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平成18年、平成22年と、
  公開講座の、「声を出して読む『おくの細道』」に参加されていた皆さんや、
それ以前には
  戸田市文化財研究会の皆さんも 二度 ご案内した
  散歩コース
        22.jpg


これを 下のように 直してご案内しました。

hagaki_201904200302304f3.jpg

 左上の地図は 上下に圧縮して印刷されています。
 拡大すると 下のようになります。
  
    深川コース
  ※画像の上に、マウスでカーソルを置いて クリックすると 拡大されて読めます!
 5月17日(金)に 実施いたします。

 当日 小雨決行で、自由参加で、各自が保険証持参で集まるものです。
   案内の葉書が行かなかった方でも どうぞおいでください。
   日程、集合場所、上記の葉書のとおりです。
     地図資料代として 500円 頂戴します。 また、
     深川江戸資料館への入場料400円を ご用意下さい。

     40分間ほど その周辺で 一旦解散して、各自、好きなところ、店に入って
   昼食時間とします。
     その後、後半を始めますが、 もちろん帰宅されても結構です。
     終わりまで歩いたら、 ビールがおいしいと思って、
     富岡八幡宮・門前仲町で 良いところを見つけましょう!
     おっと、あくまでも 足の健康、頭の体操で 歩く 散歩です。
 
   Eの「太平洋セメント」の工場は、 昔 「浅野セメント」と いいました。
     その浅野氏には、渋沢栄一の援助があって、
         日本の近代建築が大いに進歩しました。
         渋沢が 深谷で焼いて作ったレンガは、
         東京環状線の鉄道建設や(有楽町駅周辺のレンガガード)、
         東京駅駅舎等に使われますが、その周辺の近代建築に使われていきます。
         レンガだけでは、強固に積めませんね。 セメントを挟んで組み合わせることが必要でしたよね。
         そんな話も します。

   ご案内は 資料作成する 加藤が いたします。


   



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2019.04.20


久しぶりに 再開した正月の行事
   10日に 実施した「正月散歩」で、撮ってもらった写真をいただきました。


泉岳寺まえ、53人の大集団です。

   泉岳寺まえ

 竹田宮邸の建物前で、 竹田氏の親・子に ついての悪口をお話ししてきたのですが、
   まさか、帰って来た夜のニュースでは、 解決しないオリンピック賄賂疑惑? 
   事実を知らないでしゃべり出す息子。  その話が ピタリとあたって まんざらではありません。

    竹田宮邸まえ3

    竹田宮邸まえ


 さすがに名店。予約無しの30名を超える突然の私たちを、簡単に受けいれてくれて、
   40分以内に 全員が食べられる様に 対応してくれました。 すごい!
   江戸時代からの 店でした。

     更科布屋


 芝大明神の縁起物、「千木筥」は江戸時代からの名物で、
     女性が幸せになるように、着物の箱が増えるようにと、
      実物を購入して みなさんに見てもらいました。

    筥

    芝大明神ショウガ市   芝大明神ショウガ市hako

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 芝東照宮の裏にある 古墳を利用してつくった
   德川二代将軍 秀忠 台徳院の墓の下を歩いて、見あげます。

  台徳院の山

   頂上には このような八角形の御霊屋がありました。

      taitokuimage351.jpg

    内部は こんな装飾でした。
 
    増上寺_(絵葉書02)_台徳院殿_霊廟_奥院宝塔

 昭和20年の米軍機の空襲で、大破炎上しました。
   木造の建物は焼け落ち、石の宝塔も爆弾で破壊されて 石の塊になってしまいました。
   焼け跡の八角形土台だけのこりました。
   
   だから、整理後の見学したお墓では、 夫の台徳院は、妻のお江さんのお墓に 一緒になったのです。

    zoujyouji001311.jpg

2019.01.14

 戸田市文化財講演会のお礼葉書を 出しました。



  11月9日は、午後あいにく雨がふりだして帰りは大変でしたか? 
 戸田市文化祭歴史講演会に お越しいただきありがとうございました。
 むかし私が戸田高校在職中に 野球同好会顧問として生徒達と練習試合をした「後谷野球場」に
 この文化会館が建てられていますが、そこで開催出来たのも何かの縁かと思い、
 楽しくお話できました。お世話になりました。
    〒259-0303湯河原町土肥1-7-9-705  加藤 雅喜
講演会2

それに 付け加えて こんな御案内を 書き添えました。
  久しぶり 数年間の ブランクをこえて、再開します。
  都内の名所旧跡を散歩する計画です。 いわく

 今回 講演会に参加の方から ご希望があり、
 来年1月10日(木)に、西郷・勝らが歩いた芝周辺を歩いてみようと考えています。
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 地下鉄「泉岳寺駅」集合で、あえて泉岳寺には行かないで・・・
そこから 地上にあがって、新しい品川駅工事(隈研吾事務所設計)を横に見ながら、
 幕末に「英国公使館」がおかれた「東禅寺」 ー 一世を風靡した時代小説家の柴田錬三郎邸 ー 
ー「二本榎木」ー西郷の親類「大山巌邸あと」ープリンスホテル周辺の案内して「品川駅」から乗るか、
そこへは行かず 「泉岳寺駅」に戻って 地下鉄に乗るか未定ですが、
「田町駅」へ移動 ー 今話題のゴーンさんの三菱自動車の場所。薩摩藩の藩邸跡「西郷・勝会見場所」 ー 
地下鉄に乗るか 歩いて 「大門駅」へ移動 ー 「芝大門跡」 ー 更科布屋本店 (昼食予定) ー「芝大明神宮」
ー「日米修好通商条約記念碑」 ー 「増上寺」德川家霊廟など建築物多数 ー 「御成門駅」で解散という計画案です。
 (公開していない場所は外見だけという所もあります)

●私の関係している
 ・戸田市文化財研究会のみなさまや
 ・越谷の声を出して古典を読む公開講座に参加のみなさま
 ・寄居中学校の同窓生のみなさん
 ・知人などの  自由参加で、

●前もって出欠希望も取らず、
 電車も昼食も 各自負担。
 保険も掛けずに保険証持参の自己責任で行こうという企画です。

12月中旬に日程・歩く距離などを書いた 案内の葉書を 
             みなさまに お送りいたしますので ご検討下さい。


2018.11.23

  この向井潤吉の絵が   
   昭和57年 1982年 まえに 描かれたあと・・・

   春塘 向井潤吉1984

   早春の水路 新河岸川昭和57年1982


 
 この 中庭を取り巻いていた 長く コの字形に続いた醬油醸造蔵も・・・
 
   橋本家醸造蔵左


 
 母家に繋がった この 土蔵も・・・
  
   橋本家土蔵





 平成5年の 下の新聞のように 解体が決まった・・・・・

   新聞記事平成5年解体



 解体中に 建築雑誌 『ニュー ハウス』に連載を持っていた
      日影 良孝 氏が 解体中の この舟問屋、のち醬油醸造所を訪ねてきた。
      掲載されたこの記事が この建物の最後の姿であった・・・・

    日影良孝 舟問屋
 











2017.05.09


京都の「都七福神めぐり」に 続いての
  火曜日は 東京小石川の七福神巡りでした。ただし その一つだけ

  丸ノ内線 茗荷谷駅の えびす様を 参拝しました。
       寺の名前は 深光寺 です


  小石川七福神地図

  駅を降りて 改札口を左へ回り込んで 細い茗荷谷と呼ばれる道を下ります。
  拓殖大学の建物を右に見上げて 50m 林泉寺: 縛られ地蔵と並ぶ、

      縛られ地蔵

右の大学校門の反対の 深光寺
  左手のお寺です。 坂を登ります。本堂前の右に 隊を持った恵比寿様がいます。 

    えびす
  

本堂の左手前に、長編「南総里見八犬伝」曲亭馬琴のお墓があります。

  本人は、武士を辞め商人町人として生きたので、その意味では、滝沢馬琴を使わず
  ペンネーム「曲亭馬琴」(きょくていばきん)を使っていましたね。
 
 このお寺、深光寺には 
  最上家に仕え、川越藩松平信綱とその子の旗本に仕えた
  もと武士の滝沢家の菩提寺らしく、左手に一族親類の墓が まとまっています。

        DSC09228しょう

  馬琴が、目が見えなくなって、口述筆記をして助けて、最終巻106冊まで出版できたのは
  長男の嫁のおかげといいます。
  その 「みち」のお墓も、
  馬琴の墓の左後ろの夫兄弟と同じ墓に 眠っていました。

          滝沢子供夫婦墓
   4人の戒名のうち  一番左が 路さん、右となりが 旦那さん。
   その
   旦那さんの顔は、お父さん馬琴と交流のあった、渡辺崋山が写実的に描いています。
  急度 父も このような 真面目で神経質な顔であったように思えます。

         800px-A_portrait_of_Takizawa_Kinrei_by_Watanabe_Kazan.jpg

  このような夫と、夫が先になくなったのち 義父の面倒をみた彼女に
  ご苦労様と言いました。

同じように 自分の作品に挿絵を描いてくれたことで、曲亭馬琴と仲が良かった葛飾北斎も
  同じような環境で、 北斎もまた、美人画では北斎もかなわなかった 
  実のむすめ葛飾応為こと、「えい」に 歳をとってからも世話をしてもらって画業に励んでいた。

   北斎むすめ

  この布団をかぶって絵を描く 北斎と、見つめるむすめの図を元に
  北斎美術館は 人形で再現されていました。

  お栄と北斎人形



2017.01.19
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