4月に 春日部にお招きいただいてお話しした内容に付け加えた文章をお送りしました。
 いきがい大学春日部学園16期校友会 機関紙に掲載いただけると言うことです。
 ありがとうございます。よろしくお願いいたします。


過日、いきがい大学春日部学園16期校友会の同窓会で、「江戸時代の旅のあれこれ」をお話しする機会をいただきました。会長、副会長さんはもとより、担当の中村さんはじめ、皆さんにお世話になり、ありがとうございました。
 2時間の長時間をいただいたのに、いよいよというときに時間切れになり、申しわけございませんでしたが、当日配布の資料は、今後も使ってもらえるのではないかと思います。ここでは当日のご質問や追加のお話しを致します。
1「春日部」「粕壁」はどう違うの?
  地名として「糟壁」のち「粕壁」が江戸時代では宿場町として使われました。春日部高校の横の八幡社とその小高い公園は、鎌倉時代の豪族春日部氏の城郭跡と言われ、『吾妻鏡』等の歴史書でも春日部氏と書かれていましたが、室町時代末期から戦国時代には小田原北条氏に従い、秀吉の全国統一に破れて春日部氏が滅び離散したあと、江戸時代では意識的に「春日部」を使わなかったように思われます。

2「不動院」という大寺院が北春日部にあった。
  江戸時代、両国回向院への出開帳では、たいへん豪華な行列を仕立てて日光道中・江戸の町々を行進して注目を集めたという資料をお配りしました。

3「粕壁宿」は、大きい方の宿場町であった。
ロビンソン百貨店裏の古利根川碇神社付近は、江戸と結ぶ物資の集散地として河岸が栄えており、江戸から歩き通すと丁度日暮れに到達する宿場であったことから栄えました。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠45軒、問屋場1ヶ所、家773軒と記録があり日光街道23宿のうちの6番目の大きさでした。

4「旅籠」と「木賃宿」の違いを知ってもらいました。
 時代劇に出てくる、畳敷きで布団があり、世話をする飯盛り女がいるのが旅籠。板間のいろりで、鍋を借りて野菜・米や炊き木を買って自炊するので安価で宿泊できるのが木賃宿。

5「参勤交代」で「本陣」に泊まる大名は、ケチでした。
 鉄道が引かれ、街道が廃れた明治時代になって、最初に落ちぶれて潰れたのが、大名宿泊の本陣を受け持っていた名主クラスのお屋敷でした。大名の宿泊料金規定はなく謝金でしたから、殿様が泊まれば泊まるほど赤字負担でした。
  最大2600人移動の加賀藩前田のお殿様は経費節減のために、国元を出発する時と、江戸が近くなるときだけ、人を雇って隊列を整えて見栄を張ったたのです。他の大名も同じでした。粕壁にも宿泊した盛岡南部藩のお殿様は、大名行列途中で路銀を使い果たし、国元から金を送らせ、届くまで出発できなかったことさえあるのです。

6 芭蕉と曾良が『おくのほそ道』で、粕壁宿に泊った時、
 江戸時代以前に、大きく八潮市中川沿いに東へ迂回していた日光道中を、雑木を伏せ、草を敷きこみ、茅(かや)を加えて土を上に盛った道を作り、宿を作って開業して10年目の新興宿場の草加宿は、新しい建物も多かったのですが、俳諧句会に関心を持つ旦那衆もおらず、排水路に植えた松も、まだ苗木の状態で日陰もないところで、さっさと通過したい場所だったと思います。草加に泊まったと書いたのは誤りです。
 (草加・松原団地前の松並木の悪口になりましたが悪しからず。) 

7「日光道中」を今、自分で歩いてみようという方には、公開されている資料地図では、浜田さんのHP「地図で歩く日光街道」から使わせてもらうのが最良ですと、見本を印刷してお配りしました。(許可いただいた浜田輝雅様ありがとうございます。)

8「栗橋関所」を 鉄砲をもって通過する大名行列、武士たちは、前もって老中の許可書を申請持参しなければならなかったというのが定説ですが、
 時代によっては、大名・武士たちの間では「栗橋関所は、何も届は必要ないが、他の関所では、そうは行かない。」と甘い関所の代表みたいなウワサだった時期があることを、史料で紹介しました。

9「栗橋関所」の甘さは、女性にもやさしくて、鶴岡から来た三井の若奥さんを、通行手形と見比べもせず、黙って通した例も、お話ししました。

10 実際の「関所通行手形」に、自分の名前などを書き込んで完成してもらいました。

11 人々の旅行意欲を高めて関心を引こうと作られたガイドブックでは、江戸時代の版本「越後みやげ」と、貝原益軒自筆(?)の「京城勝覧」の実物を巡回させて見てもらいました。江戸時代の「温泉番付」を印刷してお配りしました。

12 明治になって本格的な近代地図作成のための測量を示す「几号(きごう)」マークが、日光道中の各宿場の大きな石造物に、直接マークが刻み込まれた一覧表を示して、例えば 江戸日本橋隣の「一石橋まい子の石碑」にもあるマークが、春日部駅前の神明社のお社隣の一番大きな石碑の下部に着いていますよ。杉戸だったら九品寺の・・・・と、高野台ならオートバックスの向かいの厳島神社の灯篭土台石に・・、こんなものを探すのも、道中を歩くのも楽しいとお話ししました。

以上、当日のやりとりを思いつくままに並べてみましたが、まとまりの無い話で失礼しました。その後の役員の方々との反省会でも、歴史の話、TV「岩崎弥太郎」「平 清盛」の汚さなど、時間がいくらあっても足りないほどのお話しが続きました。勉強好き・歴史好きのいきがい大学の同窓会の皆さんなのだと知り、うれしくなりました。
 今年も涼しくなったら、草加宿から何回かに分けて幸手宿方面へ北上する自由参加の街道歩きの計画を持っています。興味のある方はブログ「酒場で歴史を語る会」を時々見て下さい。ありがとうございました。お世話になりました。
湯河原町土肥1-7-9-705  加藤雅喜


 以上です。
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2012.07.31
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