マウントクックの4月18日 朝
昨夜の雨が 凍って
ハイキングのコースが凍結して
危険。

窓からコーヒーを飲みながら 外の氷点下を見下ろして過ごしています。

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2018.04.18

さくらが満開の時期
花粉が飛んで 鼻が ムズムズ

こんなのがいい!

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NHKから いただきました!


奈緒ちゃん ほしい?

2018.03.25


ニュースで見る画像は 迫力がある。
 新潟市だけが 強風の赤い□で 棒が長い!
 

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投稿サイトから 大型トレーラーが 横転。 その数の多さは・・・
  数年前にも 内野に近い高山周辺の116号で 
  地吹雪の雪で 道路に 車が何十台も 埋まったことがあった。
  
  きょうの巻町の 折れた電柱の数も すごい!
  弥彦山 角田山を分けて吹く 強風は 私も 小学時代に 何度も経験してきた。

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  やひこ かくだの 峰の雲、 
  たなびき渡る 有明の・・・   内野小学校の 校歌を思い出す。



2018.03.02


ホテル「箱根小涌園」は、 湯河原の旅莊「船越」にも
 大昔、30年ほどか35年ほど昔だろうか、
 泊まったことがある。

 埼玉県の高校で教員をしていた頃、そこは出来たての新設校であったので、
高校教育環境の基礎を作る事でPTAなど生徒の保護者と話し合う仕事が多く、
会長さんら役員の皆さんと仲良くなって、子供たちが卒業してしまっても、
OBとしての後援会活動をされており、そのお仲間に加えてもらっていた。

 まだ、30歳を過ぎたばかりで若かったので、休みに
遠征するときには運転手役も務めた。
カーナビの無い時代には、地理社会の教員であったことが、運転にむいていたのだろう。


《その1》


 ここ湯河原の有名であった 旅莊「船越」 へも泊まらせてもらった。
  (船越英一郞の父母、映画俳優の船越英二、長谷川裕美子の経営であった。)
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ワンボックスカーに皆さんを乗せて、理想郷の看板の所から、細いジグザグの急坂に挑んだのだが、
今、改装工事が されている旧船越への道は、先年騒ぎになったかの元都知事の別荘を横目にして
  登る所だった。
自分では 初めてのワンボックス大型車の運転で、細道のカーブを曲がるときには、
  車のスソ部分が角石にこすらないかと心配しながら運転した30年前を思い出す。

  ふしぎなことに、今、その町に 私は住んでいる・・・・・・・・・・・・・ その狭い上り坂も 3分で行ける。



《その2》

 思い出すといえば・・・・・別な年の旅行では、箱根での泊まりは、
   「小涌園」であった。
一歩、小涌園ホテルの内に入って自分がニッコリしたことを思い出す。
 その1960年代のモダン・デザイン・ビル建築は、私の好むところであったからだ。

1962年封切の星由里子・加山雄三主演の
   獅子文六 原作、映画「箱根山」では、

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  若い東野英治郎が開業した自分のホテルに視察にやってくるシーンで階段・ロビーなどが写っていた。
 そのホテルは、日本のリゾートホテルの先駆けとも言える吉村順三設計の
 ホテル小涌園(1959年竣工・開業)のホテルであった。

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今年1月、先週閉館した「小涌園」は、
 

   小涌園閉館
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複数回の増築経て客室数は220。開業当初は外国人専用ホテルであった経緯から、外国人利用率が高く、
JTBの訪日外国人向けツアー「サンライズツアー」の定宿となっていた。
日中国交正常化以前から中国要人の往来があり、伝統的に中国VIP客の受け入れてきて
中国人の箱根における重要な観光拠点となってきた。
 開業時はドライブインであった別棟があり、現在は周辺では唯一のコンビニエンスストアである
 ファミリーマート箱根小涌園店を開設していたので、
 大学箱根駅伝の応援スポットのお客さんで正月明けは混雑する。

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  「小涌園」は このたび老朽化の理由により2018年1月10日をもって閉館となった。
  上の写真風景が 変わってしまう・・・



 先日、義父の残した手帳見ていたら、
1976年(昭和51年)4月 
  東京オリンピック前から後、
 バブル景気の時期からモーレツ・サラリーマンの実態が分かる
     歴史的史料だと私は考えるのだが・・・

      二平日記

 そこには
 4月23日 金曜日の夕方からの菓子製造会社の懇親会当番役として18時に出席。
 翌土曜日には「上野精養軒」での結婚式に出て、一旦、会社へ戻り資料を受け取ってから帰宅。
 翌日曜日は、この「小涌園」での会合に出ていることが分かる。
 その翌月曜日26・27・28日三日間は、群馬県前橋市の菓子卸商の「株式会社上信」の
      見本市のお手伝いに出張。
 天皇誕生日の祭日29日も報告事務と出荷準備に出社した。

     恐るべし。 お義父さん。
      私の義母は それを支え、
      私の妻は、 そのモーレツ営業マンの 娘なのだ。


2018.01.21


弟が
  年末の忘年会 
  西大畑の行形屋の会合が終わって、
    帰りに 昔 住んでいたところだったから 
    歩いてみたというので、
 その写真を 送ってくれた。

地獄極楽の道3

  年末には 夜になっても こん風で、
    大雪には なっていなかったようだ。 
          が、行形屋(ゆきなりや)の隣のこの道路は、
  
  弟も 私も、父も 母も、ここを歩いたのだ。 結婚して、私の妻も歩いた。
    この大畑の家に住む者が 居なくなって、借りてもらっていた方に転売したのだが、
    更地にする作業、
       つまり 明治の初めに建って 100年を経過していた芸者さんの家を壊したのだが
    それら手続きで 自動車で行くと、
    この写真の奥の水銀灯・ミラーの凹みに車を留めて 
    左の小路に入ったところに建っていた家に 歩いて入ったものだ。    

地獄極楽小路

    これが、西大畑町 行形屋の塀の角に
    「地獄極楽小路」と表示されている。
    道路の左が 芸者さんとお酒も飲める 極楽の料亭 「行形屋」で、
    道路の右が レンガの高い塀(上半分を削って短くしてある)の右は、新潟刑務所であったから。

現状

    昼間は こんな様子だ。 
    が、
    正月明けの大雪で 今は ここも通行止めだろうか 
    80センチ積雪だ。
信濃川向こうの 県庁付近でも こんな具合のようだと・・・・
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2018.01.15
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