俵屋宗達・尾形光琳・酒井包一の「風神雷神図」を見に出かけた。

<結論> 俵屋宗達の豪快、光琳の壮快、包一の静快を感じた。
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 宗達は「北野天神絵巻」の雷神をモデルに描いたが、宗達が描いて100年後に光悦が偶然それを発見して自分も描いた。それからまた、100年後に包一が光琳を評価して自分も描いた。3人の間に師弟関係はないし、流派を受け継ぐ時間的な重複もなかったのに、なぜか「琳派」の継承という信念があったのは不思議なことであった。それを三つの「風神雷神屏風」を並べることで事実を語ってくれた。
 

 その他にも、琳派の定番、「燕子花図」例の根津美術館の「燕子花図」は無かったが包一の「八つ橋燕子花図」がダイナミックなZに折れ曲がる茶色の橋を配して燕子花の緑の葉と群青の花が描き込まれていた。
 もう一つの定番「紅梅白梅」は、MOA美術館のそれは無かったが、伝光琳の紅梅白梅屏風があった。足下の草むらには金の□の切り箔がまかれていたのにはデザインの斬新さがすごいと思った。
 
 しかし、出光美術館は帝国ホテル9階の狭いところなのに、たくさんの観客で行列、人数制限しなくてはならなかった。が、大当たりの今回の企画は上出来の展覧会であった。
 
 上から見ると、桜田門が正面に見える。中学高校と大妻に通学していた妻は、桜田門までが持久走のコースであったという話であった。井伊直弼が襲われたのは正面の桜田門の左、警視庁の右、外桜田門の外であった。お堀にはソウギョの大魚影が見える。
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2006.09.30
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