きょうの 土肥会役員会までの

   鎌倉日帰り研修、12月13日実施参加の
   申し込みが
   27名と バスの補助席まで利用した定員に達したので、
   11月30日〆切としてあったが、
   ここで締め切って 確定の通知を出すようにという決定がなされたので

   帰ってから、次の参加決定通知を 27人へ 明朝 発送することにした。


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2017.11.16


先月末に 実施計画を作成した鎌倉研修ですが、
  計画が適切なら 役員会で承認を受けて 
  その参加者募集を 地元紙に掲載するよう、会長に依頼していきましたが、
  今朝の11月2日 下記のように 『日刊 相豆』に掲載されていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日刊相豆タイトル

29.11.2.29年度土肥会帰り旅行募集記事

   今月から 我が家では 「読売新聞」に 契約がなっているので、販売店の関係で
 今月から『日刊 相豆』さんに変わりました。 
 同じ記事が 『湯河原新聞』にも掲載されているように思います。

  掲載ありがとう御座いました。 

  
  最後の方に記事にあるように  
    湯河原町などにお住まいで参加希望の方も ご応募ください。
       募集は 11月31日迄に
    電話か 葉書で申し込むことになっています。


なお、このブログの10月23日記事にも 詳しいことを紹介していきましたが、
  まだ、「土肥会のHP」には このことが掲載されておらず
  新聞発表が先になってしまい、
  順序が逆になっているようですから、
  歩くコースの ねらいと略図は、 下に 再録して掲載しておきます。 



今回の見学ポイント・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

   地
図記載の徒歩時間より 余裕をみて計画してあります。鎌倉市 内の平地を歩きますが、唯一、
   八幡宮の大銀杏わき階段の60段 だけが苦労です。

  ①土肥実平は、出羽三山の僧兵を懐柔させるために黄金堂を造るなどしていた時に、源頼朝が奥州征伐で、平泉の  
    毛越寺などの見事さから建設を決意した永福寺(ようふくじ)の国史跡の発掘現状を見ます。
  ②残念ながら、今だ土肥実平の鎌倉での屋敷跡が不明です。今回、それを推定できるか、地図を持って現地を訪ねます。
  ③和田義盛の乱に味方した、実平の孫の土肥惟平らの動きを地図を持ち段葛を訪ねます。 
  ④義経が壇ノ浦で捕虜とした平宗盛・清宗父子を、腰越で土肥実平が預かり、北条時政と共に段葛を歩かせた。
    段葛二の鳥居で その場面に思いをはせます。
  ⑤一の鳥居脇に、畠山重忠の子重保の墓といわれる市指定有形文化財石塔があります。畠山のことをお話しします。
  ⑥和田合戦で敗れた和田一族の墓は、和田塚駅近くにあります。
    この⑤⑥二つを 北条氏の陰謀の犠牲になった場所として見学します。

      HPTIMAGE_20171023224353f48.jpg

   地図上にマウスのカーソルをおいて クリックすれば 地図が拡大されて見やすくなります。






2017.11.03



  12月の土肥会の日帰り研修の計画を作りました。
  役員会の承認を得て 募集を始めます。




湯河原町広報ゆがわら、HP
新聞各社宛 紹介記事の依頼文
 
 土肥会が鎌倉の史跡日帰り研修参加者を募集
 12月13日鎌倉幕府の土肥氏和田氏史跡を歩く 



土肥実平一族の顕彰と郷土の歴史を学ぶ土肥会(深澤昌光 会長)では、土肥会会員を含む町民の12月13日(水)日帰り研修の参加者を募集している。
 昨年、国史跡に指定された頼朝が奥州平泉征伐で見た藤原氏の諸堂にならい建立した「永福寺跡」から、源頼朝の墓、毎年「焼亡の舞」を奉納する鶴ケ岡八幡宮や、土肥実平や和田義盛の屋敷跡を推定しながら、一昨年に改修された「段葛」を経て、和田塚まで約4kmの平らな市街地を歩くもので、申し込みは11月30日(木)締切りで、下記のように郵便ハガキまたは電話で申し込む。
 湯河原町のバス使用許可を受けての研修のため定員24名で参加費二千五百円(昼食・保険・資料代)を当日集金する。資料作成と当日の案内説明は加藤雅喜土肥会理事がおこなう。なお一般町民希望者の参加も可能であるが、希望者が多い場合は土肥会会員を優先して、参加の可否を電話等で連絡することになる。
※歩く日程や距離、見学場所、見所や鎌倉略図などは土肥会のHPに掲載してある。土肥会検索


  ◯日程は
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12月13日(水)午前8時 湯河原町役場からバス出発ー10:00鎌倉二階堂永福寺跡ー(徒歩)ー10:30鎌倉宮ー(徒歩)ー11:10頼朝墓・三浦氏やぐらー(徒歩)ー12:00《昼食》ー鶴ヶ岡八幡宮境内、源氏池を散策してー(徒歩)ー13:30遺跡展示場を見てからー(徒歩)ー段葛・二ノ鳥居・一ノ鳥居ー(徒歩)ー14:10畠山重保邸跡・供養塔-(徒歩)ー14:30和田塚・供養塔、14:40バス乗車して帰路へー16:40湯河原町役場着、解散
 

  ◯申し込みは
  11月30日(木)までに、郵便ハガキに、保険を掛けるため名前・〒番号・住所・年齢・電話番号を書いて〒259-0303湯河原町土肥5-4-6土肥会深澤昌光会長あてに。または電話で070-5581-1012土肥会池田事務局長まで。 



  ◯今回の見学ポイント

地図記載の徒歩時間より 余裕をみて計画してあります。鎌倉市 内の平地を歩きますが、唯一、八幡宮の大銀杏わき階段の60段 だけが苦労です。

①土肥実平は、出羽三山の僧兵を懐柔させるために黄金堂を造るなどしていた時に、源頼朝が奥州征伐で、平泉の毛越寺などの見事さから建設を決意した永福寺(ようふくじ)の国史跡の発掘現状を見ます。
  
②残念ながら、今だ土肥実平の鎌倉での屋敷跡が不明です。今回、それを推定できるか、地図を持って現地を訪ねます。

③和田義盛の乱に味方した、実平の孫の土肥惟平らの動きを地図を持ち段葛を訪ねます。
  
④義経が壇ノ浦で捕虜とした平宗盛・清宗父子を、腰越で土肥実平が預かり、北条時政と共に段葛を歩かせた。段葛二の鳥居で その場面に思いをはせます。

⑤一の鳥居脇に、畠山重忠の子重保の墓といわれる市指定有形文化財石塔があります。畠山のことをお話しします。

⑥和田合戦で敗れた和田一族の墓は、和田塚駅近くにあります。この⑤⑥二つを北条氏の陰謀の犠牲になった場所として見学します。

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2017.10.23


 台風と選挙開票のTVを見ながら 以下の資料提供のお手紙を書きました。


  様    先日は ありがとうございました。 

(1)土肥実平の花押の筆順については
   別紙に印刷しましたのでお送りします。字がそれでも小さいのですが、拡大して筆順の番号と色を手掛かりにご覧下さい。
   本来、筆順は紙裏も透かしてみて推測、確認するのが必要なのですが、それが果たせない文書でしたので、数年前の解析は、これが精一杯でした。

(2)すぐに回答できることを書きます。
   石橋山での兵数は、私の勘違いで、『源平盛衰記』に、頼朝ら300 大庭ら3,000とあると思っていたら、『吾妻鏡』でした。          同時に、石橋山参加者の名前を挙げた部分ですので 国史大系本『吾妻鏡』のそのページのコピーを付けましました。

(3)同じく、
  高橋 徳さんの著作には
  中村宗平について、何歳であったかと書かれていることがあるとのお話しでした。本にあたって見ました。

p、51 養和2年(1182)1月28日・・・・・・・・・・・・・・・・・
    黒瓦毛  中村庄司宗平 
 
このあと、高橋さんの記述がありますが

  ①国史大系本『吾妻鏡』には 
     中村庄司としか記入されていません。

  ②現代語訳『吾妻鏡』には
   中村庄司(宗平)と勝手に宗平を補充し解釈しています。

   高橋先生は この②の本を見ていないのですが、中村庄司とあれば、宗平という 思い込みがあるのかもしれません。

  
p、131 建久3年11月29日・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (中村庄司)宗平
 

このあと、高橋さんの記述がありますが

  ①旧国史大系本『吾妻鏡』には 
     中村庄司
     義澄 宗平 行平・・・ とあります

    『吾妻鏡』の編者か、後の注を付けた学者かも自信が無かったのでしょう。
    宗平が生きているのは変だと云うので、中村氏の息子達 かというので、「中村庄司」と補記されたものでしょう。

②現代語訳『吾妻鏡』には
  中村庄司宗平と解釈しています。 
  しかし 25の注を付けて 「生没年未詳」として、宗平といえないことを暗に示しています。


以上 取り急ぎ送れる用件のみ送ります。
   
  平成29年10月22日


  
                 
2017.10.22


きょうは 朝 9時 
  雨の中を 車を運転して 
  事故渋滞の高速道路を 北東へ向かい 
  30分の遅刻で お目にかかれました。
  申し訳ございませんでした。

15時過ぎまで 情報交換できました。
  雨の中を 戻りました。
  宿題が沢山でました。  
  
このあと しばらく 机に向かえないので、
  11月の研修の説明、講演などが 終わったら
  宿題を 解決できる物から片付けることにします。

 土肥会の先人が 目標を立てて
   こういう聞き取りや 疑問の解決を繰り返して 
   情報を集めてくれていれば ラクで 私も助かったのですが
 
  最初から 自分で やり直すのは大変です。
   が、
   出来るだけ 
   自分に 残された これからの 一年間余で、
   私が 知り得たことを 小冊子に記録にして残したいものです。


  



 
2017.10.20
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