FMあたみゆがわら」の日曜日昼前、
 話をする機会を与えられていて、短時間ですが自由なテーマをお話してきました。

 私が、これから2月にお話する内容に、「湯河原での2・26事件でわからないこと」というものがあります。

この話は 5日、日曜日に録音です。


この日、今から75年前、 昭和11年(1936年)2月26日は 関東・東京は大雪であったことは誰もが知っています。写真もそれを物語っています。
 湯河原の伊藤旅館の貸別荘にいた牧野伸顕内大臣の玄関を、早朝、台所の戸を「電報、電報!」と叩く・・・河野大尉以下の兵達という話しは、湯河原の人なら だれでも光風荘で観光ボランティアの人達の話を聞いたことがあるでしょうが、河野大尉らは 東京からタクシーに分乗してきたというのです。

えー、ホントだろうか?と思いませんか? 

昭和10年の三菱ビル前での車  冬景色    現在の三菱パークビル(30日月曜日撮影) 
 img2861.jpg img4661_20120203015334.jpg  IMG_1959.jpg


 昭和11年は道路がほとんど舗装されていません。雪の降り続ける中です。高速道路はありません。距離は100km。燃費の悪い自動車です。途中にガソリンスタンドやコンビニはありません。ラジエターに不凍液なんか無かったよね。タイヤチェーンをしてきたのかしら・・・と考えますが・・・当時の自動車性能、道路状況、天候など、誰か分析してみませんか?  メーターが着いていたのでしょうか? タクシー代に いくら払ったのでしょうか?
 あの日、2月26日は、知られるように、前夜から雪でした。その中を、2台のタクシーに分乗した河野大尉ら8人が早朝までに湯河原町へ入った・・・・このあと、事件が起こることになるのですが、私は当時のタクシー、自動車の性能から、また道路環境から、かなりの無理があったのではないかと思っています。



「トヨタ博物館ブログ」
2009.10.16.「タクシーあれこれ」その3、1930年代初期のタクシーについて述べて、こんな写真を掲載している。
    1930年代製のシボレーやフォード。   右写真は江戸東京博物館の円タク展示車
04df9791-f667-4446-b514-396939446dda.jpg 1930 Chevrolet 江戸博


「落合道人」さんのブログ「画家たちが見た二二六事件」
では、
画家だけでなく、自分の祖母も「東京が火の海になっちまう。見納めだよ!」と、円タクをやとって東京じゅうを市内見物したという話を紹介している。

※1924年(大正13)6月27日 : 大阪、1926(大正15年)6月10日東京で、市内1円均一タクシー(通称円タク)が登場した。この頃は、世界恐慌(第一次世界後恐慌)が深刻さを増した頃で、当時の東京市内で「市内全域どこでも一円」で行くと言う「円タク」が大流行した。昔「清酒松竹梅」のCMで有名になったが、実は大変深刻な話であった事は、意外と知られていない。当時、一般的な東京市内でタクシーに乗れば、基本料金が50~60銭で、その後時間または走行距離により20~30銭加算される仕組みとなっていた。東京駅から新宿駅まで乗車した場合、平均1円50~70銭と言われていたが、それが1円で行ける。3割減となったことがある。逆に言うと、タクシー運転手の給料も3割減ったわけで、困窮生活となった。

「はなしの名どころ」
さんのHPに、旅のはなし、「円タク」では、
「円タク」を題材にした、昭和4年の桂小春団治による大阪市内の、昭和8年の三遊亭金馬の語る東京の落語の内容分析から地図に図示したものが載っている、興味ある分析であるが・・・円タクの歓迎された実情がわかる。

この事件でのタクシーも、「円タク」の利用だったと考えるのが妥当であるが、果たしてそうだろうか? 
 この湯河原への侵攻は、8人、タクシー2台を使わなければならないから、一つの会社へ2台、事前に遠距離へ行くことを明言して、満タンを指示したはずである。予約は必定である。目的地は湯河原、或いは箱根としても、行動目的は悟られないように前もって予約したハズである。駅前や繁華街で手を上げてタクシーを止めたのではないだろう。
 よほどの富裕層しか自家用車をもっていなかった、昭和11年当時(今から76年前)、深夜を走る列車がないから、自動車が必要。それは、軍の車か、タクシーしかなかったはずである。政府要人を襲う計画にという秘密行動には、軍の車両は不適性である。選択はタクシー。
が、東京市内を走る1円の同一料金。「一円で市内一円」というしゃれを効かした料金設定の「円タク」では、湯河原まで同じ料金では行かない。
上記のように2台予約時に貸し切りとしていたと思われるが、もし、メーターによる料金を計算したら・・・・どうなるだろうか?

さて、そんなわけで、日本でタクシーが導入された時から、距離または時間併用のメーターが登載されていたことは周知の事実である。いま、手元にその当時の正確な料金体系表は手に入らないが、当時のタクシーはこんな張り紙がされていたようだし、インターネットで物価表を見ると、ここまでわかります。
img_15984_7827704_0_20120203010637.jpg タクシー料金表

そうすると、出発地がわからないものの、日比谷と仮定して、国道一号を走って小田原を通り、湯河原に向かうルート100kmと仮定すると、多摩川まで20kmの範囲は「一円」。
張り紙に従って計算しましょう。

△人数割り増し
 加算しなくてはならないのは「一人増廿銭」という文句。1円の20%にあたる。
 一台に4人乗るのだから、同乗者3人分が追加料金となる。
    たくしー計算書
    拡大:表上にマウスを置きクリック
△「深夜5割増し」も上表に記載したが、3人の同乗者にも加算されるのか否か不明である。
    ※注の 同乗者への加算が有るか否かが不明です。 表5として示してあります。
△「郡部時間制」の金銭計算は出来ない。

この前の昭和10年の白米10kg=50銭前後  
   大 尉  年俸  1470~1900円  
   上等兵  年俸        126円(月給 10円50銭)
昭和2年頃のエリートサラリーマン
   越後屋呉服店 早慶卒初任給 月給55円


結局、タクシー代だけで、一台分  23円70銭かかり、二台で 47円40銭が必要であったことがわかる。
 上等兵の月給の4倍以上の高額である。 指揮者の河野大尉の月給の半分である。
 

 国家を論じ、国を守る信念の行動であるから、タクシー代など問題外だったのかもしれないが・・・


 それでも、車の性能がわからない・・・・から、本当にこれで湯河原まで来られたのか? は まだわからない!
  226雪   226.jpg
  左 祝田橋付近    右 表参道ヒルズのある、同潤会アパートの窓から見た雪

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2012.02.02
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