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 小田原市の北東にある図書館
   「かもめ図書館」へ 昼から行ってきました。

  湯河原駅~鴨宮駅に 電車に乗って、
  2時間の講演を 2時間 往復の費用を かけていってきました。

駅から15分近く歩いて 会場へ行ったら
  ロビーにある 掲示板に 貼ってある ポスターを
  熱心に読もうとしている おじさんを見つけましたので、こっそり 一枚。
  来週 湯河原へ来てくれるかしら・・・

ポスターを見る




 さて 講演は・・・
 小田原市にある、山県有朋と田中光顕の別荘にちなみ、二人の仲の良さは長く続き、目白の椿山荘とその隣家、
 護国寺の墓地も隣どおりといった具合であった。 
 
 幕末の勤王の志士のなかでは、1番若い土佐藩士、1番長生きをして、昭和14年に亡くなるので95さい
 「最後の幕末志士」と呼ばれる。

田中光顕講演会小

 幕末を知る、語る、最後の志士という意味では、幕末を生きた最後の藩主とも言うべき浅野長勲ともども、
 話を聞く 昭和の兵士達にとっては、その語り口、経験談のどれをとっても、
 重みがあり、「敵をたたッ斬る」といった言葉に実感が伴うように、昭和の下士官達には聞こえたようで
 「明治維新」の生き証人の言葉は、若者にとって 「昭和維新」という言葉を使わせることになり、
 意見の合わない上官は、たたき斬ることもやむなし、幕末の下級武士出身のエネルギーのようなものを
 感じたことが、

 226事件がおきる 若者の心の支援となっていた。 また、そのように祭り上げられていた感があるとおもった。
 実際に、若者達を鼓舞したわけでもないし、226事件に直接クーデターを指示するような口出しをしたわけでもないが
 90歳を過ぎた 彼の取り巻き連中や秘書達は、彼の威光をカサにして、若者をたきつけた所なきにしもあらず。
 
実際に、226事件の発生後は、
 事件を起こした青年将校らの助命を願うために、田中光顕と浅野長勲は助命運動をしようと動いたが、
 成果をあげることは出来なかった・・・・ 若者に信頼されてるところがあると思ったからであろう・・・
 そんな風に思っていた人物なので、
 聞きに行った。
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 しかし、今日の講演は
 それらに触れることは ほとんど無かったが、
 若い先生は 声が高く 歯切れが良い声で
 きちんと 勤王の志士、若者の心情を 明確に話してくれて たいへん良かった。
 
 話しの内容は、 さておいて・・・
 
    清水裕介講師

  自分が 中央大学大学院生の頃、
  自分のまわりは こんな 切れる院生だらけだったことを思い出した。
  特に近現代史は、読む史料そのものが すぐに理解出来る。
  賛同者・反対者の意見も、資料ですぐに読めるということもあり、テンポ良く
  持論を展開できることもあって、 
  議論を徹底的に戦わせることができることを 古代史専攻の私には、うらやましく思っていたことを
  久しぶりに
  思い出した。

  明治大学を出て、中央大学大学院の博士課程を出ている 清水先生には
  私の同級生である  松尾先生や佐藤先生は どう関わったのか
  聞きたかったが、
  質問者が多く、
  終わってからの 質問が出来なく 帰宅した。 
  
  手紙でも出してみよう。



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2019.03.02


ここは どこ? 訪ねてきた人は誰でしょうか?
        他人の評価はそんなものか! というお話を 書いていた途中で
   うっかり、キーボタンに指先が触れて 全面の入力部分が 消えてしまい、
   また、今日になって 書き直しです。
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 地図には首都高速道路と十字に交わる道路の交差点があります。左上に「ミッドタウン」があります。地下鉄の駅もつながっていますから左下には「六本木ヒルズ」「テレビ朝日」に続きます。

六本木現在

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この交差点には、昭和50年代地図を見ると、昔世代にはなつかしいピンクの看板「ALMONDE」が左下にあり、「ミッドタウン」は、もと「防衛庁」がありました。

今

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明治時代には、下の地図のようになっていました。
一番下の江戸時代「切り絵図」と比べると、

①「ミッドタウン(その前は防衛庁)」の位置は、陸軍第一旅団の兵舎が並ぶ場所になっていましたが、元は「長州萩藩毛利家の下屋敷」であったことがわかります。

②左下の東名高速渋谷方面から入ってくる首都高速道が通る道は、江戸時代には町屋が並ぶ狭い道で、行き止まりであったことがわかります。「芋洗坂」から下りてくる道に合わさって、「外苑東通り」からは江戸城・皇居方面には行けませんでした。
 

明治

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 今の交差点から高速道路下に、(この切り絵図は幕末の制作ですが)
当時、宮崎県延岡市にあった七万石の延岡藩内藤能登守政義(まさよし)の下屋敷が元禄時代以前からありました。このお殿様の住んでいた上屋敷は、今の霞ヶ関虎ノ門、文部科学省の場所にありました。彦根藩から養子跡継ぎに来たお殿様で、大老井伊直弼の弟にあたります。

内藤家下屋敷切り絵図

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 さて、最初の質問、
   この六本木の 延岡藩内藤家下屋敷には、元禄時代に 
  お殿様の兄さんであったのに、お家騒動に巻き込まれて殿様になれなかった、
  内藤義英(よしひで)という隠居さんがいました。 
  家中の政治に口出しもせず、延岡にも仕事がありません。
  この江戸の下屋敷の部屋住みで、毎日やることがありません。

趣味を持たないと やってられません!
  この人を 息抜きの会合に 誘い出した 人は誰でしょうか?
  
2018.11.28


土曜日だったか
  土肥会 深澤会長がやって来て、
  先日の役員総会の議案書を届けてくれた。

  同時に
  土肥会会費の領収書も、持って来てくれた。
  届けるよう頼まれて渡した、二人の方にも それぞれ二年分や今年度分の領収書が届いたようで、
  あまりにも遅くなったことに お詫びします。
  (もともと、会費領収書の発行は 私の仕事ではないので、私が謝ることでもないだろうけど)


それで 出発が遅れた 横浜行きだが
  横浜駅地下街の「有隣堂」書店の 壁に貼ってあった
     このポスター・・・・
   『伊能図大全』(巻別版)

     無題

  むかし 分冊販売はしないという高額出版であったのが、
  今回は 分売可 というPRである。

湯河原の吉浜・門川の宿泊昼食のお宅について 調べたこともあって、
  今度は 湯河原が出ている一巻を 購入したいと思っていたが、
  この ポスターに 値段が出ていない。
 
  書架の何処かに 既刊の一冊くらいはあるのかと思って、旅行ガイドブックや新刊書や
  歴史書コーナーを 廻っても 見当たらない。大きな本だろうに・・・・と思って、
  レジのお姉さんに聞いたら
  「見本のような扱いで、書架にはおかず、レジの奥の事務デスクに、しまってあります。」と言う。

  「そんなに高額本なの?」
  「いえ、それほどでは・・・・   確か 1万8千円くらいでした。 今探してお目にかけます。」という。
  値段を聞いて 今さら 要らないとは言えないので 
  「町の図書館で買って貰おうかなあ・・・・ 湯河原が出ているページがあるんだろうね、見て良いかな?」と
  言いながら 私は 探しました、ページをめくって。
  ありました
  でも この門川・吉浜付近の伊能測量隊の地図の精密度は、解像度が低い写真です。
  これなら、インターネットで公開されている写真解像度と同じだと判断して 取りやめて帰って来ました。
  「それにしても 高いね。」と 言いながら・・・・

帰りの電車の中で、会長が届けてくれた 役員総会の議案書には、
  8月23日の出陣祭前に、町の援助で城願寺に建てられる
  「伊能忠敬測量隊参拝の記念石碑」の除幕式が予定されていたハズ。

出かける直前に受け取ったので、
   そのまま持参して駅まで走り、持って来た
       もらった大封筒内の議案書を取り出して  見てみると
  
  「伊能・・・・・・参拝記念碑完成式典」の次第という印刷物が あった。
   私が 司会をやることになっている。

     挨拶する人の名前が並んでいるけど、
     この記念碑を建てる経緯を説明する時間と人を設定していない。
  これでは 町の予算を投入した意味がないというのが、私の実感である。
  「やっぱり 必要経費として 1万8千円を投入して、1冊買って、資料を作り、式典来賓、参列者、土肥会役員、町民の参加者に配布しないと 税金の有効活用にはならないなあ・・・」と 思いながら

  「やはり、高額でも 土肥会の予算を立て替えてでも、きょう買って来るべきだったかな。式典が終わったら、町立図書館に寄贈すれば良かったのだから・・・・」
  そう思いながら 湯河原に帰って来た。 


   さて、どうするかねえ・・・・

  
  
  


  
2018.07.02

4月13日に 
  湯河原町吉浜の向笠邸を お借りして開かせて頂いた
  伊能忠敬没後200年目の命日に 測量隊の説明会をする会に
  来られた皆様や、関係者 報道の皆様へ 記念写真を添えてのお礼状を出しました。 
  その挨拶文は 下の通りです。



  先日の伊能忠敬没後二百年の命日にあわせた、吉浜・門川・城願寺を訪問した伊能忠敬測量隊の足跡に三本の木柱標識を立てた説明会を 向笠家で開かせていただきましたところ、たくさんの方においで頂きました。ありがとうございました。当日は、梅原雄蔵さんの司会で進行いただき、向笠進さんからお昼をご馳走になるなど楽しい時間を過ごすことができ、向笠さんには感謝申しあげると同時に、土肥会事務局長の池田和男さんに撮ってもらった記念写真の額装をお贈りいたしました。参加の皆様には小さい写真をお送りします。

 ▽報告①です。
  翌週に東京の学士会館で日本全国の伊能忠敬測量隊を世話した人たちの子孫が集い二百年目の感謝の大会が開かれて盛会であったそうです。湯河原の向笠・富岡家にも何らかの謝辞があるようお願いしてあります。
 
 ▽報告②です。
  湯河原町予算事業で、まず城願寺に小松石製の標柱を立てるので、私が模型を作りましたので、5月から石材店で製作が始まり今夏までに完成します。また、お知らせいたします。
 新聞社の記者さんが書いておられるように、私は、今後、真鶴から小田原方面にも調査を広げて、観光客や若い人が歩けるように地図・標柱の作成や、地元の史跡を子供たちや次の世代に伝えていきたいと考えております。

 ▽追伸 
  学士会館の会合に行かずに、南半球では、城願寺の巨木ビャクシンのねじれ巻き方と反対巻きになるのではないかと視察に行ったのですが、果たして? 
  結論は→ ビャクシン=槇(まき)の巨木そのものが無い。杉など数本を見たが、反対巻きがあって推測通りと喜んだが、城願寺と同じ巻き方もあってガッカリ。樹木の成長が早く、三十年の年輪で直径90センチ以上に成長するスギ科の樹木成長度合いで、ねじれるヒマが無いといった状況に思えました。今後もニュージーランド以外で調べます。

                         湯河原町土肥1-7-9-705     加藤 雅喜


◯ 神奈川県「城願寺」の 柏槇(ビャクシン) 
    樹齢850~900年 土肥実平手植えと伝わる。
     左の写真は 春先。右の写真は 秋冬。
  ここは 北半球だから 鎌倉「建長寺」のものも、同じ巻き方である。
  上から見ると 時計の針の方向に廻る。

城願寺柏槇 23667970_151442902274558_9221597923303751680_n.jpg

     巻き方

  ◯南半球は、この樹木のねじれが 反時計廻り、
              つまり、北半球とは反対に巻くのではないか? という 
                  疑問の解決のため ニュージーランドへ

原生林を 訪問。分け入る巨大杉、巨大松・・・・大きいが、まっすぐ上に伸びている。
   どこの原生林を見ても、ダメ。
   まっすぐ 上に伸びて、木皮肌や枝に ねじれがほとんど見られない。
   
HPTIMAGE_20180430154645f98.jpg

ところが 6日目になって、やっと発見して、見あげる。
    やったね! 上から見ると 反時計回りに 右巻きに巻き上げている。
    ニュージーランドに来た甲斐があった!

    そのまま

  歓声を上げたのに その森の中で、100m位の近くで、 
    ナント!    こんな 大木があった。
    上から見ると 時計回り。 左に巻きながら上っていく。
      光線の関係で、色は赤っぽいが、同じ大杉系の巨木である。
      城願寺や建長寺の ビャクシンと同じ方向に巻いている。

     右巻き

◯結論  その後、どこへ行っても、ニュージーランドの山岳森林地帯には、
       巨木の杉・松があっても、ねじった木は少なく。 ビャクシンと思われる木が少なかった。
       それらしい木があっても、ねじれてはいなかった。

    理由は二つ
       ① 巨大森林地帯であったが、伐採して木造建築を建てていた先住民は、石の建築を
         あまり使わなかったために 巨大木が 伐採されてしまった。日本をはじめとする
         材木輸入の国へ輸出のために、成長の早い まっすぐな 杉や北洋の松などの植林が
         現在も続いており、ねじれのある木は、倒された後に植樹されることがなかったため。

       ② とにかく 雨の多い環境、温暖で湿度が高い環境が、樹木を成長させている。   
         ねじるということが 起こりにくい。上にドンドン伸びる。太る。ということが知られる。
         下の写真は ロープウエイの駅に置いてあった ベンチ代わりだが、年輪を数えると
         30の輪が きちんと数えられた、直径90センチという巨木。
         30年余で、こんなに成長するのだと言うから、驚いてしまう。 
          雪、強風などで、苦節・・・・ ねじれるという 私たちのイメージでは 説明できない。
 
      若杉

  こんな報告をつけて お送りした。



    
2018.04.30


先週の新聞記事を 送っていただいたので
  遅ればせながら アップしておきます。  
          二紙の記者さん  紹介 ありがとうございました。

           東京新聞横浜版 東京新聞タイトル

東京新聞4月16日朝刊伊能記事小


タウンニュース

タウンニュース4月20日号伊能記事syou

2018.04.23
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