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 きょう 太陽暦の 6月2日は、
 「おくのほそ道」の 旅を続けている 松尾芭蕉と河合曽良の二人は
 きょうは まだ 「黒羽」にいた。
 深川の「臨川寺」にいた 仏頂ぶっちょう和尚が修行したという「雲巌寺」に行ったのちは
 ずーっと 雨に降られて、
 その後も 黒羽の俳諧弟子の翆桃の一族に歓待を受けて 二週間弱 滞在した。

 そのあと、那須の殺生石を見に西へいき、

 野を横に 馬 牽き向けよ 郭公(ほととぎす)

また東へ戻り、
 白河の関へ北上するため、奥州街道の「芦野」へ向かった。
 

そこは 西行の縁地でもおある 「遊行柳」があったからである。
   中公文庫の 矢口高雄が描く
   まんが日本の古典『奥の細道』は 遊行柳(ゆぎょうやなぎ)をこんなふうに描いている。

柳

          おくのほそみち矢口高雄

又、清水ながるゝの柳は蘆野の里にありて田の畔に残る。此所の郡守戸部某の此柳みせばやなど、折々に
 の給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。

   田一枚 植えて立ち去る 柳かな  


 そこから 太陽暦 6月7日・・・・・・・・・・・・・・ 白河の関を こえるとき

 心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ。いかで都へと便求しも断也。中にも此関は三関の一にして、風騒の人心をとゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢猶あはれ也。
 卯の花の白妙に茨の花の咲そひて、雪にもこゆる心地ぞする。古人冠を正し、衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。
 卯の花を かざしに関の 晴れ着かな   曾良

先週、私が
  湯河原の山中に TV撮影隊を 案内して 立ち入ったときに
  『おくのほそ道』の この部分と同じ季節、同じ太陽暦の日に、芭蕉・曾良の旅と同じものを感じた。

     郭公(ほととぎす)、新緑の柳、卯の花、田植え、水をはった水田、などである。

この季節になると、校長の代わりに 
  6月初めの 春日部工業高校の全校集会で、 ここの部分を引用して
  衣替えの季節、 白ワイシャツで登校する生徒に、
  芭蕉や曾良も、新しい季節、新しい場所へ入る覚悟をしている
  気持ちを、『おくのほそ道』に 書き残している・・・・  

 気分を一新して 夏を乗り切ろう!と話したことを思い出す。
 
  
声を出して古典を読む公開講座のみなさんや、
     戸田市文化財研究会の皆さんを 案内したことも思いだす。
   また、久しぶりに 出かけて みたいものだと思う。   




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2019.06.02


木曜日は 朝早く 6:22発の電車で 湯河原を離れて
   通勤時間を、立川駅の快速・特別快速 東京駅行きに乗っていた・・・

   早朝で あまり混雑していない電車内では、
   年表づくりを やりながら 横浜へ向かった。

   雨のなか 丸一日、ご自宅へお邪魔して
   作業をおこなった。

その お邪魔したお宅で、
  ドナルド・キーンさんが 亡くなったね。
  そう言われた。見せてもらった週刊誌には
  下の写真がでていた。

  先週の 「週刊文春」グラビアに載る 写真は、  

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左から 高見 順、三島由紀夫、大蔵彌太郎、ドナルドキーン、有吉佐和子という 写真である。 


そう、私は そのおじいさんのお名前を襲名した 大蔵彌太郎さん宅で
   10時間の作業を おこなって
   新宿まわりの、最終電車で 湯河原へ戻ってきた。

   出かける前に 与謝野晶子の 湯河原年表の原稿を作っていたので、
   3時間睡眠で 出かけていったので、
   さすがに 終電の帰りは 眠かったが、
   話し相手の話題の豊富さ、故郷が同じ県 
   ということで、持ちこたえた。

   最終電車での帰宅後、今日やった資料を清書して睡眠。
   今朝は きのう電車内で作った 「年表」を完成させて、
   A4 4枚に 印刷。 
   終わったら午前9時57分。

   「与謝野晶子と湯河原」展の
   10時開会直前に、完成させて、
   会場へ持参した。

   展覧会の開会に遅刻してしまった。10:05会場着であった。
   既に 6人方が、お待ちであった。
   申し訳ない。

   会場に 私も詰めるべきなのに、
   「年表」を届けてから  
   即刻 帰宅して、着替えて、電車で 品川へ向かった。 

望楼1syou

 きょうの電車の行き帰りにも 
   今度は、きのうの 10時間作業の 
   「漫画 頼朝実平の旗挙げ」本作りの
   やり残し原稿を 18本作る作業を電車内でやりながら往復。

   お隣の方々 ご迷惑をおかけしました。
   結局 9本しか出来なかったが・・・・
   あとは 日曜日完成を目指す!


帰宅後は 与謝野晶子が 吉浜で作った
   夏の短歌 61歌の額入りが 
   なかなか読みにくいので、 
   読みたい人に 手渡しできる、私がその自筆額の写真から読んだ
   模範解答(?)の 印刷版を作成した。

今晩、23時過ぎに完成をみた。

   遅ればせながら 明日から
   自筆額の晶子の字との 見比べながら
   鑑賞してもらう紙を 用意します。

きょう 既に会場へおいでで、もらえなかった方(まだ 出耒ていなかった)には
   あとで お渡しします。

   結構 読みにくくで、私の誤読もあろうが、
   あくまでも ご参考に。







   
 
2019.03.08

正直言って アイスランドに 犬も 猫も 見かけませんでした。
  9月下旬の 島国には。

 きょうの放送の取材は、夏前というのに、みんな防寒の姿でしたが、猫たちは元気でしたね。
 旅行の本を見ると、
 首都レイキャビックに、猫を見にいこうというテーマの 旅行企画もあるので、
 猫が多いのでしょう。

買い物にいった 小さな首都にも これらの猫の姿はなかったです。
  私も 渡り鳥に パンをちぎってあげた水辺にも、
  下の 写真の カモメを狙う猫も 市役所の案内所カウンターにも 
  この市役所わき水辺にもいませんでした。

                   猫2

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今回の岩合さんの取材の町まちは
   以下ですが、 奇しくも、全部 今回私たちが行った場所でした
    
  ・レイキャビックでは : 上記の通り
  ・セルフォス では  : スーパーにトイレ休憩で行きましたが、コケの溶岩平原の穴に 
                    遊ぶ子猫たちを見ることは出来ませんでした
  ・レイクホルトでは  : 羊小屋に、羊と一緒の生活を送る子猫たち
  ・ビークでは      : 黒砂海岸を散歩する 猫たち
     私たちは この岬・海岸の町で、出来たばかりの 雨風の中 スーパーへ行きました。
      この岬の沖合には 真鶴半島の三ツ石のような岩が並んでいますが、 
     「パフィン」という鳥の住む岬の裏側は 「柱状節理」が 大きく素晴らしいものでした。

この地名は 「レイニアスファラ」黒砂海岸、というのですが、玄武岩溶岩の柱状節理が黒く
     それが細かく砕けた 黒い粒の海岸でした。
 
     レイニスファラ海岸

     柱状節理アイスランド黒砂海岸

 この岬の 玄武岩の柱状節理を見ていて、ふと思い出しました!

 じつは 湯河原の山奥には、 むかし(10年くらい前でも) 「湯河原幻の滝」といわれていて
   幕山の梅公園からも ゆっくりなら 2時間はかかるという
   「六方の滝ろっぽうのたき」というのがあります。

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   2017年、昨年あたりから 突然 行く人が急増しました。
   もう「幻の滝」ではありません。
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  上の 小田原市早川から 大観山へ行く「ターンパイク」の駐車場から下るコースも
       開拓 使用されています。
  このほか 湯河原ー箱根の「椿ライン」の「レーダー局前」のバス停下車で、
      すぐ 林へ入った 「土肥大杉碑」をみて下るコースも通る人が出て来ました。

   SNSの威力は スゴいもので 
     今年の夏は 多くの家族、友人、登山ハイキングクラブが入山しました。
   
         rottupou-1.jpg


 これらの地図も 写真も、藤沢山の会などの皆さんの記録から ご紹介しましたが、この紅葉の秋も
 多くの方が 挑戦されて、 幻ではない「六方の滝」となるでしょう。 
 
 「整備が出来ないので 危険だから パンフを作らない。」という 観光行政は 時代遅れになっています。
       是非 登山道案内板、ロープなどの整備が急がれます。 


  今回 自分が行った アイスランドで、 
     妻に 「この柱状節理は 湯河原にもあるんだけど、秘密なんだよね観光資源なのに・・・・」
     「エー  そうなの   勿体ないね。」と 妻。

  今晩 NHKの猫番組を見て、思い出したので 
      湯河原にもある 「柱状節理」の岩と滝を 紹介しました。

  ちなみに「六方」とは 六角形の立方体の石を表した 良い名称ですね。
      この岩の上を、
  土肥実平が 歌舞伎の勧進帳、弁慶のように六方を踏みながら、渡って見せて

         六方を飛ぶ

   たまった水面に写った やつれた自分の顔を見て絶望し、自殺をほのめかした気弱な頼朝を
   「じがん水」で 思いとどまらせたうえに、 この滝の上を 飛び跳ねて わたって見せて、
   源 頼朝をはげましたという エピソードから 「六方の滝 ろっぽうのたき」といわれたと
   いう由緒を 私は作りたいと思いますが、如何でしょうか?  

     土肥会長様、観光協会様、観光課長様、能狂言師大蔵彌太郎様、 



  

     
   
2018.10.05


芭蕉は 今から328年前の元禄二年
  『奥の細道』の旅の最中であったが、
  きょう 届いた  新刊 岩波文庫『芭蕉自筆 奥の細道』 ¥970 
  
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  その88ページにある 有名な 山寺「立石寺」への往復をして 
  この日は 大石田へ戻る道をあるき 到着した。

  この時鳴いていた 立石寺での 蝉の声は 
  アブラゼミの声か ミンミンゼミの声だったかという論争が
  斎藤茂吉らが参加して行われ 
  新暦の同日に現地での傾聴により 後者に決まったようであるが・・・
  芭蕉は こんなふうに 書いている。  

立石寺
   (右の芭蕉自筆本では 張り紙をして「立石寺」に直してあることが分かる。
    剥がしてみると、下書きの「隆釋寺」の上に 張り紙してあることが分かる。これは、「立石寺」=りっしゃくじとは
    芭蕉は読まず、「りゅうしゃくじ」と聞いたことが分かる。 )

 次のページでは 大きく 7行にも及ぶ張り紙があるが、字の間違いというよりも、
   行間を整える バランス良くするために 行数を増やしたことが分かる。

  最上川の近く 大石田に宿泊して 句会を開いていた。
  大石田では、俳諧仲間との句会を 気持ちよく開いていた。

大石田

  この大石田の脇を流れる 最上川の 川湊の前には 
  公開講座のバス旅行で、皆さんを案内したときには すでに 訪問者が多かった
  下の写真のような 千本ダンゴ屋が ドライブインとして にぎわっていたことを思い出す。

大石田千本ダンゴ

 きょうは 購入した 『芭蕉自筆本 奥の細道』の ページを使って 
   きょうを 新暦に直して・・・・
   芭蕉の行動を 追ってみた。

  近日中に 有名な 最上川下りをして
      「さみだれを 集めて早し もがみ川」 作る事になる。



2017.07.16


 今から328年前

 元禄二年(1689)7月4日 (太陽暦では 8月18日)、
 弥彦神社に詣でて (弥彦競輪北側の弥彦2860-2、宝光院に句碑有り、宿泊か?)から、
 寺泊を経て 出雲崎へ向かった芭蕉である。今晩は出雲崎に宿泊であった。

  出雲崎「良寛堂」の先、左側に「芭蕉園」広場があり、芭蕉はこの向かいの旅籠「大崎屋」に泊まったといわれているが、今は無い。園内には芭蕉像と句碑(下の「銀河の序」)が建てられている。

            芭蕉 銀河句碑

 芭蕉は「おくのほそ道」本文の中では、天候不順もあってか、越後路については、ほとんど出来事を記さず、最後に二句を記している。

      文月(=七月)や 六日も常の 夜には似ず
      荒海や 佐渡に よこたふ天河

曾良随行日記」によれば、この日は「夜中、雨強降」という状況で、

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 元大宮高校の和田俊郎先生のお話では、
 「この季節には出雲崎からは、佐渡に寄りそうように天の川が横たわって見えることはない。天の川は もっと縦方向に見える。」と伺ったことがある。

芭蕉は「おくのほそ道」の中には、この句しか載せていないが、その後、「銀河ノ序」と呼ばれる文章を作り、弟子などへ与え色紙等に書いて贈った。出雲崎のこの公園に「銀河ノ序」を記した碑が建っている。
 推敲する最初の頃のやや難しい文章である。

ゑちごの驛  出雲崎といふ處より 佐渡がしまは 海上十八里とかや 谷嶺のけんそくまなく東西三十余里に よこをれふして また初秋の薄霧立もあへす なみの音さすかに たかゝらす たゝ手のとゝく計になむ 見わたさるけにや 此しまは こかねあまたわき出て 世にめてたき嶋になむ侍るを むかし今に到りて大罪朝敵の人々 遠流の境にして物うきしまの名に 立侍れは いとすさましき心地せらるゝに 宵の月入かゝる 此うみのおもて ほのくらく やまのかたち雲透にみへて 波のおと いとゝかなしく聞こえ侍るに                                                                            芭蕉       荒海や 佐渡に よこたふ 天河


「銀河ノ序」は、許六編「風俗文選」(宝永3年刊)にも収録されているが、推敲を繰り返したあとのもで少し違っていて、やさしくなっている。

 北陸道に行脚して、越後の国出雲崎といふ所に泊まる。かの佐渡がしまは、海のおもて十八里、滄波を隔て、東西三十五里に、よこおりふしたり。みねの嶮難の隈隈まで、さすがに手にとるばかり、あざやかに見わたさる。むべ此嶋は、こがねおほく出でて、あまねく世の宝となれば、限りなき目出度き島にて侍るを、大罪朝敵のたぐひ、遠流せらるるによりて、ただおそろしき名の聞こえあるも、本意なき事におもひて、窓押開きて、暫時の旅愁をいたはらんむとするほど、日既に海に沈で、月ほのくらく、銀河半天にかかりて、星きらきらと冴たるに、沖のかたより、波の音しばしばはこびて、たましいけづるがごとく、腸ちぎれて、そぞろにかなしびきたれば、草の枕も定らず、墨のたもと、なにゆへとはなくて、しぼるばかりになむ侍る。

                       あら海や 佐渡に横たふ あまの川
2017.07.05
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