永5)将軍5=綱吉
1709(宝永6)将軍5=綱吉→将軍6=家宣
*(01)綱吉が没
*(11.22)新井白石、宣教師シドッチを訊問
1710(宝永7)
1711(宝永8/正徳1:1711.04.25)
*緊縮期の正徳年間の政治を主導したのは新井白石。紀文は材木問屋を廃業し、深川八幡の一の鳥居付近で静かな余生を送っている。
*(07.23)プルート条約
1712(正徳2)
1713(正徳3)
1714(正徳4)
紀文とならぶ豪商「奈良茂」が巨額の遺産13万2530両を残してなくなった。しかし、息子たちが遊興にふけり、これを使い込んだと伝えられている。この後奈良茂は江戸の商人としての家名は存続するものの、経済界での目立った活躍はみられない。
1680(延宝8)将軍4=家綱→将軍5=綱吉
*紀文や奈良茂のような投機型商人(いずれも材木問屋)が公共事業で発展
*(05/08?)綱吉将軍となる(1680.8-1709.11までの28年5ヶ月間の綱吉の治世を元禄時代と呼ぶ)
1681(延宝8/天和1:1681.09.29)将軍5=綱吉
*松尾芭蕉、新しい俳諧を始める
*菱川師宣、浮世絵を始める
*(01.08)ロシアとトルコ間でバルチェサライ(ラージン)条約
ウクライナでコサックの所領のドロシェンコフがスルタンの保護を受けていたにもかかわらず、アレクセイ皇帝(1645-1676在位)の工作でトルコ軍を攻撃。ロシアとトルコの戦いとなる。戦闘はうやむやのうちに終わり、条約がむすばれる。ドニエプル川を両国の国境とすることを決めた。ここにロシアは南下進出の足場を固めることができた。
*(11)上州沼田藩の百姓、幕府に直訴(礫茂左衛門一揆)
1682(天和2)将軍5=綱吉
*井原西鶴「好色一代男」
*(03)幕府、不正代官を大量に処分
1683(天和3)将軍5=綱吉
*奈良屋茂左衛門(奈良茂[ならも])は、この年の日光東照宮の修復の際に用材の調達を請け負ったのを機に急成長し、江戸深川霊岸島(東京都中央区)に屋敷を構える豪商となった。
*三井高利は両替商(現在の銀行業務に近い)を開き、金融部門でも大きな利益を上げた。
1689(元禄2)将軍5=綱吉
*(03.27)松尾芭蕉、弟子の曾良と奥羽・北陸から大垣に至る600里の旅に出発
1690(元禄3)将軍5=綱吉
1691(元禄4)将軍5=綱吉
*三井高利は大坂・江戸間の公金為替を請け負う
1692(元禄5)将軍5=綱吉
1693(元禄4)将軍5=綱吉
1694(元禄7)将軍5=綱吉
*三井の創業者の高利が死亡
1697(元禄10)将軍5=綱吉
*紀伊国屋文左衛門はこの年の幕府による上野寛永寺の根本中堂の普請の際に、駿府の豪商松木新左衛門と組んで一挙に金50万両もの巨利を得た。
1698(元禄11)将軍5=綱吉
1699(元禄12)将軍5=綱吉
1700(元禄13)将軍5=綱吉
1701(元禄14)将軍5=綱吉
*(03.14)赤穂藩主浅野長矩、江戸城内で吉良義央に刃傷
1702(元禄15)将軍5=綱吉
*(12.14)赤穂浪士討ち入り
1703(元禄16)将軍5=綱吉
*(02.04)忠臣蔵・赤穂浪士47人切腹
1704(元禄17/宝永1:1704.03.13)将軍5=綱吉
1705(宝永2)将軍5=綱吉
*(02)大坂の豪商・淀屋三郎右衛門が闕所・所払となる。
1706(宝永3)将軍5=綱吉
1707(宝永4)将軍5=綱吉
*(11.23)富士山大爆発
1708(宝永5)将軍5=綱吉
1709(宝永6)将軍5=綱吉→将軍6=家宣
*(01)綱吉が没
*(11.22)新井白石、宣教師シドッチを訊問
1710(宝永7)
1711(宝永8/正徳1:1711.04.25)
*緊縮期の正徳年間の政治を主導したのは新井白石。紀文は材木問屋を廃業し、深川八幡の一の鳥居付近で静かな余生を送っている。
*(07.23)プルート条約
1712(正徳2)
1713(正徳3)
1714(正徳4)
紀文とならぶ豪商「奈良茂」が巨額の遺産13万2530両を残してなくなった。しかし、息子たちが遊興にふけり、これを使い込んだと伝えられている。この後奈良茂は江戸の商人としての家名は存続するものの、経済界での目立った活躍はみられない。
