まいったねえー
 
 先日、湯汲み道中の話で、
 「江戸時代に 湯河原温泉を、小田原御用邸に運ぶことは無い。だから、湯河原温泉観光協会のパンフレットの由来の文章は間違っている。」と書きました。 

それでいいのですが、
 そのときに、参考とした写真は これですが、私が説明を、間違いました。                 
            お湯献上大正時代 
     

 下に線路があるので、温泉を積んで 湯河原の本町を出発する様子だろうとして、関東大震災で線路が流される前、つまり、大正12年以前だと判定しました。 人車鉄道の線路・・・、岩本温泉館の半纏を着た・・・・と。

             img_109946_30100370_10.jpg
              震災で流された湯河原吉濱海岸の 熱海軽便鉄道の線路 軌道幅 76.2センチ

ところが、見つかりました。原版が。
 まいったね。線路が二本見えています。幅が ひろい! 
 61センチ程度の豆相人車鉄道じゃないし、
 その後の熱海軽便鉄道 76.2センチよりも広い 
 今のJR線路の幅 106.7センチよりも広い!そう思いませんか?
 この小田原馬車鉄道 143.5センチが、後の電化された小田原電気鉄道の軌道幅でもあったのです。

ということは、湯河原付近では無いということになる。
  線路幅が、こんなに広いと・・・・・関西か?

写真1

ありました。手がかりが・・・書き込みです。 でも、字の書き込みがボケて読めない。
 次の手がかりが・・・・ 後方を見て下さい。
 
両方の写真ともに、写りこんでいます。天守閣のような千鳥破風のかわら屋根と、白漆喰の壁の建物。
 湯河原周辺の人なら、すぐに分かります。
 ピンと来ました?  
 そう、この建物は「ういろう」本店です。

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 再建された3階建ての現在       右写真:震災前で倒壊する前の「ういろう」は二階の千鳥破風が三つある
 
荷馬車の写真の「ういろう」の建物は、確かに 千鳥破風が三重に見えますから、
 この桶を積んだ馬車は、
 明治時代の中頃、ういろうの店前の横で、撮影されたことが分かります。
 線路は、当時、国府津~箱根への線路幅が広い 箱根鉄道の線路です。 
 年代も さらに特定出来ます。

荷車は、何を どこに運んでいたのでしょうか? 
 やはり書き込みを読みたいですね。こうなると。
 セピア色の写真の一行目は「温泉運び(○○○○)」と読めます。


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2013.04.30
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