筑波山神社へ向かう
 前日 着物を着る練習をして みました。 

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でも 残念ですね。 翌日 11月9日は あいにく 雨になってしまいましたから
 着て 神社の階段を歩くことが出来ず、 おかあさんの腕に抱かれて 参殿へ。
 雨に濡れながら おかあさん頑張って登りましたよ。


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2014.11.08
今日の一枚は、茶色の柿渋紙です。
 先日、常盤さんのお宅で、見せていただいた物の一枚です。大きさは新聞紙広げた大きさ。

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斜めに、綿絹などの商品を包んで、郵送で送られたのだろうが、「四」の筆字があるのですが、〒切手は、はがされてあって、消印も不明です。
 差出人の最後の3文字「束六匁」でしか読めないのですが、

この中身は不明ですが、宛名は
 「神奈川県相 模国足柄 
   下郡吉濱 千三百七十貳番地
    常盤半 蔵 様」
  差出人は「東京駿河町 三井呉服店 ○○○」
  字の間隔から、横と縦に十文字に麻紐でくくられていたようです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日付は、いったい いつの物なのでしょうか?
 三井八郎右衛門高利が、江戸で始めた呉服販売店「越後屋」が、明治になって、次々と改善されていました。井原西鶴の『日本永代蔵』にも紹介されたように
 「よろず元銀売りに 掛け値なし」「店員一人づつ専門商品を担当」等のやり方で仕事をしています。

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さすがに明治になって、座売りの時代ではない、これからは陳列方式へのデパートとなるのですが。それまで名乗っていた「越後屋」を、明治7年(1874年)からは、新「越後屋」として、名前は一緒でも新スタートを切りました。
越後屋○越のれん明治7年の越後屋呉服店の写真か「○に越」「えちごや」

越後屋呉服店 屋根上に○に三と井の字があるので三井呉服店になった明治26年の写真か?
その後、
 明治26年(1874)「三井呉服店」と改称。
さらに
 明治37年(1904)12月「三越呉服店」と改称していますから、

常盤家へのこの郵便物は、三井呉服店とありますから、
 明治26年から、37年まで間に郵送された
ことがわかります。

ちなみに、明治29年9月発行の三井呉服店「引き札」(宣伝広告)です
 まだ、店名の脇に「えちごや事」との注がついています。
  明治29年9月引き札※画の上にマウスを置いてクリックすると拡大できます

2013.08.19
 成人式会場には、12,000人対象者のうち、8千人以上の参加があったたというTVニュースであったが、受付でのハガキを正確にカウントしたわけではないようである。会場の埋まり具合で推定したものであろう。
 女性の大部分は振り袖であったことは紹介した。いくつかの写真は、会場のレイアウトや受付状況、混み具合を写した仕事上の物であるが、この一枚は、今日の会場一番の美人さんである。
 
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2007.01.08
「文化の日」朝から勤務先へ、そして隣の神社でのアルバイトをする子供達の様子を見に、部活動の様子を見に出かける。
 野球部は、庄和高校を招いての1対1の試合であった。

 久伊豆神社は、歴史ある神社。200年と言われる藤の大木がある。
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 近くに徳川家康の鷹狩りの御殿があったことから葵紋の使用を許可されていたという。
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 今日は七五三のお参りの家族づれが多く、巫女さんはじめお祓い受付の高校生のアルバイトも本校生が活躍していた。
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 赤・ピンクが基本。空色がそれに次ぐ。
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 もちろん、洋服姿もあったけど、女の子は振り袖、男の子は袴姿がこの神社では多かった。親も目を細めていたが、なんと入ってもおじいさんおばあさんのはしゃぎ様は、名カメラマン顔負けであった。みんな一眼デジタルの高級機。親はビデオ撮影といったふうであった。
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 ※ 久伊豆神社(ひさいづじんじゃ、きゅういづじんじゃ)は、埼玉 県の元荒川流域を中心に分布する神社である。祭神は大己貴命(大国主)である。久伊豆神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。
 北埼玉郡騎西町の玉敷神社(たましきじんじゃ)は、かつて「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされている。
 越ヶ谷久伊豆神社の創建は鎌倉時代とされている。神紋は立葵である。境内には、国学者・平田篤胤の仮寓跡とされる松声庵がある。境内の藤は県指定の天然記念物となっている。
 越ヶ谷久伊豆神社は、もとは越ヶ谷郷のうち四丁野村(現在の宮本町)の領分で、その別当として四丁野の迎摂院の住職が神主を務めていました。今でも越ヶ谷の秋まつりでは、神興の渡御には四丁野の住人が白装束でこれをになうならわしになっています。

社宝には平田篤胤が文政3年(1820年)に奉納した天之岩戸開の大絵巻、境内には樹齢200年のフジや「出る日の旅のころもやはつかすみ」と刻まれた越谷吾山の句碑、昭和17年の土井晩翠題詠の歌碑などがある。「気吹の屋いづみの霊の宿れりし あとなつかしき 越ヶ谷のさと」笹川臨風(りんぷう)の書による。
2006.11.03
 表参道の結婚式で見かけた幼いお嬢さんは、着物を着て歩いて会場に現れた。帰りは疲れてダッコされていたが、カワイイとお客さんもいっていた。
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 振り袖ではなく、白い足袋がキリッとしていて、色柄もすっきりと決まっていて御神輿を担ぐような江戸っ子の雰囲気かあり、いなせな江戸娘であった。余りのかわいさで断りもなくスナップを掲げさせていただく。
2006.10.01
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