史上最大の運慶展 上野で

運慶展1 うら

  という キャッチにも 迷わないで、
  雨の降る火曜日。午後からも小雨で・・
  上野ー日本橋ー東京駅 を まわって帰って来た。



  評判の展覧会なので 上野駅構内の臨時の拝観券売り場も長い列で・・・
  私たち夫婦は 見送りました。
  
きょう 10月19日は 三浦半島先端の 浄楽寺の 三尊が公開の日に当たっており、
  天気が良ければ 行くつもりであったが、
  雨で 堂内は暗いし・・・

  下の 金色の三尊像は いるのだが、
  前の 二尊は すでに 初日から上野へ出ているというので・・・
  5体とも 揃って帰って来たら、帰って来た記念公開をするというので、その時に 見にいくことにした。 

   unkeiten-panf-3_20171019200031ebe.jpg

  この浄楽寺は 鎌倉幕府の武将で、
 三浦氏・土肥氏と親類にあたる 和田義盛が 建立し 
   本尊など5体を 運慶に作ってもらったもの。

  それより前の 頼朝が、妻政子の父親が建てた 願成就院に、
    贈ることにした毘沙門天像を 京都へ行った際に見込んだ 運慶に
    作らせて 贈ることにした。  漫画家さいとうまさお は、このように描いていて
   分かりやすいので 引用する。
  
     運慶さいとうたかお
   頼朝1

   頼朝2-1

   頼朝2-2

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    wada 1

  212ページの仏像は 頼朝の義父が建てた 伊豆 願成就院(がんじょうじゅいん) 
  運慶の 毘沙門天は頼朝から贈られてきていた。 さらに 北条時政が 
    本尊の阿弥陀仏らを 依頼した。  
  
    wada 2

  213ページの方は 上に書いた、きょう お寺での公開日で、今晩、梱包されて、深夜に運び出されて
  上野に運ばれているハズの 浄樂寺 三尊像の3つである。


※ 私は、この間、1186年~1189年までの3年間に、横手市満福寺にある 阿弥陀立像が
            本来 城願寺にあった 運慶の作った 本尊であったものが、横手に
            室町時代に 移されたのではないかと考えており、証拠をつかみたいと
            願っている。
  つまり 平家滅亡後、
    1185 寿永4年春~  頼朝が上京して奈良へ行って運慶の評判を知り
                     願成就院へ贈る 毘沙門天像を 運慶に作らせている。
    1186 文治2年 ~  北条時政が その他の本尊などを運慶に作らせている。
                     願成就院に納めさせる。 そのあと、
                   和田義盛が、 浄楽寺を建て、三尊像らを運慶に作らせる。
                   (土肥実平が 城願寺に阿弥陀仏立像を 運慶に作らせる)
    1189 文治5年春~  運慶 関東の作仏像を終えて 奈良へ戻る。  

    源頼朝、北条時政、和田義盛 土肥実平
    旗挙げ時の艱難辛苦、命を助け合う、宿願を達成する、メンバーとして気心が知れており、
    ちょうど 平家を倒した後で
       彼らが 鎌倉や故郷に帰って、源平合戦犠牲者の追悼で、
       鎌倉幕府を開くときにあたっての和平祈願とあわせて、造寺造仏を
       盛んにおこなっていた時期にあたり、
       関東武士の気質と、運慶らの筋肉質勇ましい 仏像は趣向が一致したはずである。   
    上の四人が建てた寺は、名前順に
       永福寺、願成就院、浄楽寺、城(成)願寺であり、
       共に 運慶作の仏像が求められたのではないかと考えている。

    成願寺の本尊も 必ずや 運慶作のものであったと考えるのが順当であるからである。





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2017.10.19


きょうの インスタグラム

kato.masa.yoshi   
   いよいよ 箱根山方面 大雷鳴が聞こえ始めました!
   注意   
   2017、09、08、16:08
   湯河原   雅喜。  #湯河原 #カミナリ #雷鳴 #ゴロゴロ

IMG_3359.jpg

  このあと 30分間 以上 
  今まで 体験したことの無い 連続カミナリ音でした。 
  雷鳴が なりっぱなしの 箱根の山でした。
  湯河原は 雨は パラパラぐらいでした。 


2017.09.08


昨年の「国芳展」に続いて 「奇」を求める渋谷東急文化村での
           展覧会を見に出かける。

       ベルギー奇想の系譜展

     渋谷から 地下鉄で 新橋経由、日本橋コレドへ。 船橋屋のくず餅を買って 湯河原へ戻る。


   IMG_3287_2017083100570075d.jpg

   コレドビル群に囲まれた 報徳神社境内の 盆踊りやぐらの装飾がキレイなので 一枚。
   神社前の通りは 提灯金魚の列
 
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    船橋屋の支店で くず餅を買う。 
      急な雷雨の予報で、所沢は冠水騒ぎの予定なので 東京駅から帰る。
   
       IMG_3290.jpg





2017.08.31



今朝 パソコンで打ち出して
  セブンイレブンへ行って チケットを購入して・・・・

  静岡県三島駅まで 切符を買わずに スイカでJRに乗って・・・・
  改札を出るときに 出られず 清算して貰って (帰りも同じ)
  改札口を出て 三島で新幹線に乗るときによく見る
                          bnr-zkai.gif
  Z会の 本社ビルへ向かって 1分歩く・・・・・
 
      tizu_20170619200434d29.jpg

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買ってきた パンフの画面は「言の葉の庭」のお茶の水駅ガード
   下のように 迫真のもので 
 このブログの解像度が低いので この程度だが、是非見に来ていただきたいと思った。

         お茶の水 新海



     下の 公式 HPをご覧下さい。 良い出来です。これも。
     http://shinkaimakoto-ten.com/

    検索に 上のアドレスを 打ち込んで見てください    



2017.06.19


きのう お預かりした 一枚の絵はがき
   関東の農村・農家を描いた 向井潤吉の 春の川原の絵である。
   「春 塘しゅんとう」  春の土手という意味である。

春塘 向井潤吉1984

  残雪が 木陰に残る早春の川を描いている。
  川の名は 「入間川いるまがわ」 部分的に「新河岸川しんがしがわ」と呼ばれて、
  明治初年まで 江戸時代の川越を支えた舟運の川である。

  この湾曲する川の石垣の上に 大きな屋根を持つ家が描かれているが、場所が確定出来る。
  東武東上線上福岡駅東口から ふじみ野市役所前を通り 東北へ行ったところ、
  Book Off上福岡店の交差点を 右に折れてやや下ると、橋が見えてくる。「養老橋」である。
        この絵には 橋は描かれていない。
  この 新河岸川の橋を渡った左側が 今は廃業して いくつかの一般のお宅に別れているが

     「橋本醬油醸造所」 ジョウホンの醬油である。

  江戸時代には この川を上り下りする舟の河岸をもつ 舟問屋が 並んでいた場所である。
  ふじみ野市側は 「福岡河岸」と呼ばれ、 現在も 資料館があり当時の様子を見ることが出来る。

     福岡河岸資料館
          福岡河岸記念館

  反対側は 「古市場(ふるいちば)河岸」と 呼ばれた江戸時代川越城の草創期からの河岸であって、
  あとから出来た福岡河岸より 古いからの地名であろうか。
  その廻船問屋の「橋本屋」が、江戸後期・明治期に醬油業を営んでいた。

 橋本醸造所 ぐーぐる写真地図  


   平成8年(1996)5.24.喜多河信介 新河岸川 養老橋 
    福岡河岸記念館前から上流 白山神社の森を 描いたものであろうか

   養老橋

 さて この
 福岡河岸から、東方の・・・今は冨士見道路の脇に建つ 城北埼玉中高校の門前に向かう 昔からの道と
 養老橋を渡って右にカーブする新しい改修道路になるが、 橋を渡った 左と右が 橋本屋であり、 
 福岡河岸から見ると 養老橋の上流・左側が 商店住まい。 下流・右側が 醸造所になっていた。  


私は 長い間、この絵は、その対岸の上流の白山神社から見た 橋本邸を描いたとばかり思っていのだが・・・
  こうやって比較してみると、
    ① 養老橋が描かれていない。
    ② 醸造場の 高い煙突が描かれていない。
  この二つに気づいた。
    下の 川越市の記録昭和53年の写真を見ると 
    大豆を蒸す蒸気抜きの小屋根の付いた 大きな屋根がしっかり描かれているので、
    石垣土手のカーブも描かれて、

  ◎結論
    この絵は 橋本家の本宅ではなく、 
下流の醸造所で、養老橋の上から描かれており、同じ場所から写真も撮られたことがわかった。
    ただ、煙突が省略されていることもわかったが、絵画構成上の理由で 消したものであろうか。

    橋本醸造所写真昭和53年

この向井潤吉の「春塘」の絵は、昭和59年(1984年)行動美術展に出品された。
   橋本家には、展覧会の案内通知があり、
   見物に東京都美術館の会場へ出向いた当主に、
   美術展の図録と絵葉書が 展覧会封筒に入って 向井の名刺と共に手渡された。

   図録の最初の部分、今年の展覧会の目玉という扱い、
   カラー写真で 3番目という 位置に掲載されていたのが、この「春塘」であった。

    行動美術展1984 3番目に春塘 向井潤吉名刺


  時代は 移って、

平成12年(2000年)春 湯河原に この絵がやって来た。
    町立湯河原美術館の前進 湯河原ゆかりの美術館へ

    パンフレットの表紙に この「春塘」の絵が使われたのである。

             向井潤吉展 湯河原ゆかりの美術館
   
     開催が 4月6日より 5月29日迄なので、この絵が選ばれたのかもしれない。
  しかし、「目録」の 
   35番 「春塘」と 並ぶ 34番に「早春の水路」という絵がある。

   春塘 行動美術展絵葉書
       「春塘」(川越市郊外)

     早春の水路 新河岸川昭和57年1982 
       「早春の水路」(川越市下新河岸)
  
  私は 次に この下の絵が、橋本家の本宅、つまり 養老橋を渡っての左側を
     養老橋から 左側を見て 描いたのではないかと思った。
     木々の合間に 白壁が見えるが、橋本家の本母家に続く 土蔵のように思えたからである。


                                             橋本家土蔵
                                           母家に続いていた 白壁の土蔵
 




2017.05.08
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