「彩玉」=新高+豊水  彩の国ブランドの新種という梨を いただきました。

      彩玉

  花弁のあとのお尻の方を 上にして 撮影しました。
  全国の梨が この所の 日照不足で甘みが不足とのことですが、
  甘くおいしい出来でした。




  有難うございます。 ごちそうさまです。

自分の記憶の中の梨畑・・・・・・
     割と 梨畑の近いところに生活していましたね。

 ①石川県羽咋市大川町(旧桜ヶ丘)
   = 水門橋を駅方面に渡った水田の中に点在する梨畑。ホタルも舞っていた場所。
  
 ②新潟県新潟市江南区亀田(旧亀田町)
   = 信越線が砂丘地の中を縦断する。左右はモモ畑、梨畑でした。

 ③千葉県松戸市二十世紀が丘(旧有料道路周辺)
   = 言わずと知れた突然変化品種「二十世紀」の生まれた公園のあるところ。いまでは 隣の船橋のフナッシーにお株を奪われたが、梨畑の多い武蔵野線・新京成電車の周辺。「ありの実公園」には、家族でよく遊びに行きました。(梨=なし=無し→「ありのみ」と縁起の良い名に改称) 
         
 ④埼玉県立春日部工業高校の周辺
   = 通勤・出張で車移動をするとき、縦に江戸川・中川・荒川が流れるところの沖積平野と河岸段丘を走るときに、梨畑が多いので、春先の花の季節は桜と違って白いが一つ一つが大きく、くっきりしていて 気分の良い通勤路であった。吉川・庄和・春日部・杉戸・幸手・・・・・・ 茶色や白の紙フクロが掛けられると秋ちかしを知らせてくれる果物であった。  





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2017.09.01


埼玉県立春日部工業高校の校歌を 作詞された
  大岡 信さんの 送る会が 開催されます。という告示がされています。
  紹介いたします。 
  
私は 残念ながら 住まいから近いのですが その日は不在で、出席できません。
  その日に先立って 大岡ことば館へ 出向いて記帳させていただくつもりです。

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2017年4月5日、大岡信先生が三島市内の病院にて永眠されました。享年86歳でした。
  詩作や評論を通して日本語の可能性を探り続けてきた詩人でした。
  代表的な仕事となった「折々のうた」、そして多くの詩集や評論。
  それらが私たちに与えた影響は計り知れません。
  また、美術や音楽にも造詣が深く、多くの芸術家たちとの親交がありました。
  さらに、大学で教鞭を執るなど、後進の育成にも大きく貢献された方でもあります。
   謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

「大岡信さんを送る会」を6月28日に開催します。

主催:大岡信研究会  大岡信ことば館  明治大学法学部
日時:2017年6月28日(水)18:00-20:00(献花17:00~)
会場:明治大学アカデミーホール(アカデミーコモン内3階)
住所 東京都千代田区神田駿河台1-1  (℡ 03-3296-4337)

一般のお客様もご参加いただけます。
参加ご希望の方は、平服でお越しください。会費はいただきません。
また供花、供物、御香典はすべてご辞退させていただきます。
〇受付は午後5時からアカデミーコモン1階ロビーで開始します。
〇会場入り口で、各参加者に献花をお渡します。
 
「大岡信さんを送る会」プログラム
1.開会の辞:西川敏晴(各主催者を代表して大岡信研究会会長による挨拶)
2.弔辞
   弔辞① 粟津則雄(文芸評論家、フランス文学者)
   弔辞② 菅野昭正(世田谷文学館館長、フランス文学者)
   弔辞③ 谷川俊太郎(詩人)
3.在りし日の大岡信さん(映像)
4.ピアノ演奏:一柳慧(作曲家 ピアニスト)
5.大岡信の詩の朗読:白石加代子(女優)
6.ジュリエット・グレコの歌(映像)
7.「大岡信さんと明治大学」:土屋恵一郎(明治大学学長)
8.お礼のことば:大岡かね子

献花デザイン制作:福島光加(草月流師範会理事)
遺影及び映像制作:岩本圭司(大岡信ことば館館長)
司会:桜井洋子(アナウンサー)
撮影:坂口 亮
照明:石谷 等

2017.06.15


先日 東武鉄道 「藤の牛島駅」の 藤 の紹介をしましたが、
  その根元は こんなものです。

 ※下の地図の上にマウスのカーソルを置いてクリックすると 拡大します。

  ①その藤の古樹の近くにある 「牛島球場」 は、
     私が 春日部工業高校に勤務していた際には、何度も ここで試合の応援に行ったものです。
     ゴールデンウィークのときを挟む時には 応援スタンド(特に外野席は絶好)から見えたものです。

  ②向かいの 春日部東高校の体育館にも、もっと前から、バドミントンの試合で 何度も
     生徒を引率してきてきて、 帰りに 見た帰ったこともありましたね。

  ③道路の反対側 牛島小学校へは、春日部工業高校の小学生との交流事業で、
     蒸気列車の試乗や木工などの実演指導の生徒を引率して訪問していました。

  ④春日部工業高校の野球部の卒業生である ザキヤマ君のご両親を
     この藤の近くに 訪問したのも思い出の場所ですね。 
 
    images_20170505211413b0a.jpg

牛島駅地図



その駅は 田舎の駅らしく とても情緒のある駅舎でした。写真で見てください。
   16号線 庄和・春日部のバイパスや交差点の混雑迂回で、
   三年間、新松戸から自動車で通勤していた 私には 迂回路としても
   この東武野田線 「藤の牛島駅」前の 踏切を横断してきました。

   この駅の駅舎は 今も変わっていませんが、 
             駅の看板が変わっていることに気づきました 

    fujinoushijima20050923.jpg

    Fujino-Ushijima_Station_Entrance_1.jpg

    46000000000000001983_0000005302_2.jpg

  

   第一期の 春日部工業高校の新入生は、
   まだ、今の春工業高校のある場所には 校舎が建っていなかったので 
    借用の校舎には 
   この駅で降りて、長距離を歩いた生徒もいたという駅ですね。

  ※5月6日(土)11:55 この駅と 南桜井駅の間において 人身事故がありました。 


2017.05.05


 皆さん コレ 知っていますか?
  イトーヨーカドー の看板が 塗り 代わっていきます 

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 コウモリマークのスーパー「サトウ ココノカドー」の看板です
 
      images_20170411234656b7d.jpg

  こんなバスも 電車も走っていますが・・・  先週 九日にあわせて看板が塗り代わったのです。
  今週いっぱい このマンガのスーパーで、 「みさえバーゲン」もやっています。

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  きのうは 「春日部工業高校の校長さん」から 電話をいただきましたが、
   きょうは、この春日部の「サトーココノカドー」へ電話して
     「しんちゃんのガラのネクタイが欲しい。予約したい。」といったら、
     「店まで来ていただかないと 予約出来ません。インターネットや電話では予約出来ません!」との返事。
  

   
春日部で だれか予約に 行ってくれませんですかねえ。

    こう書いたら 協力者があって 申し込みをしていただきました。ありがとうございます。        
     
   
        







2017.04.11


今朝の『読売新聞』に 大岡 信先生の ご逝去が伝えられていた。
  私が 教職でお世話になった 埼玉県立春日部工業高校の校歌を作られた先生であり、
  私が 在職中に文化勲章を受けられ、お祝いのお手紙を差し上げたところ喜んでいただき、
  私の異動後も、下記の 一般の講演会にも出かけさせていただいた。 再掲しして感謝とご冥福を祈りたいと思う。




お元気で、大岡信先生!「折々のうた」最終講義////////////////////2007年07月03日18時05分

 大岡信先生の、最後の「折々のうた 講演会」に有楽町マリオンへ出かけた。1ヶ月まえ、瀬戸内寂聴さんのお話を聞いた同じ席に座った。B8である。ゲストの谷川俊太郎、小島ゆかりさんが目の前最前列に来て座った。
18時15分 開会
 79年以来、6762回の長期連載が3月末に終わった朝日新聞の第1面コラム「折々のうた」の大岡信先生の「折々のうた ことばの宴におわかれ」開催された。  
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 明日発行の「朝日新聞」の記事ではこう書かれる。
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 「紙面で紹介した古今の名詩歌句をより深い鑑賞に導く講演会を大岡さんが始めたのは83年。季節ごとに開いてきた。
 第98講となったこの日は、大岡さんの講演と、詩人の谷川俊太郎さん、歌人の小島ゆかりさんを交えた鼎談の2部構成。詩歌をめぐる熱い語りを約800人が惜別の思いとともに聞いた。
 会場ロビーには、大岡さん自選の2100回分を収録した最新刊「精選 折々のうた」(全3巻、朝日新聞社刊1万円弱)も並んだ。」

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2007年03月31日01時33分の朝日新聞
 大岡信さん「折々のうた」最終回 6762回、惜しむ声

 詩人の大岡信さん(76)による本紙1面の連載「折々のうた」が31日、最終回を迎える。朝日新聞創刊100周年企画として始まったのが、1979年1月25日。古今の詩歌を縦横に取り上げ、足かけ29年に及んだ長期連載の終了に、「毎朝一番に読む記事だった」「寂しくなる」などと惜しむ声が、全国から寄せられている。
 何度か休載期間をはさみ、最終回が6762回目。約4600首を集めた「万葉集」をはるかに上回った。大岡さんは、はればれとした表情で「とにかくおしまいまで来られて、ほっとしています」。
 「『折々のうた』は短歌、俳句、現代詩から漢詩、歌謡まで、ジャンルの枠を取り払った、日本の詩歌の広場。『台湾万葉集』など、あまり知られていなかった作品に光を当てたことも大きい」と、朝日歌壇選者の歌人、佐佐木幸綱さん。
 大岡さんによると、連載当初はまだファクスがなく、毎日オートバイで原稿を運んだ。このため長期の旅行は見合わすほかなかったという。ファクスの普及で旅行はできるようになったが、今度は重い資料を抱え、毎日宿泊先から入稿するあわただしさ。
 「そんなふうにしながら、よく続いたなと思う」という友人の詩人、谷川俊太郎さんは、「折々のうた」はある時期にアンソロジー(精選集)を「卒業」したとも指摘する。「よい作品を選び出すということから、毎朝、詩の言葉を味わわせてくれることへと、連載の意味がシフトした」
 俳人の中西夕紀さん(53)は02年に自作が取り上げられた。「広い視野をもつ人に認めてもらって、とても励みになった」と語る。
 連載終了のお知らせが26日に出ると、全国の読者から声が寄せられた。岩手県釜石市の主婦、浦田厚子さん(55)は「心からお礼を申し上げたいです。難しいことをやさしく丁寧に解説してくれたのがうれしかった」。
 東京都江戸川区の主婦、五十嵐公子さん(76)は、「一日の初めに真っ先に読んで、元気と幸せをもらっていました」。
 北海道恵庭市の無職、前田貞治さん(79)は「これから寂しくなりますな」と残念がった。谷川俊太郎さんも「身近な人が立ち去ってしまうような気持ち」と、連載終了を惜しんだ。

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 大岡先生、身体をこわして一時「折々のうた」を休まれたが、実はその後の体調も良くないようであり、潮時を考えておられたようである。今日は流石に登壇にステージ上は、やや足を引きずるようであったし、演壇には椅子に座って話された。ろれつもやや回らない様子であった。もどかしく手振りの繰り返しが多かった。その様子を、朝日新聞福井県版で坂本氏が、先日の6月26日紙面に、3月16日の大岡先生の様子を紹介している。

 大岡先生、無理せず、適度なお仕事を。

2007年06月26日の 福井県版朝日新聞 「あしたは晴れ」から日本文芸家協会会員坂本満津夫さんの寄稿
 「大岡信さん また元気な姿を」

 第37回高見順賞の授賞式が3月16日、東京・飯田橋のホテルであり、私も招かれて出席した。受賞作品は岬多可子の「桜病院周辺」で、参会者はざっと150人ほどだった。
 しかし、私が書きたいのは、賞のことではない。大岡信の窶れようについてである。
 財団法人高見順文学振興会の理事長として、表彰式で壇上に登った大岡さんを見て、あっと思った。足がもつれて介添人に支えられてやっと立ち、賞状授与の言葉ももつれ気味で、見るにしのびない感じであった。
 脳梗塞の後遺症があるのだという。
 昭和6年生まれの大岡さんには、同世代人の輝ける星として、あこがれの気持ちもあって、その著作は初期から買いあさってきた。書棚2段に100冊余りがぎっしりと詰まっている。
 中でも精読してきたのは、朝日新聞に連載した「折々のうた」である。
 岩波新書の第1巻は80年3月21日第1版発行とあって、“あとがき”によると、「本書は79年1月25日朝日新聞創刊百周年記念日から、同紙朝刊に連載されているコラム『折々のうた』の一年分をまとめたものである」とある。
 その岩波新書第1巻の最初には「石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも」という志貴皇子の歌が取りあげられ、5番目には「鳥籠をしづ枝にかけて永き日を桃の花かずかぞへてぞ見る」という山川登美子の歌が引例されている。
 季節にひきつけて春のうたを取りあげたのであろう。注釈には「艶麗だが、ふしぎにも三句目以下は倦怠の翳があって、孤愁に耐えているような寂しさも漂う」と書いている。
 「折々のうた」の中身に分け入ってあれこれ書いたらキリがない。収まりがつかない。
 そこで大岡信のことに話を戻すと、私がはじめて大岡信と面談したのは昭和60年3月15日。赤坂プリンスホテルであった。氏の名刺にそう書いてある。これも高見順賞の当日で、高見秋子夫人の紹介であった。大岡さんは5人いる選考委員の1人であった。それからでも22年がたつ。
 大岡さんの仕事ぶりは周知の通りだが、日本芸術院会員、文化勲章受章と、文人の最高位に上りつめた。そして28年も続いた「折々のうた」は07年3月末で終わった。来年の高見順賞の席には元気な姿を見せていただきたいものである。



校歌の作詞者 (朝日新聞 投稿) 春日部工業高校 教頭 加藤雅喜

 2007年07月03日18時05分、朝日ホール。ゲストの谷川俊太郎、小島ゆかりさんが、私の目の前、最前列に来て座った。10分後 、いよいよ79年以来、6762回の長期連載が3月末に終わった『朝日新聞』の第1面コラム「折々のうた」の作者、大岡信先生の「折々のうた ことばの宴におわかれ」が始まった。
超満員の会場は、大岡先生の、小さな声で始まった講義を一言も聞き逃したくない、一挙一動を見逃したくないという雰囲気で満ちあふれていた。
最後の講義と第二部の鼎談については、報告記事で書かれると思うので省略するとして、私はその日、機会があったら是非先生に感謝の気持ちを伝えたいと思っていた。が、閉会後もその機会に恵まれなかったので、記事担当者や読者にも知っていただきたいと考えて文章を送付することにした。
 
 東京オリンピック開催準備のまっただ中に開校した埼玉県立春日部工業高校は、2年後に伝手を頼って大岡先生に校歌を依頼した。快く承諾された先生は、早速来校され、校長らの案内でようやく校舎が整いはじめた本校と、校舎脇を流れる古利根川に都鳥の飛ぶ風景を見て、近代技術と伝統のワザ、発展と継承、時間と歴史、工業と自然を対比させながらも、時代を牽引する若い力に大きな期待をかける歌詞を創作された。今から43年前であるが、斬新な言葉遣いもあり、若者に受け入れられやすい若々しい表現であった。それ以来、本校の在校生、卒業生9、500名余が歌い上げ続けてきて、先生方の指導と生徒の努力の積み重ねで、不況にも強く資格取得でも、埼玉県第一、関東でも有数の工業高校と成長している。
 私は、3年間の在職中には、集会のたびに校歌を生徒と一緒に歌い、卒業式のたびに同窓生ともうたった。校長はいつも歌詞カードをポケットに入れて歌っていた。ちょうど大岡先生の文化勲章受章の年にあたっていて先生にお祝いと感謝の手紙を送らせていただいたところ、お葉書を頂戴した。早速、教員・生徒・保護者へ「学校だより」で紹介させていただいた。作詞者の期待に応える大きな声で歌おうと呼びかけた。大変いい反応があった。新天地を切り開く若者の意気込みを評価し、大きな期待を持っている先生の校歌と良い生徒・教員・保護者に恵まれて幸せな在職3年間であった。

 直接お目にかかれないまでも、近くから感謝の拍手をおくりしたい と思って出かけたら、
 最後の講演で選ばれた短歌は、第一回と同じものを繰り返してと選ばれたもので、大きな海原に船出して、親を越えるために西洋の文化を学び挑戦しようと、心細い中にも希望・大志をもって行く若者、高村光太郎の短歌であった。
   海にして 太古の民の おどろきを われふたたびす 大空のもと
「そうか、先生の気持ちはいつも若者激励であったんだ!高村光雲の彫刻を抜こうとする気持ちは、伝統のワザを継承してついにはそれを越えていく工業高校生と共通するものがあって、きっと多くはない、校歌の作詞をお引き受け下さったんだ。」と納得して、会場で涙ぐむ位であった。私もそんな思いで生徒に接していたなあと。
 先生ありがとうございました。 自分ももう1年で退職ですが、 
  機会を得て春日部工業高校の人に知らせますと。

 大岡先生もそのように言っておられたが、
 私も何か肩の荷が下りたような気持ちで「良かったわねえ」「先生もお元気だから安心したわ」といった声に囲まれながら会場から家路へ向かった。

  埼玉県立春日部工業高等学校 校歌   大岡 信

1 風青く澄む古利根の みどりの胸にはぐくまれ
  ひとみはるかに こらしつつ 学ぶ世紀の新知識
   たたえよう 友よ 青春の われらが春日部工業高校

2 機械よ電気よ建築よ 湧き立つ雲よ 筑波嶺よ
     古い工(たくみ)の伝統を 運ぼう明日の空高く
   たたえよう 友よ 青春の われらが春日部工業高校

3 しのぶむかしの 都鳥 いまは河面をかすめゆく
  宇宙世紀のシグナルに こたえる製図よ 実習よ
      たたえよう 友よ 青春の われらが春日部工業高校

4 砂丘の松に 風薫れ 友のうれいに歓びに
        肩組みかわして 歌いあう 三年(みとせ)の春の花の色
         たたえよう 友よ 青春の われらが春日部工業高校




朝日新聞の河村泰志さんからのお手紙 

 大岡 信 先生の講演を聴いての感想(上記 投稿文)に、朝日新聞社事業本部の河村さんから次のお返事をいただいたので、大変有り難かった。あえて、感謝の気持ちで掲載させていただきます。

加藤雅喜様                   2007/7/13

 前略、大岡信先生の講演会について、心温まるお手紙をありがとうございました。校歌作詞の経緯や最近の交流など、感銘をもって読ませて頂きました。また、最後の講演会をそのような深い思いでお聴きき頂いたこと、マネージメントを担当した者として、本当にうれしく、感激でございます。重ねてお礼申し上げます。
 
 小生、長く新聞記者をしておりましたが、ここ数年、メセナ・スポーツ部で合唱・吹奏楽の朝日新聞社側の窓口をしたり、朝日賞など賞ものの事務局をしたりしております。そうした仕事の一つが大岡先生の講演会のマネージメントで、20回にわたって担当してきました。
足かけ25年にわたる講演会をいかに終えるか、が難問でした。おかげさまで、多くのお客様に来て頂き、谷川さんも小島さんも素敵な方で、大岡さんも言葉少なではありましたがリラックスして会話に加わっていらしたようでした。無事に終わって本当にホッとしております。私も肩の荷が下りたような気持ちです。
 17日の特集ページも形になってきております。どうぞお読みください。
 
 全く私事ですが、小生の父も地方の工業高校で教頭、校長をしておりました。「学校だより」に書いたり、生徒に呼びかけたり、運動部員が大きな声で歌ってくれたのを喜んでおられる様子など、父の姿が重なるようで、そのことも感銘深く読ませて頂きました。
 このお手紙、大岡先生にもお見せしたいと思います。ご了承ください。
  以上 お手紙のお礼まで。                         草々

〒104-8011   東京都中央区築地5-3-2
              朝日新聞社事業本部メセナ・スポーツ部  河村 泰志




  上記のように  私は 良い人生をある人に 多く巡りあえてきたように思う。 
       感謝する そのお一人が大岡 信先生であった。


     
  ご冥福をお祈りします。


2017.04.06
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