FC2ブログ


きょうの午後
 城願寺などを ご案内した 社員研修の皆様からの質問に 
        時間が無くてこたえられなかった 付け加え資料

        IMG_2752.jpg

土肥実平が 畠山重忠と並ぶ「東国武士の鑑」といわれたが、
    東国武士の在り方を表す エピソード 二つ

①『吾妻鏡』元暦元年(1184年)11月21日条・・・・・・・・・・・・・・・・・・

二十一日、雨午。
 今朝、武衛(源頼朝)は御用があって、筑後権守(藤原)俊兼を召した。俊兼は御前に参上したが、元々派手な者であり、今日は特に美麗な服装であった。
 彼は、当日、小袖十余領を着ており、その袖の棲(つま)は、重ね色になっていた。頼朝はこれを御覧になると、俊兼の刀を召した。(俊兼が刀を)差し上げると、御自分でその刀を手に取り、俊兼の小袖の棲を切り取られた後、こう仰った。
「汝は才幹に富んだ者で、倹約ということを知らないわけがなかろう。 (千葉)常胤や(土肥)実平らは、清濁の分からない武士だ。だが、彼らの所領は、俊兼に比ぶべくもないほど多い。しかし、彼らは、衣服をはじめとして粗末な物を用いて美麗を好んだりしない。だからこそ、彼らの家は富裕で聞こえ、多くの郎従を扶持して、勲功に励もうと心掛けている。汝は財産の遣い道を知らず、大変分に過ぎた贅沢者である」。
 俊兼は二言もなく、頭を垂れて恐縮した。頼朝が、「今後は華美を止めるかどうか。」と仰ると、俊兼は止める旨を申し上げた。
(中原:大江)広元と(藤原)邦通は、たまたまその場に控えていたが、みな魂も消えるような思いであったという。

 この頼朝に召し抱えられた祐筆=書記官の 藤原俊兼とは
  『吾妻鏡』での初出は養和2年(1182年)正月28日条で、俊兼は簀子(すのこ)に控えて、伊勢神宮に奉献される神馬10匹の毛付を記している。元暦元年(1184年)4月23日には、下河辺政義が俊兼を通じて訴え出、頼朝の命により、俊兼が常陸国目代に御書を代書している。藤原邦通と重なりつつも、それと入れ替わるようによく登場し、逆に邦通は右筆としても影が薄くなる。同10月20日条では頼朝御亭東面の廂を問注所とし、三善康信を筆頭に藤原俊兼、平盛時が諸人訴論対決の事を沙汰することになったとある。

元暦元年(1184年)の
 上記の頼朝の諫めをうけてのち、改心しその後、文治2年(1186年)3月6日条では源義経の行方について静御前の尋問を行った。同年8月15日条では、西行の語る流鏑馬の奥義を頼朝が俊兼に書き取らせている。


②『平家物語』 富士川  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大将軍権亮少将維盛(平維盛)は、東国の案内者として、長井斎藤別当実盛(斎藤実盛)を呼んで、「お前ほどの強弓を引く勢兵は、関東八箇国にどれほどおるか?」とたずねると、斎藤別当はあざ笑って、「そうおっしゃられるのは、君(維盛)は、わたし実盛を大矢([普通より長い矢を射ることができる者])と思われているのですか? わたしの矢は、わずか十三束([こぶし十三握りの幅])に過ぎません。私ほどの弓使いは、八箇国にいくらでもおります。大矢と申す者で、十五束に劣る者はおりません。弓の強さも、大力の者を五六人して張るのでございます。そのような者が射れば、鎧三領を簡単に一つ残らず射通します。大名と呼ばれる者で、五百騎に劣る兵を持つ者はおりません。また馬に乗れば落ちることを知りません、悪所を駆けても倒れたりはしません。戦では、親が討たれようが、子が討たれようが、死ねば乗り越えて行きます。西国の兵と申すものは、そんなことはしません。親が討たれれば引き退き、仏事を孝養([亡き親のために供養をして、ねんごろに弔うこと])し、忌([喪中])が明けてから戦に戻ります、子が討たれれば、嘆き悲しんで、戦に出て参りません。兵糧米がなくなれば、春には田を作り、秋に刈り終わってから攻めます。夏の戦を暑いといやがり、冬は寒いと言って嫌います。東国の戦と申すのは、そのようなものではありませんその上、甲斐や信濃の源氏たちは、このあたりをよく知っております、富士の裾野より、搦め手([後陣])として寄せて来るかも知れません。こう申せば、大将軍(平維盛)を怖じさせようと、申していると思われるかも知れません。そのようなつもりではありません。ただ戦は勢の多少で決まるものではありません。大将軍の采配によるものだと聞いております」と申すと、
これを聞く平氏の兵たちは、みな震え恐れ合いました。→ この話を聞いていたので、明け方の鳥の羽音に、「源氏が急襲してきた!」と平氏軍が、あわてて逃げたという話しにつながります。
スポンサーサイト
2019.08.01


きょう 8月1日の城願寺で行われた ヨロイ兜着付け体験
  19名の 留学生が参加しました。

私は、土肥会会長の指示通り、 10時までに 会場入り。
  10時前に到着して、
  10時からの 解説を14分間で実施しました。
    城願寺の解説、頼朝旗あた挙げの歴史解説、刀・ヨロイ・カブトの解説  



そのあと、着付け体験を おてつだいのみなさまにより、進められました。

   IMG_2684.jpg


 IMG_2689.jpg IMG_2690.jpg


よろい・カブトの着付け 完成です。
  昨晩 私が作った インスタのフレームを 利用して、個人写真を撮りました。


IMG_2728.jpg IMG_2704.jpg

 IMG_2694.jpg IMG_2680.jpg

IMG_2700.jpg IMG_2725.jpg

 こんなふうに撮影して、私が撮影した 各自自分のスマホで、 
   自宅や友人へ インターネットを使って 送ってもらうことにしました。 19か国に届けられました。

      IMG_2735.jpg


   そして 最後は、全体での記念写真です。 思い思いの ポーズを取ってもらいました。


   記念写真1

 そして このお弁当を いただいて・・・・・・・・・・・・
   次の 午後の 新しい訪問者への説明の 腹ごしらえをしました。  

           
IMG_2736.jpg




2019.08.01


 「ユーチューブ」に アップされていた
  22日 前の放送で 放映された 予告編を
  引いてきました。




  ▶ をクリックして 動画を ご覧下さい。
 
なお、本編は 30分番組なので、[You tube] に アップしてくれるか
 どうか分かりませんので・・・




2019.07.01

29日(土)の朝 7:30-8:00
  BS7 テレビ東京の「ミステリアス ジャパン」を見ていただき、
  激励の言葉や感想、 質問を受けました。
  ありがとうございました。

  テレ東の HPから 番組表をみると・・・
  
    番組予告

でも  実は まだ私は 見ていません。
  下の 22日に放送となった予告編の 
  ユーチューブの画像動画を DVDに取り込んでみる作業をしていて、
  時間がありませんでした。

番組予告篇動画

きょう 予告編を見て 初めてわかったのですが、
  この数年間続いた 名物番組の 最終回だったのですね。
  今日まで 私は 知りませんでした。

  なにしろ 5月末の撮影時には 
  曽我兄弟の箱根の回と、雨を避けて 
      同時進行で撮影が行われていたので・・・

  本編は  明日の午後に 夫婦で 初めて 見ます。




2019.07.01


放送日が 近づきました。

20190627143758ddd.jpeg

2019.06.27
 | HOME |  NEXT PAGE »