翌日は、晴天。
 前夜の豪雨で道路の不都合も心配されてことと、母の不自由な足のこともあって、ハイキングなどはあきらめて、ドライブ一本とした。
草津白根山を頂上から、万座温泉へ横に走り、万座から山を登って西へおりて須坂へ向かう。途中から右へ折り返して、山田温泉へ。一度、五色温泉へ登り向かうが、豪雨の跡の濁流で躊躇した。折り返して山田温泉「大湯」に入る。出かける前にいつもお世話になっているHPで知識を得ていたので、山田温泉に点在する碑の数々も気になっていたこともあり、山中の昭和30年代のいい温泉宿の並ぶ様子が、台風一過でさらに山の緑を引き立たせて魅力的な温泉町であった。
 高山村の松川は強酸性の水であり、温泉の源泉が松川と合流した所が現在も黒く変色しているという。また明治期の松川渓谷には、元湯のほか、滝ノ湯・五色ノ湯・錦ノ湯・黒湯・七九里ノ湯・御公湯と6つの温泉があったというが・・・・

 △ 山田温泉 大湯
  北信濃に位置し、渓谷美で知られる松川渓谷沿いに構える山田温泉は、信州高山温泉郷(蕨、山田、松川渓谷、五色、七味、奥山田)の中心で、歴史は古く、寛政10年(1798年)、戦国時代の武将(?)が開湯したと伝えている。標高900mの高地にあって自然豊かで、時には猿の親子を見かけることもある。俳人、小林一茶も「春風に 猿もおや子の 湯治かな」との句を残している。
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 温泉の名物は共同浴場の「大湯」。近年改装したものの昔ながらの湯屋建築の風情をそのまま残している。あるHPに紹介された冬の共同浴場「大湯」は魅力的な写真である。 

 ▼ 別な説明では、元湯が発見されたのが800年前、現在の地に引湯して開湯したのが200年前という。とある。晩年、不幸な一生を過ごした小林一茶、若山牧水、森鴎外、会津八一など多くの文人が訪れ、与謝野晶子は「心の遠景」の中で山田温泉や松川渓谷を詠んだ20以上の歌を発表している。
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山頭火
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会津八一

 ▼大湯は、建て直されて十数年しかたっていないが、入母屋と唐破風を持つ桃山風の木造建物は温泉街のシンボルで、平成15年10月には大湯の前に足湯も完成したようで、入ってみた。
 ▼大湯の前には前述の小林一茶の句碑が建てられている。
 ▼古風な建物だが、右1階トイレ。広場に面した正面2階入口の脇に自動販売機があり、入浴券を買って中に入る。
 ▼掲げられた古い写真を見ると、建て直す前の本来の姿は、近くの「瀧の湯」と同じように道路側に男女別の2つの入り口があり、真ん中の浴室から反対側の旅館が並ぶ路側にも出られたということを聞いた。通り抜け可能な風呂!と感心した。(が、脱いだ着物はどうしたのかを聴かれると困る!?)・・・・私見では、建て直しには野沢温泉の「大湯」の建築様式が参考になったと思われるが、ただ、野沢温泉大湯」のように、下におりていく構造ではなかった。浴場の中は総檜造り、床も壁も板張りで風情のある浴場だ。男湯女湯が対称に設計されているようである。10人ぐらいが入れる湯船からは、お湯が溢れ出て掛け流しになっていた。お湯の中には湯の花が浮かび、硫黄の臭いもただよっている。温度は少し熱め。板場は広いから休憩しながら入る人が普通。私もそうした。
 ▼ 木工としておもしろいのは、洗い場の蛇口の代わりに木の板をテコの応用で栓として使っているところだ。お湯を出す時は木の栓を手前に引くと樋から湯桶にお湯が注ぎ込まれる仕組みになっている。ただ、流れ口下には、大きなプラスチックのプランターが湯ダメとしておいてあったのは、腐敗を防ぐためとはいえ、興ざめであった。洗い桶は懐かしい(?)黄色のプラスチック「ケロリン」CM入りであった。それでものびのびと入ることが出来た。ただ、女湯に入った妻と母には、温度調節がうまくいかなかったのか、水風呂という大事件が待っていたようである。(7月28日)
 
 【お詫び】
 この大湯の良い雰囲気を示す写真と、湯栓の工夫の具合がよくわかる写真を掲げておいたが、後日、コメントが届いて 
「写真を削除してください。山田温泉「大湯」の外観写真及び湯栓の写真は無断使用です。即刻、削除してください。「温泉の旅」管理人より。」とあって削除しました。申し訳ございませんでした。自分の不明をお詫びいたします。

その後、自分の撮影した写真がプリントしたので掲げておく。
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 ▼ (温泉の泉質) 含ヒ素-食塩泉  
  (入浴時間)午前6時~午後10時  
  (定休日) 毎月第3水曜日(平成17年4月からかわった)

野沢温泉「大湯」
野沢温泉「大湯」

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2005.07.30
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