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今から二百年まえ、光格天皇が仙洞御所に移られて、生前の譲位が行われた。
 それ以降は、逝去、重病などによる退位が原則だったので
  平成天皇から 新天皇への譲位は、
  光格天皇の例を 参考にしたことは間違いない。

二百年前の 仙洞御所へ移られた時の
  幕府側の責任者は 大久保忠真小田原藩主であることは知られるところである。
  仙洞御所 南池庭の [一升石]については、
  湯河原での言い伝えや
  小田原図書館には 実物保存石などの話や資料が有ります。

  石を集めた ここ吉浜や真鶴半島周辺の 多くの人が知っているように思いますが、
  私は 古老の言い伝えも聞いたことがなく、史料的にも、正確なことが解りません。

  領主の大久保忠真様は、ここの州浜石を寄進するために、集めようとして、領民に命じて、
  「この石一個に付き 一升の米をくれた」というのが  一般的に残されている 相場の話ではあるのですが、
  私には 分からない事があるのです。 
  定期的に 毎年 一度は 疑問に思うことで、そのたびに、ここに愚痴を書いています。

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◯湯河原駅大屋根広場から 商工会館へのエレベーターへ通路わき
  木製の説明看板に 三島由紀夫の本の文章を引いて 説明があります。

IMG_1592_20190430224621f7e.jpg IMG_1593_2019043022464845d.jpg

 しかし、この看板に書かれている 三島由紀夫の本とは 
    私が 京都の庭について語るときの参考書の決定版として使ってきた、
    この一冊です。

終わらない庭表紙syou  裏表紙

  しかし、どういうわけか、
  この本では 確かに三島由紀夫は 仙洞御所へ行っての訪問記を書いているが、
  好意的な紹介をしていない。 該当する一升石の州浜の部分を 引用するとこうである。
  P.30~31.  
「・・・・・・・・ 南池には、いかにも江戸封建期らしい、ぎくしゃくした、寓意的な趣味が
横溢してゐる。
 なるほど、桜の馬場と名づけられた径で林と隔てられ、俄かに池へ傾いてゐる斜面に、
一升石と呼ばれる石を敷き詰めて、海浜を模した着想は面白い。面白いけれども、そこに
は何かしら、大名風の奢侈の匂ひがある。この精選された石の浜は、雨に濡れたとき実に
美しいと云ばれるが、かうした夏の乾いた日にも、独特の抽象的な美しさを発揮してゐる。
それは 寂しい荒涼たる磯の、大胆な模様化なのであるが、大名風といふのは、「荒涼」と
いふ詩情を表現するのに、粒を揃へすぎた石を贅沢に量的に豊富に敷き並べた点にあるの
だ。それは事実、小田原藩主が京都所司代のとき献上し、石一個が米一升の価があるとこ
ろから 一升石と呼ばれるにいたったものである。しかし、荒涼たる磯は、この金に糸目を
つけない石の精選によって、何か「荒涼たるもの」から直接にわれわれが感じる詩的快感を
遠ざけてしまふ。 寂寥よりも、石の見事な均質に目が奪われ、ここでは芸術上のデフォルマ
シォンが 逆の効果をあげてしまつてゐる。・・・・・・・・」


 これは おかしい !? でしょ。 

三島由紀夫は 一升石の使用した州浜を ほめていない。
 金に糸目をつけない・・・・・・と、批判的だ。
  そして 江戸時代の 吉浜の農漁民の苦労を、図ろうとしていない。

立て看板の製作者は、 参考文献とする 引用する本や有名人を 
  間違えたのでは ないだろうか! 読んでいないのであろうか?

  看板の裏に 引用した 三島由紀夫の訪問記に、
  庭園解説を書いている 工学院大学学長を務めた建築評論家 伊藤ていじ氏の
  仙洞御所の一升石の部分の解説は これだけである。

        伊藤ていじ庭園解説
  これも 仙洞御所・州浜造営の大久保忠真京都所司代の意図が、朝廷・幕府の対立を和らげるためと
  動機が不純だと読み取ってしまう可能性がある 書き方になってしまっている。
  桜・もみじと 白色州浜が対照的だと褒めてはいるが・・・・

とにかく この看板は 仙洞御所の一升石の由来を
    三島由紀夫の
     きちんと説明していない文章から、
     褒めていない文章から 
 引用した風に見せかけて 
 作者がいかにも 表看板の説明文を書いてあるように参考図書としている。
    とってつけたような やり方で
    やってはいけない 方法で製作していると 思えるのである。
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それでは 自分の気に入る元号案が 学者たちから提出されなかったので、
   自分の意図に沿う 元号案をあとから 追加で作ってもらって提出させて、
   最初から いかにも 全部の案が 最初から出されていた風に秘密厳守と言い、
   後出し案を 「これが良い」という 忖度して説明した責任者がいたら、
   前提条件として
   同一条件の下の全案と考えて 平等の案として そこから選ぼうとした、選考の民間人は
   正しい選択では無かったことに 怒るべきだと思う。
   「あとだし じゃんけん」は、子供でも非難される行為である。

それと同じように
   近時、 仙洞御所や光格天皇が話題になっている時期に、
   大久保や 一升石の評価を考えようとするとき 
   私には ちょっと恥ずかしい 湯河原の駅前の看板である。




 
  
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2019.04.30
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