今日の学習は、寡聞にして恥ずかしい思いがした。テーマは、
「穢(きたな)い絵だが生きている~大正画壇の鬼才・甲斐庄楠音~」であった。
  6月26日(日) NHK教育・午前9・00~10・00
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 そのPR文章に曰く。
 「大正時代、様式的な美を競う日本画壇にあって、どろりとした毒のある女性像で一世を風靡した男がいた。甲斐庄楠音(かいのしょう ただおと 1894-1978 京都生まれ)。父親は楠木正成の子孫で、母は御所出入りの上流家庭に生まれながら、ホモセクシュアル、ナルシスト、女装好きなど、人物もその画風さながらに妖しい。23歳の時、国画創作協会に出した「横櫛」で鮮烈なデビューを飾った甲斐庄は、花鳥風月には目もくれず、うずまく情念をひたすら女性像にぶつけることで日本画の枠を打ち破った。しかし32歳の時、先輩画家、土田麦遷から「きたない絵は会場を汚す」と言われて展覧会への陳列を拒否され、画壇から遠ざかってしまった。
 その後、日本映画の巨匠・溝口健二の信頼を得て、衣装・小道具・そして女優の演技指導まで行い、ヴェネチア映画祭で銀獅子賞を受賞した「雨月物語」では、アカデミー賞衣装部門にノミネートもされた。しかし甲斐庄は、画壇から忘れ去られながらも、21人の嘆き悲しむ女性の群像「畜生塚」を死の直前まで描き続けるなど、日本画にかける情熱を失うことはなかった。
 なぜ彼は、「きたない」と言われるほどグロテスクな絵を描き続けたのか。目を背けたくなると同時に、目が釘付けになる魔力は、一体どこにあるのか。甲斐庄が残した50冊に及ぶスクラップ帖、甲斐庄自身が女装しモデルとなった膨大な写真などの遺品をひも解きながら、今も美醜をこえた力で見るものに迫る、甲斐庄芸術の実像に迫る。」とあった。

 いったいこの人物はどういう人物だったのか。

私の父親が大好きだった市川右太衛門衛門の『旗本退屈男』謎の幽霊船(東映京都) の衣裳考証等を担当したという。その映画数30本余。 あの尾形光琳の雁金屋の衣装を連想させる大胆な、早乙女主水之介の衣装は、京都育ちで日本画家の彼の作品であったとは驚きであった。

 しかし、1953.03.26「雨月物語」(大映京都)の風俗考証では、彼を救ってくれた監督溝口健二の作品で、ヴェネツィア映画祭銀獅子賞受賞。ついで、カデミー賞衣裳部門もにノミネートされる。

 初めて知った画家の名前であった。若い頃、ダビンチのモナリザを兼有していたという彼であるから、アルカイックスマイルの不思議な口元の雰囲気と同じ様子の不気味な彼の絵は知っていたが・・・・複雑な人物であったことを知った。  また、探求すべき人物が増えた。

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彼と愛人トク
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島原の女
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2006.06.25
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